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2017年12月19日 (火)

はじめまして!○博調査のつれづれをつづっていきますね!

 はじめまして、八田うし子です。

南アルプス市ふるさと〇〇博物館の調査員をしています。

地域を歩いたり、おじいちゃんおばあちゃんのお話を聞いたりして地域の資源を掘り起こしている日々です。今日から、そんな日常を紹介していきますね!

きょうは、南アルプス市榎原区集落センターにお邪魔して、おばあちゃまたちから面白いお話をたくさん聴かせてもらいました。榎原区の元気で楽しいおばあちゃまたちとお会いするのは今日で4回目です。
いつも優しく招き入れてくださって、帰るときには「また来週もきてね、待ってるからね!」と言ってくれます。ありがたいです。

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 昭和の初めから50年代くらいまでの榎原区の生活、とりわけ、「お蚕が床の間、人間が土間で寝ていた」という養蚕が生活の中心であった頃の話や、昔の主婦たちのお買い物事情として、近在のどの店にどんなものを買いに行ったかなどいままでに聴かせてもらいました。
 榎原に唯一日用品から食料品まで買えた店だった杉山定平商店、そのほか下高砂の杉山商店、穴水商店、徳永の手塚ストアー、野牛島の志村衣料品店、六科のだるまや等、おばあちゃんたちの口から次々とお店の名前が飛び出しました。


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 昭和40年代くらいまでは、いろいろな行商も来ていたそうですね。
たとえば、野牛島のシムラのおじさんや六科の人がリヤカーに乗せてくる「日用品・衣類」、上八田から来る「ほうき売り」、徳永の人が売りに来る「とうふ」、富山から来る「薬売り」、「ロバのパン屋」も「金魚や」も「アイスキャンデー屋」も榎原に来たから買ったそうです。
とりわけ、「瀬戸物屋」は
昼間にお茶碗同士をカチャカチャたたいて人寄せして、夜に店を広げて瀬戸物をたたき売りしたそうです。
その時の口上がとても面白くて、売りに来るのが楽しみだったとのこと。
10個くらいを藁縄できれいに結わえてもらって家に持ち帰ると、使えないことはなかったけれど、ちょっと底が歪んでガタガタするような品物ばかりだったそう。
榎原では集落センターのとなりにあった畳屋さんの庭先で瀬戸物の行商人が自動車でやってきて店を開いたんですって。



 
11_2 今日は特に、大正
11年生まれの杉山ナツエさんに岡谷で製糸工場の工女として働きに行っていた頃のお話を中心に録画してきました。
青春時代のとっても楽しいお話をたくさんしてくださいました。
ナツエさんは
十六・七歳(昭和1314年)の頃、2年間岡谷の製糸場で働いたそうです。
彼女は龍王駅から電車に乗っていったそうですが、当時は山梨県中からたくさんの女の子たちが岡谷に行って女子寮に入り、女工をしていました。
ナツエさんにとって女工時代は楽しい思い出がいっぱいだったそうで、男女交際禁止のなか夜に布団の中で内緒で読んだラブレターの話とか、厳しい仕事の中でも青春を謳歌していた様子をたくさん話してくださいました。

80年前の日本経済を支えていた製糸工場の女工さんの実際の仕事の様子や生活など、生の証言を聞けて幸せでした。


ナツエさんに出会えて感謝!ありがとうございます。うし子

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