2018年6月19日 (火)

真っ赤なスピードスプレーヤー(SS)

こんにちは。

Dsc_2238_2  果樹栽培の繁忙期を迎えている白根地区を踏査していて、よく見かける流線型の真っ赤なかっこいい車があります。

その名は「スピードスプレーヤー」、通称「SS(エスエス)」。 

果樹栽培地帯でしか見られない特殊車両です。

果樹園において、主に害虫を防除する目的で用いられる液体薬剤を効率よく散布するための自走式噴霧機です(南アルプスの農家では、サクランボ・スモモ・モモ・ブドウなどの果樹農園で使用し、水まきにも使っているのをみたことがあります)。

Dsc_2228_2 「あっ! スピードスプレーヤーを発見!!」給水塔の前を発信した1台目の後に、次に給水を行うSSが道の反対側に待機していました。「撮影申込チャンス到来!」

 

Dsc_2230_3 ここは飯野地区のウェスタンライン沿いにある給水塔。後ろに見えるハウスは、サクランボ栽培に必要な通称「サイドレス」という設備。

Dsc_2232_2「こんにちは~、撮影させてください~い」

いまSSのタンクに給水塔から水を注入しているところ。

 

この自走式の薬剤噴霧器は、戦前よりアメリカでは普及していましたが、日本では昭和30年に、北海道豊丘町(現余市町内)のリンゴ農家が、アメリカ製を導入したのが初めてだそうです。

これを機に、日本でも次々と各メーカーが開発に乗り出し、果樹地帯の農家に普及した現在は、大手3社のいずれも真っ赤なSSが日本の名だたる果樹地帯の中を行き交っています。

Dsc_2234 タンクの水に奥さんがブドウ用の薬剤を測って加えているところ。

Dsc_2233 薬剤もみせてもらいました。

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 南アルプス市内の果樹地帯を真っ赤なSSが行き交う風景は当地の地域住民には見慣れた普段の光景かもしれませんが、やはり果樹生産地帯ならではの風景ですよね。

白根地区は導入がはやく、北海道の豊丘町と同じように、第一号はアメリカから輸入したものだったと聞いたことがあります。本当なのか?噂話なのか?今のところ記録がないので、確かめたいです。

農閑期の9月には、JAこまの百田で展示販売会が行われるようですから取材に伺う予定です、白根地区での導入期の様子を語ってくれる人に是非お会いしたいものです。

SSの後ろ姿もかっこいいですね。散布するときは後ろにあるファンを回して薬剤を霧状にして飛ばし、上部の枝や棚上のブドウの木にもまんべんなく薬剤が届くようになっています。

 そのほか、「我家にSSが初めてやってきた日」を記念撮影した写真などがありましたら、市民の皆さんにはぜひ南アルプス市ふるさと○○博物館までお知らせ願います。

 市内をうろうろしていると、SS以外にも、テーラーや自走式の草刈り機や昇降作業台など、いずれも赤っぽくてかっこいい作業車に多く出会います。

天気が良いと、原七郷の美しく手入れされた果樹の緑をバックに、ところどころに設置されているなぜか2トーンカラーの給水塔、様々な果樹栽培用作業車の赤がよく映えて美しい風景なんです。

水に悩まされてきた御勅使川扇状地を生き抜いた人々が作り上げた「これぞ現在の原七郷の景観!」を歴史的に価値づけして記録するのが目標です。

ちなみに、このSS、とっても高価な車なのだそうですよ。この時期、果樹地帯の道を運転するときには、出会い頭の事故に特に気をつけたいと思います。

白嶺みづほ

2018年5月15日 (火)

昭和30年代の棟祭り(上棟式)

 こんにちは、みづほです。

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棟祭りの飾りつけ 

 十日市場のSさん宅から、昭和
30年代の棟祭りの様子を撮影した写真をお借りしました。

3冊のアルバムには、昭和30年代の棟祭りの詳細が時系列でドキュメントされており、すばらしい民俗資料です。

今回はその一部をご紹介しましょう。

B_2←上棟式前の大工さんたちの腹ごしらえ(昼食)。ご近所の奥様方が総出で料理の準備や給仕をなさっているようですね。
B_3←大工さんのお昼のおかずはアジフライみたいです。狭い通路にズラーと机を並べて、なんだか壮観です! 

