100年の大和百目
こんにちは、みづほです。
←こちらは南アルプス市白根地区西野の手塚家が所有する大和百目の柿畑です。
大正7(1918)年3月に手塚光彰氏が西野字北組切付(現南アルプス市白根地区桃ノ丘団地北部)に50本の大和百目の苗木を植えた場所です。
今回は、その大和百目にこだわり、全国的にも評価の高い枯露柿生産者である手塚光裕さんを取材させていただきました。
現在、南アルプス市域では、あんぽ柿・枯露柿が盛んですが、その原料となる渋柿には、9月終わりから12月にかけて、刀根早生・平核無・勝平・大和百目・甲州百目・武田などの品種が移り変わっていきます。
そのうち、勝平と大和百目の原木は南アルプス市白根地区にあったものです。
とくに大和百目は、甲州百目とならんで、現在山梨を代表する大型の枯露柿の原料として大変人気があり、南アルプス市域で多く生産されている品種の一つです。
手塚氏によると、大和百目という品種の歩みは、西野に近接する上今諏訪の手塚半氏の竹林の中にあった一本の柿の木からはじまったそうです。
↓大正7年に植えられた100歳の大和百目。光裕さんに園地の一角にある100歳樹に案内していただきましたところ、意外にも、想像していたような老齢感漂う大きく太い幹ではなかったです。むしろ、この地に根を下ろして100年経っているとは思えないほどの樹勢で、大きな実をたくさんつけており、若々しささえ感じられる樹でした。(平成30年11月8日撮影)
この木は甲州百目の枝代わりと言われていましたが、果実はそれ以上の大きさで、その上、核(種)が少なく、甲州百目よりも早く熟します。枯露柿用として用いると、果肉が非常になめらかで食感がよく、色も鮮やかに仕上ります。
この樹の柿に魅せられた光裕氏の祖父、光彰氏が、今諏訪の原木から穂木をとって苗木に仕立てて、大正7年3月に、現在の桃ノ丘団地付近に50本の苗木を植え、当時としては珍しい柿の園地を造成したのです。
ちょうど、今から100年前のことです。
←南アルプス市白根地区上今諏訪の手塚半氏宅にあった「大和百目」の原木(昭和44年以前の撮影・白根町誌より)
手塚家では、100年前に最初に植えた大和百目からさらに穂木をとって園地を増やし、現在は自家生産の大和百目のみに限定して、枯露柿を生産しています。
←大和百目の収穫をする昭和18年生まれの手塚光裕さん。光裕さんが生まれたころ、この大和百目の樹はすでに25歳だったということですね。
昭和9年には、光裕氏のお父様である光司氏が屋内での火力乾燥法を完成させ、加工技術においても業績をあげました。
いま、手塚家では100年にわたる代々の技術の蓄積を最大限に生かしたこだわりの枯露柿づくりを実現しています。
手塚光司氏の完成させた枯露柿の火力乾燥法については、昭和期の当地からアメリカへの枯露柿輸出の実績にも深く関係している可能性があるので、今回とは別記事でご紹介したいと考えています。
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