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2018年11月15日 (木)

高尾街道沿いの保坂呉服店と道標

こんにちは、みづほです。

 西野にある保呉服店さんは昭和2年に高尾街道沿いの椚に開店しました。

Img20181026_09540442 ←昭和20年代終わりころから30年代はじめの撮影と思われる保坂呉服店の様子。店の前に立っているのは、売り出しの際の看板の字をいつも書いていた保坂高治さん(保坂治さんのお父様)だそうです。(保坂和子家アルバムより)

Dsc_3750 ←現在の保坂呉服店(木曜休日)の様子。(平成30118日撮影)

Img20181026_09444754 現在の店主は西野区調査でいつもお世話になっている、保坂和子さんです。

お持ちになっている貴重なアルバムからたくさんの画像資料をご提供くださいましたので、ご紹介したいと思います。

←保坂和子さんは犬のメリーちゃんを触っている右の女の子です。和子さんの左の女の子は近所に住んでいた一つ年上の友達、長谷部京子さん。京子さんの前にいる男の子は保坂弘秀さん(和子さんの弟)(昭和30年代撮影)

西野区内の高尾街道沿いには、保坂呉服店さんの他に、乾物屋、酒屋、薬屋、日用雑貨店などがありましたが、現在も営業されているのは、保坂呉服店さんのみです。

2018110220181106_09513328_2 ←保坂和子さんの前の保阪呉服店店主は兄の勝美さんでした。自転車に乗っているのが4歳の保坂勝美さん、その横にいるのが2歳の和子さん。

Img20181026_09541212 ←初売りでにぎわう保坂呉服店。(昭和30年代撮影)

Img20181026_09560764Img20181026_09563769 ←初売りの福引きの様子。福引きを取り仕切っている男性は野沢正徳さん。(昭和30年代撮影)

Img20181026_09471775 甲府から高尾穂見神社に参詣する人々が釜無川を渡って今諏訪の坂を上り、慈眼寺のあたりで戸田街道から離れるようにに曲がって西野へと進む道が、高尾街道です。保坂呉服店はその街道の通り道にある西野の椚(くぬぎ)集落にありました。

←店先で大量の綿が売られている。座っている男の子は和子さんの弟の保坂弘秀さん(昭和35年撮影)

 

和子さんが「11月の半ばに行われる高尾の夜祭に出かける人々向けて、街道沿いに面する商店の前では「茅飴(かやあめ)」を売っていたみたいよ」と教えてくださいました。

かつては茅飴づくり用と伝わるおおきな鉢がお宅に残されていたそうです。

提灯を持ったたくさんの人々がこのお店の前を行き交ったのでしょうね。

Img20181026_10032428 ←昭和52年、旧店舗を取り壊す直前に撮影。保坂和子さんのおばの静子さんが店前に立っている。

 

Photo そんなことを考えながらお店の入り口そばをウロウロすると、道標がありました。

←保坂家入口から在家塚方面へ出ると、ため池跡広場脇の道路沿いにこの道標が立っている。

保坂呉服店さんの前から小笠原方面に行く道が分岐しているので、その分かれ道の起点に置かれたものだったのでしょう。

 

現在、この道標は高尾街道沿いで南向きに立っていますが、「右は高尾、左は小笠原」の指し示す方向から考えて、もとは東向きに立てられていたと考えられます。

 

Img20181026_14205016 〇博のウェブサイトが12月にオープンしましたら、是非、昭和期の写真と現在の様子を重ね合わせて白根地区西野区椚あたりを歩いてみてください。

←昭和17年撮影。保坂呉服店前で撮影された家族と従業員の集合写真。結婚する前の和子さんのお父様(保坂正弘さん21歳)の出征時の写真で、まだ11歳のお母さまも写っている。

前列左から、①保坂静子(和子さんのおば)、②野沢正弘(後に和子さんの父になる。21歳の時)、③保坂庭之助(和子さんの祖父、明治32年生まれで昭和22年に亡くなる)、④保坂イマ(庭之助の母)、⑤保坂トクノ(庭之助の妻)、⑥保坂達子(トクノに抱かれている赤ちゃん。和子さんのおば)

後列左から、①ふみ子さん(庭之助の姪)、②氏名その他不明、③野沢正徳(野沢正弘の兄。従業員)、④向山真広、⑤保坂初子(和子さんの母、11歳の時)、⑥今子さん(従業員)


※写真の氏名記載は保坂和子さんのご了解とご希望をいただき、掲載させていただきました。


往時の風景から変わったところと変わらないところ、いろいろな面白い発見があると思いますよ。

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