Bdsc_1815_2←ちなみに、上の写真の場所の現在の様子。右の家屋が上の昭和30年代に棟上祭りをした家です。
B_4棟祭りの準備と祝いの品々

B_5←下では待つ人々。この後、お餅と杉葉を筵でくるんだ祝品が上から投げられ、この人たちは拾ったのでしょう。 

B_6←男衆(おとこし)の棟祭り後の宴 

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←女衆(おんなし)のごくろうさん宴会でしょうか。どんなごちそうが並んでいるのでしょう。真ん中の一升瓶ワインがいい感じですね。

 

 昭和30年代の棟祭りの写真からは、男も女も子供も、ご近所さん総出で同じ地域に住む一家族の新築の祝いを運営し、お祝いしたことがわかります。近所で家を造る家族がいたら、地域ぐるみで応援した時代だったんですね。

ふるさと○○博物館では、古い写真をお借りして、画像データを取らせていただいたあと、持ち主に返却するという作業も行っています。

 Sさんのお持ちの写真からは、他に、昭和初期の三恵尋常高等小学校卒業記念や、亡きお父様の満州への従軍時の写真等をお借りしました。

データ化して○○博物館で活用させていただくことで、個人のお宅に眠っていた写真が、市民全体の地域教育や学習に活用できるようになります。

 立派な記念写真よりも、家族の何気ない風景にこそ、先人たちの生きざまがにじみ出ていることが多いです。

 古いアルバムを処分しようとなさっている方が身近にいらしたら、是非、ふるさと〇〇博物館の存在をお知らせください。

昭和時代がだいぶ過去のものとなり、平成時代も、もうすぐ終わろうとしています。

写真の中に写っている人がいなくなって、もう見る人はいないだろうとは思わないでください。

家族だけの思い出にとどまらず、南アルプス市民全体の思い出写真にしてくださいませんか? 

ご協力よろしくお願いいたします。

2018年5月14日 (月)

「おかぶと(かなかんぶつ)」いろいろ!

こんにちは。

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平成30年5月21日(月)まで、安藤家住宅では端午の節句の展示が行われていますが、先日、ニュース映像でその様子をご覧になった市内の方から、現在お持ちの「おかぶと」を寄贈したいとのお申し出をいただきました。

大きさも様々な合計8点のおかぶと(かなかんぶつ)のモチーフはそれぞれ違い、代表格の武田信玄だけでなく、天狗や役者、源氏の大将たちといったようにバラエティーにも富んでいます。

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甲州独自の節句飾りの代表格であるおかぶとは、江戸時代に甲府の問屋が独自に作り始めた地細工物です。


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このおかぶとの製作技術は、二月の若草十日市での名物である、甲州だるまの製作と繋がっています。




Img20180424_13554205_2本来のおかぶとはかつて、このような飾り方をされたようです(上野晴朗「やまなしの民俗」による)。

しかし、この図にある「まえだち」の部分を構成する「おうしょう」「くわがた」の部品には、なかなかお目にかかれません。

 おそらくこの部分は、「たれ」と同じく、紙製だったのではないでしょうか。

 推測するに、大事に保管していたお宅でも、しだいに当初の飾り方を簡略化し、「まえだち」の部品の存在が忘れ去られて、蔵の隅に置かれるうちに、時が経て埃をかぶって紙屑のように見え、そのうち捨てられてしまったのかもしれません。

 もし、お宅のお蔵や屋根裏で「おかぶと」を発見した際には、まわりにある紙切れのようになっている物体も大事にとっておいて見せてくださるとうれしいです。おかぶとの「まえだち」の部分かもしれませんよ。

