2018年1月15日 (月)

どんど焼きでソーセージ(繭玉もあるのよ)

平成30114日(日)

こんばんは、八田うし子です。

八田地区内のどんど焼きの取材がつづいています。

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本日は下高砂神明社にて
18時から行われたどんど焼きにお邪魔してきました。

 六科と野牛島で行われていたのと同じようにオコヤはつくらず、笹竹を四隅に立て、縄をかけた方形の区画内で剪定した桃の枝を焚き付けにして、正月飾りや習字、お札などを燃すやり方です。

Dsc_0650ここ下高砂では繭玉(だんご)などを、どんど焼きの火であぶるために、それらを刺した棒を持った子供たちがたくさん参加していました。

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「ワ~い、八田地区どんど焼きで初目撃の繭玉だぁ~♪」とうれしくなって夢中で撮影しました。

 子供たちの持っていたどんど焼き棒にうし子的分類を適用すると、分かれた枝の先に分散して繭玉を刺す『枝刺し型』、1本の長い棒に直列して23個の繭玉を刺す『直列型』、棒の先に針金を括り付けて垂らしてその先にアルミホイルで包んだ繭玉を5個くらい刺してつける『釣りざお型』の3タイプが見られました(ここでは見られなかったけれど、他に、繭玉を刺した針金を輪っかにして棒の先に括り付ける『首飾り型』もありますよ)。

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そして、うし子はさらに面白いことを発見したのです!!何人かの子供が持っているどんど焼き棒の先に、繭玉ではない、なにか細長いものが刺さっているではありませんかっ。

「なんじゃこりゃ?これ何刺してきたの~?」子供たちに素直に尋ねてみると、「ソーセージっ!!」と大きな声が返ってきました。「ウッ、うまそうだね」とちょっと戸惑いの返事をしたうし子を置いてきぼりにして、周りの子供たちが口々に「ぼくもソーセージ、焼~き~た~い~」といった状況に・・・・・。

「じゃぁ、来年ね!」と母親たちに簡単にいさめられたのですが、「今度はマシュマロなんかも刺してきたらいいんじゃないかしら」などという声もきかれました。

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こうやって地域の行事は少しずつその趣を変化させていくのですね。ここ下高砂では、来年も、さらに子供たちが楽しめる進化したどんど焼きがみられそうです。

こちらは釣りざお型の棒で焼いたお団子をおいしそうに頬張っていましたよ!

 しかし、昔も今もこれからも、どんど焼きは、地域住民が神聖な火に集い、互いの健康長寿を願いつつ結束を強める行事であることに変わりはないでしょう。下高砂の子供たちには、ぜひ故郷の楽しい行事である小正月の記憶を宝物にしてほしいと思いました。

うし子

2018年1月13日 (土)

野牛島は朝からどんど焼き

平成30113日(土)

おはようございます。うし子です。

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本日朝
10時から、南アルプス市(旧八田村)野牛島地区でどんど焼きが行われました。

昨日、お電話で区長さんに取材のお願いがてら確認したところ「野牛島のどんど焼きは明るいうちにやる!」とおしえてもらいました。

Dsc_0455そこで、うし子は会場の諏訪神社境内に午前9時半にうかがったのですが、もうすでにほとんどの準備が終わっており、あとは宮司さんが神事でつかうしつらいを整えていらっしゃるところでした。Dsc_0461御神酒の注がれた盃と杉の葉が新春の明るい日差しで美しく見えます。役員さんは8時から準備を始めて、皆にふるまう甘酒も作ってくださったそうでうす。

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境内の中ほどには、四方に笹竹を立てて縄を張り、その真ん中にきれいに木片が円状に積み上げられて、釜のようになっています。

