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2018年12月20日 (木)

昭和初期、高砂の枯露柿はシアトルとサンフランシスコへ

 こんにちは、八田うしこです。

Photo 八田地区上高砂の清水さんに高砂の枯露柿に関する貴重な写真を見せていただきました。

こちらの写真は、高砂枯露柿組合作業所前での集合写真です。


枯露柿が出荷用の木箱に詰められ、積み上げられています。

←高砂枯露柿組合作業所前で、輸出用枯露柿の出荷時に撮影された集合写真。

おそらく、昭和初期に撮影されたものではないでしょうか。

というのも、昭和9年に撮影された高砂枯露柿出荷組合員たちを撮影した別の写真のなかに、ほぼ風貌の変わらない同一人物が少なくとも4名写っているからです。

028_2 ←関谷知事視察記念 高砂枯露柿出荷組合の集合写真。 昭和91223日撮影

残念ながら高砂枯露柿組合作業所のあった場所は、いまのところわかっていません。

2  しかし、この写真の存在は、八田地区高砂の枯露柿が昭和初期にアメリカに向けて輸出されていたことを物語る貴重な資料です。清水さんに心より感謝です。

←高砂枯露柿組合作業所前で撮影された集合写真の木箱部分の拡大


 木箱に書かれた文字を拡大して読んでみると、「DRIED PERSIMMONS」=「干し柿」とあり、箱によって「SEATTLE」=「シアトル」または、「SAN FRANCISCO」=「サンフランシスコ」と行き先が記されています。

 シアトルは明治時代より初期の日本人移民が多く移り住んだ町で、日本郵船の定期便が就航していたこともあり、東洋貿易の中継地点として発展していました。サンフランシスコもカリフォルニア州北部最大の日本人町があり、両都市ともに現在でも日系人が多く住んでいます。

 昭和初期、故郷をはなれてアメリカ西海岸やハワイで暮らす日本人移民のため、12月のクリスマスデコレーションやプレゼントの時期に合わせて、現南アルプス市域の八田地区高砂や白根地区西野から枯露柿がさかんに輸出されたといいます。故郷を離れて暮らす日本人移民たちにとって、甘くて懐かしい、どんなに素敵な贈り物だったことでしょう。

Dsc_3027

同じ昭和初期の枯露柿生産風景の写真もみせていただきました。

Photo_2

←上高砂での昭和初期の枯露柿生産風景。

収穫後の田んぼに組まれた干し棚の上部には、養蚕で使っていた飼育用の平かごを伏せて並べ、その上に筵を敷いて雨除けにしたそうです。

Dsc_4066_2 南アルプス市建設部都市計画課と教育委員会文化財課との共催で先月行われた「景観まちあるき~上高砂編~(平成301117日開催)」において、

これらの写真の所有者の清水さんには、写真の撮影された同じポイントで解説をいただき

現在に続く枯露柿作りの景観も参加者の皆さんにお楽しみいただきました。

Dsc_4075 ←上高砂斉藤家のほし柿作り(機械を使ってのホッタ回し)の様子。 平成30年11月17日撮影
Dsc_4078 Dsc_4080 ←上高砂斉藤家のほし柿作り(機械を使っての皮むき)の様子。柿の種類は武田柿(エボー)

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