 

 寄贈者の方からは「今まで家で飾っていたが、これからは、安藤家住宅で展示して、この飾りがどんなものか、多くの人に観てもらいたい」というありがたいお言葉をいただきました。

 

 来年の安藤家住宅での端午の節句飾りをぜひご期待ください。バリエーションが増えて、おかぶと(かなかんぶつ)って、「武田信玄だけじゃなくて、いろいろあるんだ!」とか、「本当はこんな風に飾るのね!」とか、「大きさもいろいろあるのね!」等、来場した皆さんに、毎年来ても新たな発見をしていただける展示になりますように!構想が膨らみます。

 

 

 

2018年5月13日 (日)

上今井のお宅で横沢びなを発見!

Dsc_1621こんにちは、ふるさと○○博物館調査員のみづほです。

先月、上今井のあるお宅からお電話をいただき、お蔵に眠っていた資料を見せていただきに参りました。

その際、明治28年に建てられた蔵の中からは蚕具や農具、大正・昭和期の写真、武者幟やひな人形などの節句飾りを文化財課3人と所有者の方々とで見つけました。

 今回は、その中でも、出会いを熱望していた「横沢びな」が多数、箱に入った状態で発見されましたのでご報告します。

Dsc_1620_2←そうそう、だいたいこんな風に、箱の中にいっぱい重なり合っている状態で発見されるのですよ、横沢びなは。

過去に中央市で発見した際にも、このような状況でした。

まさに横沢びなの典型的な発掘状況です!

Dsc_1617←人形の状態も良好であることに加え、たいへんすばらしいことに、箱には大正4年の墨書がありました。

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 横沢びなは、江戸時代に甲府にあった四軒の雛問屋が製作しはじめ、昭和初期まで残った二軒の問屋で製作され続けたことが、昭和時代に書かれた上野晴朗氏の著作にあり、2枚の写真と製作者への聞き取り等をまとめた文章が「やまなしの民俗」に示されています。 

 いまも山梨県内に現存・公開されている横沢びなは、中央市豊富郷土資料館に多数あり、南アルプス市にも昨年度からの収蔵分を含めて15体ほど(今回発見の人形を含めないで)の所蔵がありました(南アルプス市では、安藤家住宅でのひなまつり展期間中に展示)。

しかし、それらの人形群を実際に見ると、上野氏の記述にある以上にバリエーションが豊富にあるので比定が難しく、どのような人形であるかという実態把握への新たな研究が必要な状況です。

Dsc_1628←同時に見つかった端午の節句の武者幟(井上染物店製)

今回は、大正四年当時に販売された人形であることが明確にわかる横沢びな一式の発見ということで、情報の少ないこの雛様の実態に迫る貴重な研究資料となります。

甲州独自の上巳の節句飾りである「横沢びな」がどんなお人形であったか?南アルプス市民にとってこの横沢びなはどんな存在だったのか? ふるさと〇〇博物館調査員として今後の課題です。

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所有者の方とは、横沢びなを含めて今回の訪問でお預かりした資料をご寄贈いただく手続きが進んでいますので、

半年以上先になりますが、来年1月の安藤家住宅での展示ができそうです。

今から楽しみです。

←同時に発見された大正・昭和期の古写真

2018年5月 6日 (日)

柿の摘蕾(平成30年5月1日)

 こんにちは、みづほです。

Photoこれは柿の花のつぼみです。

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←小野家のお父さんは摘蕾と同時に余分な葉も取り除いている(日光を当たりやすくするのと消毒しやすくするため)。

 きょうは、上八田の果樹農家小野さんの柿畑で、柿の花のつぼみを間引く作業である「摘蕾(てきらい)」という作業を中心にみせていただきました。

農家が品質の良い果実をつくるために行う「摘」という字がついている作業には、他に「摘芯」や「摘花」、「摘果」などあるそうです。めでたく出荷される果実が、蕾の段階からいかに多くの人の目によってチェックされ、選抜されてきた、選ばれた個体であるかということを知ると、毎年美味しく食べているだけだった地元の果実の貴さを、改めて思い知らされます。

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長さ
20センチくらいの枝には一つ。5060センチくらいの枝には状況がよければ2つくらいを残して、後は摘み取ってしまうのだそうす。   

しかも、個々の大きさや形、枝のどの部分に、どの向きでついているかなどの条件を瞬時に判断して、残すべき果実を認識する農家の目の凄さ!