円状に積まれた木片の内側に各自持ち寄った正月飾りを入れて燃すようです。

 10時から宮司による神事がはじまりました。

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先ほどの杉の葉は清めの儀式に使用されました。

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神事の最後に和紙に付けた火で宮司さんが点火しました。

木片がうまい具合に空気を取り込めるように組まれているので、すぐに勢いのある炎になりました。

Dsc_0532あっという間に燃えつきました。

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野牛島はうし子の住む能蔵池の周辺地域なので、聞き取り調査で協力してくださったおばあちゃまたちや区長さん、消防団のみなさん等、いつもお世話になっている方々に新年のご挨拶もできてよかったです。

 八田村時代にこの区域に住む人々は、各地域でそれぞれ行っていたどんど焼きという行事そのものを1か所1回に統合し、村の行事として榎原の公民館(現在の情報センター)前で行っていました。そのため一時、この野牛島諏訪神社でのどんど焼きは途絶えていましたが、南アルプス市所属となってから再び行われるようになったそうです。

Dsc_0519_2六科地区と同じく道祖神の飾りつけや、オコヤ、繭玉はみられません。宮司さんによる神事として行われている点と、夜の厳しい寒さを避けて新春のあたたかな日差しの降り注いでいるうちにとり行う点は興味深い事例でした。

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伝統的な行事が現住民の生活スタイルに合うように変容していくのは世の常ですから、

ベビーカーを押して現れる若夫婦や子供たちがどんど焼きの火のまわりで楽しそうに遊び、お年寄りたちとものんびりうれしそうに会話する様子は、

漆黒の闇を切り裂くような炎を連想させる小正月でなくとも、とてものどかで好ましい行事風景に映りました。

うし子

2018年1月11日 (木)

六科の百貨店「だるまや」

平成30110日(水)

 

こんにちは、八田うし子です。

 

 本日は六科にお住いの清水さん宅に伺い、「だるまや百貨店」について取材しました。

唐突ですが、「皆さんは日々のお買い物をどうしていますか?」

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 うし子は秋から南アルプス市八田地区内で昭和時代の暮らしぶりの聞き取りも行っていますが、その際、おばあちゃまたちには「買い物はどこでしましたか?」という質問を必ずします。

昭和20年代に駿州往還沿いにあった「だるまや」

 

野牛島なら中島商店、徳永は手塚ストアー、下高砂は杉山商店、榎原は杉山定平商店といったように、それぞれの居住地域にあるお店の名をすぐに教えてくれます。

しかし八田地区のすべての地域の人が、口をそろえて買い物にいったことがあると答える店が六科にありました。その名は「だるまや」。食料品、日用品をはじめ、衣類や薬など何でもそろう、この辺りでは一番規模の大きい商店だったようです。

 

 場所はどの人も六科の交差点あたりだと言いますがちょっとずつ場所が違いました。そのほか「清水さんがやっていただるまやという店だ」とか、「八巻さんという人が経営してるんだ」と教えてくれる人もおり、うし子の頭の中でこんがらがってしまっていたんです。

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現在営業中の八巻さん経営の「ショッピングしみず」

 仕方ないので、六科の交差点付近ををいつもの通りウロチョロしてみると、「ショッピングしみず」の看板を発見!その看板のあるお店の中から「お~い、何さがしてるの~?」と六科地区老人憩いの家でお知り合いになった八巻さんが声をかけてくれるではありませんか。

Dsc_0299現在はこの八巻さんが「ショッピングしみず」を経営なさっている。

Img20180110_16514205昭和30年代に2代目が新装開店した「だるまや百貨店」

 でもその前身は「ショッピングタウンしみず」であり、その前は「だるまや百貨店」といい、さらにその前は「だるまや」という名で六科交差点付近で少しずつ場所を変えながら営業してきたとのことでした。「ショッピングタウンしみず」以前のことは当時の経営者一族であった清水一さんに聞くとよいと連絡先を教えてくださいました。

Dsc_04493代目「ショッピングタウンしみず」を建設し昭和49年から59年まで経営した清水一さん

 そのようなわけで、本日、清水一さんのお宅に伺い、戦後の昭和時代に六科で繁盛したお店の歴史について伺い、貴重な写真資料を多数貸していただきました。

 

