八田長谷寺初午祭りの記録
平成30年2月7日(水)
原七郷の守り神である八田長谷寺は天平年間に開創といわれ、古くから雨乞いの祈祷所としても有名ですが、二月の最初の午の日に行われていた初午祭りも甲斐国中に名の知れた盛大なお祭りでした。
←原七郷の守り神、上八田の観音である八田長谷寺は山梨県南アルプス市榎原にあります。
かつて、八田長谷寺の初午祭り(上八田の観音)には、興蔵寺の初午祭り(宮原の観音)と狐月山浄光寺の初午祭り(倉原の観音)とならんで、着飾った馬を連れた参詣人が多数押し掛けました。
今年の初午は2月7日(水)ですが、現在ではどちらも行われていませんので、その様子は文献などから想像するほかありません。
上野晴朗著「山梨の民俗上巻(昭和47年刊)」による『山日新聞(明治23年)』からの引用には「・・・中巨摩郡上八田村の観音は毎年非常に賑ひて、各農家にては持馬を美麗に飾り立てて参詣に行くを恒例となし、随て多くの露店等も出て、なかなかの人出なり。・・・」とあります。
←左:鐘撞堂 右:観音堂
更に詳しい記述としては、若尾謹之助著
『甲州年中行事(大正時代記)』に
「上八田の観世音 祭礼の当日念仏講なるものありて念仏唱え、又僧侶の読経あり、此日氏子は馬を連れて参詣を為す、馬には尾に長き注連(大なるを一本)を着け、黄、紅、白等各思ひ思ひの布にて綯ひ、或は其儘なるを手綱となし、胴には美麗なる装束を着せ、十数個の鈴を付けたるを二人にて口を取りて引き行くなり、参詣の後鐘撞堂の周囲を七回廻るを例とす、口取りは華美に装ひ片肌抜ぎにて友禅模様等の襦袢を露はし、頭に扇子を組み合わせたるを笠となし揚々と繰り込むなり、又之を見物せんが為男女群集す」と記されています。
引用が長くなってしまいましたが、うし子的には上八田の念仏講が初午祭りに合わせて行われていたことも興味深いです。
でも何といっても、頭から尻尾までを煌びやかに飾り立てた馬たちが鈴をシャンシャン鳴らしながら鐘撞堂の周囲をぐるぐるしている様子を想像すると、当時の人々を群衆させたこの祭りの吸引力が理解できます。
もし明治時代にうし子が生きていたなら、絶対に「見てみたいわぁ~」って思いますもの。
それから、その着飾った馬を引く人もすごく派手な恰好をしていたみたいで気になりますよね。
この文章から、往時の賑わいが相当なものであったことがわかります。あ~、いまは市内で全く行われていないなんて残念です。
歴史的に見ても、南アルプス市には牛馬の骨の大量出土で知られる平安時代の大集落であった百々遺跡や八田の御牧の存在もあるので、江戸時代・明治・大正期に、この地で馬に関するお祭りがこんなに盛大に行われていたという往時の記録は興味深いです。
← 長谷寺は平安時代には湧水地であったといわれている。
ちなみに、初午の祭りは現在行われていませんが、長谷寺では国指定重要文化財の本堂(観音堂)に納められている県指定文化財の木造十一面観世音(次の御開帳は平成36年)の祭礼が、今年も3月18日に行われます。
現地で初午祭りを想像しながら、お出かけしてみるのもどうでしょう。
うし子
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