次から次へと蕾をむしり取る手指の動きの速さは、職人技でした。

5脚立に乗っている小野農園の真の主(ご家族いわく!)であるお母さんと、小野家の若いお嫁さんも、すごい速さで柿の摘蕾を行っていました。

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←こちらは摘果作業前の桃の実

 みづほも、どんな基準で残すのかを教えてもらってから、少しだけ体験させてもらったのですが、どれを残すのがよいか悩んでしまってなかなか手が進みませんでした。

一応、教科書的に摘蕾や摘果の技術論は理解できるのですが、実際の枝を見れば、一枝ごとに当然のことながら個性のある花や実の付き方をしていて、微妙な果実の選択はやはり作業する人の経験値に基づきます。

そう考えると、作業中の小野家のご家族4人の中にはもちろんしっかりと基準が存在するわけで、繊細なセンスを必要とする作業を黙々と手早くこなしておられる姿に尊敬の気持ちが沸き起こりました。

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←モモ(自家用)の摘果について教えてくださっている勝也さん

さらに、モモについては、摘果の段階でも「予備摘果」→「本摘果」→「見直し摘果」と三段階に分けて行うことがこのあたりの桃農家の常識だそうです。すごいなぁ~!

 一つの実を育て上げるために、人の手がなんと多くかかっていることでしょう。

収穫以外に摘む作業を、これほど多く行わなければいけないなんて、想像以上でした。

 今年は3月終わりからの春の訪れが一週間ほど早まったせいで、小野農園でも、柿と同時期にすももと桃(自家用)の摘果も進めねばならず、たいへんお忙しそうでした。そのような最中にあっても、快くご家族が迎えてくださり、勝也さんには各畑を丁寧に案内していただき申し訳なかったです。

 でも、これで、小野家の主要果樹畑の場所をだいたい教えていただいたので(感謝!)、次回からは一人でも様子を見に行くことができそうです。

2018年5月 3日 (木)

この「おぶっく」の名は?

こんにちは、白嶺みづほです。

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あの~私、この「おぶっく」の名前がわからないのですけれど、すごく美味しかったんです。

去る4月21日の上八田の大嶽講に、トミコさんが持ってこられたおぶっくなんですが、

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←その本人のトミコさんに聞いても、「そんなもの名前なんて知らないですよ。小麦粉に砂糖入れて、卵と水でまとめて、包丁で切ってからこんにゃくみたいに切り目を入れて、くるんとしてから揚げる、そんなに洒落てはいないけど、まぁドーナツみたいなものだよね」との返事。

 とはいっても、かりんとうよりは断然柔らかく、ドーナツに比べればしっかりとした歯ごたえが魅力的な何とも味わい深いお菓子です。

トミコさんがお持ち帰りしやすいように、ビニール袋に入れてもたせてくれました。

Dsc_1524_2←手前にある緑色のお漬物はキョウコさん作のきゅうりの粕漬です。

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大嶽講の終わった後の歓談タイムでは、机の上にいろいろな手作りの煮物やお漬物が並びます。

 昨年から冷凍庫で寝かせてあった自家製きゅうりの粕漬(緑色がとってもきれい)と卵と竹輪とタケノコの煮物(たけのこの風味を最大限に生かした薄めの味つけがおいしい)は、青い帽子がおしゃれなキョウコさんのお手製です。

あ~、すみません。この小麦粉を原料にした素朴なお菓子に話を戻しますけど、

事務所に帰ってみんなにもらってきたのをみせると、

「うん、見たことある」

「もらったことある」

「食べたことある、ある」と口々にいうのです。

けれど、このお菓子の名前はみ~んな知らない。

こんなにおいしいのに~!