 取材によると、

Img20180110_16404956「だるまや」は昭和20年頃(戦後すぐ)に初代清水弁蔵氏が駿州往還沿いの六科交差点より北の隋心院付近に創業開店しました。

Img20180110_165656742代目清水文造氏は昭和30年代に「だるまや百貨店」を六科交差点を芦安方面に少し上った道の左側(六科交差点より南西)に開店します。

Img20180110_173746893代目の清水一(はじめ)氏は昭和49年から59年までだるまや百貨店の道を挟んだ向かい側(六科交差点より北西・現在はバカボンドという飲食店が所在)に「ショッピングタウンしみず」を営業していました。

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 そのほかにも、昭和
40年代には甲府中心街に2店もの支店を出し、武川にも出張所を、さらに、移動販売車で芦安・韮崎の村々をはじめ長野県松本方面にまで出かけて商売したそうです。

 ちなみに、現在営業中の「ショッピングしみず」は初代のころより従業員として働いていた八巻さんがだるまや百貨店のあった場所に昭和60年ころに開きました。 

昭和時代から比べて、人々のお買いものスタイルはずいぶん変化しましたよね。日用品や食料品の宅配サービス、好きな時間にネット注文して指定した時間に届けてもらえる商品の種類もありとあらゆるものが可能です。希少なものでも世界中に捜して買うこともできるし、さらには自分の持ち物も簡単に売ることができてしまったり。特に平成時代に入ってからは、購入形態の選択肢が増えて一般家庭や各個人の買いものスタイルが多様化しました。日々の必需品を買うために人々が集った「だるまや」の歴史は、この地域の子供たちにも語り継いでいきたい「お買い物変遷史」でもあります。昭和時代より続くある商店の記録を、この地域住民の共通の記憶としてだけでなく、今後は子供たちの地域学習の資料として活用できるようにきちんと資料化したいと思いました。

 

 今回は昭和時代に南アルプス市とその周辺の人々が慣れ親しんだ商店の資料を収集することができました。

秋よりお付きあいのはじまった八田地区の方々に助けていただき感謝いたします。

Img20180110_16445637駿州往還沿いにあった「だるまや」の店前はクラブ自動車のバスの停留所になっていました。まだ未舗装で、道の右には桑畑が見えますね。写真奥が韮崎方面、手前よりが六科交差点方面です。

 清水一さんにご提供いただいた資料は、今後南アルプス市の昭和時代の買い物事情や商店の歴史を物語る貴重な民俗資料として有効に活用させていただきます。

うし子

 

2018年1月10日 (水)

六科でかわいい窓さがし(ついでに防火水槽)

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平成3019日(火)

こんにちは、うし子です。

お昼近くなって、やっと晴れてきましたね。

雨上がりの澄んだ光が、ここ八田ふるさと伝承館の大きな窓を通してうし子にも差し込んできます。窓の外をのぞくと、駐車場を横切る猫ちゃん達もうれしそうです。

 さて、八田地区内をいつもカメラを持ってうろのろ歩いているうし子ですが、事務室に帰ってきてから撮った写真を見返すと、窓枠と瓦の画像が多いんです。

特に、昭和初期(戦前)に建てられた民家には、当時の職人さんの美意識やこだわりが伝わるような造作が散りばめられていて、素敵なお宅が多いのですが、建具屋さんの力量が容易に見られる窓枠は特に素敵なんですよね。

小窓は瓦よりも見やすいところにあるので、思わずガン見してしまいます。

1385_2その中でも最近は、六科のこのお宅がうし子のお気に入りです。居住者の中島さんに了解を取って撮影させていただきました。

Dsc_0405六科中島家小窓①。松葉よね!オシャレだわ~。Dsc_0311Dsc_0402六科中島家小窓②③ 

 

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 小窓の造作が美しい六科の中島家は、隋心院のそばで、旧駿州往還沿いの辻にあります。

