安藤家住宅に十五所花輪家伝の七夕人形を飾りました
今週の土曜日は七月七日ですね。
重要文化財安藤家住宅にも先週から笹竹が立てられ、七夕の室礼がされています。
今年は、その笹竹に、昭和初期に南アルプス市十五所花輪家でつくられ、飾られていたという七夕人形を再現して飾りました。
山梨の七夕では、紙で作られた男女一対の星神様を飾る風習があります。
全国的には、七夕人形の伝統は信州松本が有名ですが、山梨の人形とは趣が全く違います。
山梨の七夕人形は、色付きの半紙を端をそろえて折って、ハサミで様々に切込みを入れるだけでつくられるたいへんシンプルな人形です。
ハサミの入れ方には山梨県内の各地域や各家で様々なバリエーションがあることが報告(「山梨の七夕人形」信清由美子氏)されています。「たもとや裾に細かく切込みを入れて下に長く下げ、ひらひらと風になびくようにする」という共通の特徴があります。
さらに、七夕の夜が終わった後からは、その人形は、泥棒除けの守り神となり、蔵の入り口や田畑に置かれるという面白い習俗も含んでいます。ですから、東部地域ではその呼び名が「星神さま」「七夕さま」→「お留守居さん」「泥棒除けの神さん」と変わるようです。
近年、山梨では、県東部笛吹川流域での分布についての発見や報告が注目されています。
しかし、明治初期の文献には甲府善光寺でのスケッチ付きの報告(山中共古「甲斐の落葉」)があったり、上野晴朗「山梨の民俗」には、釜無川下流の甲西町落合の七夕人形発見が写真付きで報告されていますので、現代の私たちが忘れ去ってしまっただけで、実は昭和初期くらいまでは山梨県内各所にこの風習は広く分布していたのでしょう。
さて、今年の安藤家住宅の七夕飾りを準備するにあたっては、前掲の信清さん(山梨の七夕人形研究の第一者)が取材した南アルプス市十五所花輪家伝来の七夕人形の切り方を取材者ご本人から指導いただきました。その他南アルプス市の七夕人形文化についての情報も教えていただきました。
その信清さんの考察によると、どうやら、南アルプス市の七夕人形はこれまでに多く報告されてきた県内東部の人形とは違う特徴があるようなんです。
←裾ではなく、袖を長く切り下げる十五所花輪家の七夕人形
山梨東部でこれまで収集された七夕人形は、人形の裾(足)を長く切り下げるものだったのに比べ、釜無川より西部の南アルプス市十五所花輪家の人形は、裾や足ではなく、袖(袂たもと)を切り下げる型式なのだそうです。
これから、〇博でも「昭和初期に櫛形地区十五所で、お母さまが七夕に作っていらした人形を、自ら作ってご家族に伝えている方」へ直接取材をできるよう調整しているところです。いまはもう忘れ去られてしまった市内のステキでマジカルな七夕人形文化について、今後掘り下げて調査していきたいと考えています。
安藤家住宅で現在展示中の七夕かざりを見た皆様からも、記憶の奥底にあるものでよいから、七夕人形に関する情報をお寄せいただけたらうれしいのですけれど♡
みづほ
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