「むかし、百々村の役場前で、夕方になるとこのお菓子を売っている人がいたじゃんね」という話も耳にしたのですが・・・。

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どなたかご存知でしたら、このお菓子の名を、ふるさと文化伝承館にいるみづほまでお知らせください。

素朴な見た目ですが、くせになる美味しさです。その名が知りた~い!!

(ちなみに「おぶっく」とは神仏にお供えしたり、お祭りなどで振舞われるお菓子のことです。山梨では皆がよく使う言葉ですよ)

みづほ

2018年4月30日 (月)

上八田那賀都神社の大嶽講

こんにちは、みづほです。

 上八田薬師堂にある那賀都神社(なかとじんじゃ)421日(土)に大嶽講(だいたけこう)が行われると聞いたので、取材に行ってきました。その前日に、上八田地内フィールドワーク中に出会ったトミコさんから偶然に運よく教えてもらえた情報です。

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時に小さなお堂に伺うと、中には五人のおばあちゃんたちが座っていらして、トミコさん以外の方々にはじめましての挨拶を終えると、すぐに講がはじまりました。

ろうそくに火をともし、太鼓をたたく音に合わせて「ダーイターケサーンナーカトーノジーンジャー、オーヤーマズーミノーカミー、オーイーカヅチノカミ、タカオーカミノーカミ、ロッコーンショージョー、ツツシミウヤマイテ、キーガーンタテーマツールー」と節をつけて何度も祝詞を唱和します。




講の手順を最初からまとめると、

「講の仲間が集まったら堂の中に入り、年長者が太鼓をたたいて音頭をとって、『大嶽山那賀都神社祝詞』を10回皆で唱える。

Dsc_1515その際、回数を間違えないように、白い碁石を並べて数える。さいごにもう一度みなでゆっくり同じ祝詞をあげておしまいにする」というものです。

祝詞のあとは、おぶっくを下げて、持ち寄った漬物やお菓子、煮物など食べながら歓談します。




この大嶽講は、三富釜上口赤の浦の大嶽山那賀都神社を信仰するもので、祝詞に出てくるオオヤマヅミノカミ(山の神)、オオイカズチノカミ(雷の神)、タカオカノカミ(水の神)がご祭神です。

Dsc_1508ここでは、明治時代に勧請したようです。

かつては、毎月15日の夕食の終わった夜に集まって行っていましたが、戦後昭和30年代後半から夕方にやるようになり、平成にはいってからは午前中に行うようになりました。

さらに、近年は5月から10月までは果樹農業が忙しいので、講は休みになるとのこと。11月には講をするが、12月から3月までの寒い時も、最近は休んでいるそうです。結果的に、昔は月に一回、夜にろうそく立ててやっていたのが、現在は一年のうち4月と11月に行う程度だとのことでした。

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昔から講には、おばあさんたちだけが参加するものだったそうですが、上八田では、この大嶽講を熱心にしているおかげで、「特攻隊志願者一名を除いて、兵隊に行った人が全員無事に帰ってきた。戦死者が出なかったの」だそうです。

昭和30年代くらいまでは、年に一回の那賀都神社の祭り(318日)の時に、神社から、道祖神までの50メートル位に提灯をかけて、神輿(現在もお堂の中に保管されている)も繰り出してお祭りし、演芸会もやったのを覚えているそうです。

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 おばあちゃまたちはちょうど昭和
30年代に若い嫁だった世代の方々ですので、上八田のいろいろな昔話をもっと聞かせてもらいたいと思いました。

11月の大嶽講にもぜひお邪魔したいです。

小野さんちのブドウ畑と富士山の農男4月27日(金)

こんにちは、みづほです。

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今週もブドウ畑の様子を見にいってきました。

無数の新芽が力強く天を見上げていました。

Dsc_1691いつも撮るブドウの木。

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枝から飛び出した若い芽は、みんな自由に空を目指している。

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小野さんちの畑のある曲輪田からは、富士山がとてもよく見えます。

ここのところの気温上昇と雨の影響で、富士山の雪もだいぶ解けてきましたね。

皆さんは、その雪形の中に「農男」がいるのがみえますか?