昭和のはじめに建てられたというお宅全体の佇まいも魅力的です。

 入口左にある赤屋根の小屋は旧井戸を改良したポンプ小屋だそうです。六科地区は将棋頭に守られていますが、水に乏しい地域ですから、この地区を歩くと、小規模な貯水池(防火水槽)もそこここに。その傍らには水神さんの石造物も見られます。

中島さんにポンプ小屋の中身を見せてもらいました。

水が少なくなると近所の人も汲みに来たそうです。井戸の釣瓶の痕跡もありますね。きっと深い井戸なんでしょうね。

 

 

 

610同じ六科地区にある内藤家の窓もステキ。

Dsc_0399防火水槽と水神 

Dsc_0397庭の貯水池(他にもまだまだたくさんあるよ!)

 六科を歩くときには民家のかわいい窓ウォッチングと併せて、ため池めぐりもどうでしょう?

うし子

2018年1月 9日 (火)

六科の八幡神社でのどんど焼き

平成3018日(祝月)


久しぶりに雨が降りましたね。うし子です。

 

Dsc_0440平成3018日午後3時より、南アルプス市八田地区六科の八幡神社で行われた、どんど焼きをレポートします。

 

 今日はあいにくお昼過ぎからみぞれ混じりの冷たい雨が降り出してしまいましたが、午後2時ころより六科地区の区長さん他数人の方々が八幡神社に集まりはじめ、どんど焼きの準備がはじまりました。

こちら六科地区のどんど焼きは一時途絶えていたものを今から20年位前に復活させたそうです。

オコヤやオヤナギなどの飾りつけはありません。

Dsc_0418_2八幡神社横のグランドの一角に笹を4本立てて縄を張って方形の区域を作り、その中で正月飾り等を燃やすシンプルなものです。

Dsc_0426午後3時になると、4本立てた笹の根元にお神酒をかけ、皆でそろって二礼二拍手して、点火されました。

 

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 その際、八幡神社の社殿前に飾ったりっぱな門松も燃やします。この門松は年末の
30日に地区の方が協力して作ったものですが、歳神様をお迎えするためだけの目的終えると、わずか一週間ほど後のどんど焼きで一瞬のうちに燃やしてしまいます。

どんど焼きの直前まで八幡神社に飾られていた門松

まさに松の内が終わったことを象徴する儀式でもあるんですね。毎度ながらこんなところに、日本人の神様との関わり方や美意識を実感します。

 

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六科地区の道祖神(石造物)の飾りつけは
715日の夏の道祖神祭りでは行いますが、どんど焼きの時にはしないそうです。

いつもは数人の子供たちが枝に刺した繭玉(だんご)をおばあちゃんなどに作ってもらって持ってくるそうですが、今年は天候が悪かったせいか子供の参加が少なく、繭玉をあぶる光景に出会うことはできませんでした。

Dsc_0432_2六科地区は昭和50年代まで立派な稚蚕飼育所があった養蚕地帯でしたので、うし子的にはちょっと寂しい気持ちもありましたが、小正月に神聖な火に集まる人々の姿は和やかで、美しいものでした。

年末の門松づくりからつながるこの小正月行事を六科地区の行事として継承していらっしゃる皆さんのことを素敵だなぁと思いました。

うし子

 

2018年1月 8日 (月)

春日居の富豪の家

平成3015日(金)

今年もよろしくお願いします。八田うし子です。

  正月休み明けから、八田地区野牛島旧名主の中島家資料にある明治・大正・昭和初期の写真の整理をしています。治水工事や村議会等の地域活動に関する記念写真の他、興味深い家族親類に関する、生誕・節句・卒業・結婚式・葬式などを記念撮影したもの、肖像写真等が多くあります。

Photo中でも、春日居村(現笛吹市)の奥山家の写真が多くあり、その素封家ぶりが目を引きます。

 

明治の終わりか大正のはじめに、野牛島の中島家から、「みさと」という人が奥山家に嫁いでいるのです。

明治時代?の春日居・奥山家家屋前集合写真「奥山」の名入りの半纏を着た使用人がいます。それにしても大きくて立派な家ですね!

