上今井のお宅で横沢びなを発見!
先月、上今井のあるお宅からお電話をいただき、お蔵に眠っていた資料を見せていただきに参りました。
その際、明治28年に建てられた蔵の中からは蚕具や農具、大正・昭和期の写真、武者幟やひな人形などの節句飾りを文化財課3人と所有者の方々とで見つけました。
今回は、その中でも、出会いを熱望していた「横沢びな」が多数、箱に入った状態で発見されましたのでご報告します。
←そうそう、だいたいこんな風に、箱の中にいっぱい重なり合っている状態で発見されるのですよ、横沢びなは。
過去に中央市で発見した際にも、このような状況でした。
まさに横沢びなの典型的な発掘状況です!
←人形の状態も良好であることに加え、たいへんすばらしいことに、箱には「大正」の墨書がありました。
横沢びなは、江戸時代に甲府にあった四軒の雛問屋が製作しはじめ、昭和初期まで残った二軒の問屋で製作され続けたことが、昭和時代に書かれた上野晴朗氏の著作にあり、2枚の写真と製作者への聞き取り等をまとめた文章が「やまなしの民俗」に示されています。
いまも山梨県内に現存・公開されている横沢びなは、中央市豊富郷土資料館に多数あり、南アルプス市にも昨年度からの収蔵分を含めて15体ほど(今回発見の人形を含めないで)の所蔵がありました(南アルプス市では、安藤家住宅でのひなまつり展期間中に展示)。
しかし、それらの人形群を実際に見ると、上野氏の記述にある以上にバリエーションが豊富にあるので比定が難しく、どのような人形であるかという実態把握への新たな研究が必要な状況です。
今回は、大正時代に販売された人形であることが明確にわかる横沢びな一式の発見ということで、情報の少ないこの雛様の実態に迫る貴重な研究資料となります。
甲州独自の上巳の節句飾りである「横沢びな」がどんなお人形であったか?南アルプス市民にとってこの横沢びなはどんな存在だったのか? ふるさと〇〇博物館調査員として今後の課題です。
所有者の方とは、横沢びなを含めて今回の訪問でお預かりした資料をご寄贈いただく手続きが進んでいますので、
半年以上先になりますが、来年1月の安藤家住宅での展示ができそうです。
今から楽しみです。
←同時に発見された大正・昭和期の古写真
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