 じつは、最近、刻々と変化する富士山の雪形を毎日チェックしていました。

というのも、古記録に詳しい信清由美子さんに南アルプス市から見える富士山の雪形のひとつである「甲斐の農男(のうおとこ)」について教えてもらったからです。

富士山の雪形に「農男」が出現すると、甲斐の人々は籾を浸水して田植えの準備を始めたと伝えられているそうです。

↑この画像を撮影した二日前に信清さんから「いま農男がみえてますよ~」という連絡をもらっていたので、雪形の中に農男がいるのは間違いなさそうです。

雪が解けた黒い部分の形が農具を持った人の形に見えるそうですよ。

H300426こちらは、徳永のハッピーパークからみた平成30426日の農男。

 でも、今年は男の足の部分の雪が完全に溶けてしまっていて、上半身しかないようですので、わかりにくいです。

13ちなみに平成13年の「農男」の画像。『夢白根百年の回想』より

みづほには、画像の赤まる内に農男がいるように見えます。(正解ですか~?信清せんせ~?)

みなさんには見えますか?市民の皆さんは本物の富士山を見てチェックしてみてください。

 来週はもう五月!ブドウ畑も富士山もどう変わっているか楽しみです。

2018年4月24日 (火)

安藤家住宅の端午の節句幟

Dsc_1356こんにちは、みづほです。

こいのぼりを住宅内に吊り下げる文化財課西野氏

  

南アルプス市の重要文化財安藤家住宅では、いま端午の節句の室礼がされています。

おかぶと(かなかんぶつ)をはじめとする甲州独自の節句飾りが、皆さまをお迎えしています。

昨年いらしていただいたお客様にも、新たな楽しみを見いだしていただけるように展示を考えました。

初お目見えの節句幟は、その大きさと色、繊細な顔の表情を間近にご覧ください。

Dsc_1357 戦前に作られた節句幟の間

 

Dsc_1361真ん中の軍人は広瀬武夫中佐であると文化財課保坂さんに教えてもらいました。この方は、日露戦争の旅順港閉塞作戦で戦死したそうですが、たいそう部下思いの指揮者として、戦前まで軍神として崇められたそうです。十日市場の井上染物店さんで作られたものです。


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こちらの武者幟、背景の水の文様の青のグラデーションが非常に美しいです。甲府の古谷染物店製。

Dsc_1362 こちらは、記紀伝承上の人物。神功皇后と赤ちゃんの応神天皇を抱く武内宿祢。戦前にとても人気のあった端午の節句のモチーフです。たいへん鮮やかで、筆致も精巧です。こちらも武者幟と同じ甲府の古谷染物店です。

 

昨年もいらしていただいたお客様にも、新たな楽しみを見いだしていただけるように、お手伝いのみづほも考えました。

初お目見えの節句幟は、その大きさと色、繊細な筆顔の表情を間近にご覧ください。

 

 

2018年4月22日 (日)

小野さんちのブドウ畑4月20日(金)

こんにちは、白嶺みづほです。

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果樹農家小野さんちのブドウ畑の場所を教えてもらってから、一週間たったので、その後の様子を見に行きました。

あまり変化がないように見えますけれど、

近づくと、はじけるように開きはじめたちいちゃな緑の葉っぱがチョコンちょこんと枝の所々にくっついています

Dsc_1405 ←平成30年4月20日(金)

24←平成30年4月12日


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一週間前には笑っていたように見えた山の桜が見えなくなって、ブドウ畑周辺の景色に青さが増しました。

これから、ぐんぐんと気温も上がってきています。来週はすごく変化していそうな予感。

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