 

 

みさとの兄五郎は御影村村長を二期務め、「御影村の西園寺さん」と呼ばれた人です。

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五郎の他の妹も大家に嫁いでいます。

五郎の妻「安子(安代)」も現昭和町の築地村名主でもあった銀行家内藤宇兵衛の娘です。

  前列右から三番目が中島家から嫁いだ「みさと」さんではないだろうか?一番手前に立っている人が夫の「奥山兼作」と推測しています。

3 家屋前で撮った奥山家集合写真は3枚ありますが、なかでも一番時代が新しいものと思われる一枚。


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前面の華やかなお姉さまたちが目を引きますね。

 写真の他に収蔵した中島家資料内の親戚間の書簡やハガキから、だんだんと中島家の親族・系類関係がわかってきました。

これらの婚姻関係には、山梨県内における明治以降の近代化(銀行・財閥や鉄道、電気等)に関する経済的な結びつきの在りようも読み取れそうな予感がします。

 

そこで、「みさと」の嫁ぎ先、春日居村奥山家についてどのような家業を営んでいたかなどをご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてくださいませんでしょうか?

姉妹の中で実家から一番遠くに嫁に行ったみさとの嫁ぎ先「奥山家」のことだけがよくわからないのです。

春日居町誌に記載のある林業組合の役員名簿に奥山姓が比較的多く見られることから、奥山家が林業に関係していたのではないか?という推測ができるのですが、明確なことがわかりません。もちろん、現在、春日居郷土館に調査をお願いしていますが・・・。

ちなみに「みさと」さんの夫は奥山兼作氏、義父は奥山源蔵という人物のようです。新年早々、御頼み事で申し訳ないうし~ 。

Photo_5豪勢な感じの奥山家花見 「奥山本家」の名入り半纏がみえます。

 

野牛島中島家資料には以上の写真のほかにも、富豪感漂う奥山家の宴会風景や冠婚葬祭時の集合写真が多数あります。

 奥山家ってどんな稼業を営んでいたのでしょうね?

知りたくてしょうがないうし子なんです。

うし子

 

 

 

2017年12月26日 (火)

高砂名物の枯露柿

 

平成291226日(火)

きょうも能蔵池から八田うし子がお伝えします。

11月後半から12月半ばくらいまでの間に南アルプス市上高砂・下高砂地区では盛大に剥いた柿を干す風景が見られます。
高く組まれたヤグラからモビールのようにつながれた何百個もの柿。その一つ一つが日差しを浴びて鮮やかなオレンジ色に輝きながら寒風に揺れるさまは、なんとも壮麗!

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下高砂 八ヶ岳おろしになびく


同じ山梨県の塩山松里地区の古民家の間に揺れる柿のれんも文句なしに風情があり有名ですが、南アルプス市高砂地区の枯露柿づくりの様子はもっと壮観かもしれません。

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上高砂の清水さん

2017年12月22日 (金)

八田の街並み今昔

平成291222日(金)

 

 こんにちは、八田うし子です。

 昭和47年に発刊された旧『八田村誌』に載っている写真や図をデジタルデータにして、
○○博物館で使用しやすいように整理しました。
現在、うし子は八田区域内の昭和時代くらいまでの古い写真を集めて記録に取っています。
でもあんまりどころかぜんぜんといっていいほど無いんです。

「年末の大掃除の際に古い写真のしまってありそうなところを見ていただいて、何か見つかったらぜひお知らせくださ~い!」と会う人みんなに声をかけまくっているような状況です。

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下高砂杉山商店前

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下高砂神明社通り

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徳永集落センター付近の通り

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六科交差点

 

 きょうはデータにとった写真をもって出かけて、同じアングルで現況を撮影してみました。
 周辺の建物は建て替えられていましたが、石造物や街路灯、現在も変わらず営業しているお店を手掛かりに頑張ってみました。
どうでしょう?
うし子

 

2017年12月21日 (木)

野牛島中島家百々村自普請一件

平成29年12月21日(木)

「百々村自普請一件」
こんにちは、八田うし子です。

きょうはめずらしく、ふるさと文化伝承館2階の事務室にこもって、古文書の整理をしました。
いま、うし子が集中的に取り組んでいるのは10月に野牛島の中島家から寄贈いただいた100点ほどの古記録で、なかでも、前御勅使川を挟んだ両岸にあった村同士の対立についての文書です。
 中島家は江戸時代に代々、野牛島村の名主をつとめていました。
 いまは道路となっている旧前御勅使川ですが、かつては水量が増した時には自分たちの村側の堤が切れては困るので、両岸の堤の高さや築き方について、川の北側にあたる六科村・野牛島村と南側にあたる百々村は常に緊張関係にありました。
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 調査中のものは江戸時代の終わりごろの文書で、元治元年五月~七月の間に相次いで市川代官所に差し出された三通の文書です。
この三通は『百々村自普請一件ニ付六科村野牛島村ニテ御普請役内藤様六笠様佐藤様江差上候願書控』と題し、まとめられていました。
 チョー簡単に内容をいうと、一通目は、六科村と野牛島村の名主が連名で、「前御勅使





川対岸にある百々村が堅固に堤を改修して困っており、意見を言っても聞き入れない」と市川代官所に訴えた文書。
二通目は、訴えられた百々村が「六科村と野牛島村の意見を聞き入れて堤を元に戻します」と市川代官所御普請役に報告した文書。
三通目は、有野村の理平という人を立会人として、六科村・野牛島村と百々村が和解し、連名で訴えを取り下げます」と代官所に報告した文書であることがわかりました。
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 文書の中には江戸時代の治水工事に関する用語や現在は残っていない字名(地名)などが散りばめられており、大変興味深いものでした。たとえば、「合掌枠・瘤出・菱牛・前囲・小枠・蛇篭・笈牛」などの水制施設名、また「自普請・御普請・定式普請・急破普請・水防普請・法外・達瀬・水刎・切所・模様替堤」などの治水に関する用語、さらに「字往還・字上干草・字下干草・茨原・字古むじな・字狐林」などの現在は使われていなかったり、忘れ去られてしまった地名等です。






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 数日前、うし子は実際に論争の現場だったと思われる堤跡を探して、足を運んでみたのですが、残念ながら文書内で問題になっていた百々村側の字下干草堤(現在、御勅使中学校付近)と野牛島村側の字狐林堤(現在、山梨トヨタ寮付近)には痕跡がみつからなかったです。


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ちょっと場所が違うのかなぁ?発掘調査もされていない地域みたいだし。
よし、やっぱり、治水史のスペシャリストである齋藤さんに聞いてみましょう!

教えてもらったら、またご報告しま~す。うし子

2017年12月20日 (水)

榎原中沢瓦店

平成291220日(水)

こんにちは、八田うし子です。

今日の午前中は八田地区榎原の瓦窯跡を取材に行きました。

ここ中沢瓦店は先々代まで、地元八田の土を原料として製瓦業を営んでおられました。
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南アルプス市で瓦といえば、瓦会館のある加々美が有名ですが、
御勅使川扇状地の堆積物のうち製瓦にきわめて良質とされる粘土は、
そのほかにも野牛島・榎原・上八田・下今諏訪でも産出しました。

野牛島では昭和
50年代くらいまで西の神あたりで粘土を採掘していたとの証言を得ています。


中沢瓦店さんの敷地には、今は使われていませんが、製瓦を操業していた時の釜と作業場が残っています。
きょうはその現状を撮影してきました。

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 午後は甲西で古文書先生の西海女史に指導してもらいます。
野牛島の元名主宅にあった文書についてうし子の読み下しでよいかどうか添削をお願いしました。
あ~どうでしょうか、ちょっとドキドキする~!

うし子

«はじめまして!○博調査のつれづれをつづっていきますね!