南アルプス市での花卉栽培のはじまりと「SFC」
源小の子供たちと一緒に有野の桜本カスミ園さんを見学させていただいた後、もう一人の有野の花卉栽培家、保坂シゲオさんらが経営されている花の直売所「ヤワラギ」さんでお話をうかがう機会を得ました。
←有野の花卉栽培農家、保坂シゲオさん
保坂家では、現在、シクラメン・ベルフラワー・ジュリアン・アッツ桜・アジサイ・一歳桜、花壇苗パンジー、多肉植物類等様々なものを組み合わせて育てていらっしゃいます。中でも、冬にシクラメン、春にアジサイを多く出荷しています。シゲオさんによると、施設を使っての花卉栽培は季節を問わず一年中仕事ができることと、利益率が良いことが魅力だとのこと。
南アルプス市域ではその北西部で現在10軒ほどの花卉栽培農家があり、鉢植えの花栽培では県内一の生産量を誇っています。
保坂家は山梨県内で早い時期に、花卉の施設園芸を開始した農家の一つで、当地での黎明期の様相を教えていただくことができました。
旧源村周辺(現在の南アルプス市白根地区北西部)での花栽培の起源を質問してみますと、「昭和20年代末より、白根地区飯丘で切花(菊)を栽培する農家が現れたのがこの地域での花栽培のはじまりだと思う」と教えてくださいました。
白根地区有野の保坂家では、昭和33年頃 半促成栽培の露地もので、夏・秋の菊の切花栽培をはじめました。その当時の設備は、室(ムロ)のような屋根付きの簡単な囲い程度の装置で「フレーム栽培(昭和44年発行の白根町誌では「シェード栽培」と記載)」とよばれるものでした。
根方と呼ばれる山のすそ野であるこの地域では、日照時間が短く夜間の気温が冷えること、さらに冷たい北風の八ヶ岳颪がさえぎられるので、フレーム栽培での半促成栽培に適していました。近隣では、大正時代にはじまったメロンのガラス温室栽培の設備を転用して花栽培に切り替えていった農家もあり、徐々に本格的に花卉栽培を行う農家が増えはじめます。
フレーム栽培の菊の生産が順調に伸びる中、年間を通して花卉栽培が行えるようにと、昭和30年代中ごろから40年代初めにかけて簡易型のビニールハウスが作られるようになりました。この簡易型のビニールハウスは「静岡型ハウス」と(昭和44年発行の白根町誌では「竹ほろ式」と記述)と呼ばれ、骨組みの主要部分は鉄骨や木材ですが細かいところは竹を使用している脆弱な造りでしたので、春先の水分を多く含んだ重い雪でつぶれてしまうことがたびたびあったそうです。
この時期の保坂家では養蚕と、フレーム栽培の菊花の生産を組み合わせた農業経営でしたが、花卉栽培の将来性を考え、長男のシゲオ氏が愛知の早川園芸に赴き、昭和42年~44年まで2年間の施設園芸研修を受けます。そして、帰郷後は山梨の雪にも耐えられる強度を持つ鉄骨ビニールハウスを建設して、養蚕をやめて花卉栽培に一本化しました。
保坂家と同様に、昭和40年代以降は、静岡型ハウスよりも強固な、総鉄骨ビニールハウスが多く建てられ、自動潅水施設や冬季暖房施設も取り入れた大規模な施設園芸による本格的な花卉栽培が地区をあげてはじまった時期でした。
一方で同時期には、田畑をスモモ畑に造成して養蚕と果樹栽培の2本柱にして経営を行う農家も多かったのですが、切花だけでなくシクラメンなどの鉢物の生産でも実績をあげてきた花卉栽培の方が「土地面積当たりの収益率が果物の10倍」といわれるようになり、昭和50年代に入ると、養蚕だけでなく果樹栽培もやめて、花卉栽培をはじめる家が急増しました。
保坂シゲオさんも昭和49年に結婚した奥様とともに、強固な鉄骨ハウスを増設して、平成時代に至るまで経営規模をどんどん拡大していきました。
平成6年には、「SFC(白根・フラワー・コーポラティブ)」を結成し、保坂家を含む5軒が共同で施設園芸栽培を行うグループを作りました。2億3000万かけて2000坪の花卉栽培用の施設を造って共同で作業し、勉強したことの意義は大きかったといいます。グループ内皆の技術が向上し、安定的に生産できるようになったそうです。
←「SFC]のハウスの一部(平成30年12月10日撮影)
←さらに、平成13年から直売所も併設し、平日も、品数が多く品質の良い花を買い求めようと多くのお客さんが訪れています。
戦後の花市場は、人々の生活が安定し始めた昭和30年代から平成10年位まで右肩あがりであったので、銀行もどんどん施設園芸に関わる資金を貸してくれたのだと保坂さんはいいます。
ところが、平成15年頃になって販売量に陰りが見えはじめ、平成20年くらいからは白根地区の花卉生産量が減ってきたそうです。
←シゲオさんの奥様(直売所の中で)
保坂シゲオさんの見解によると、バブル経済期によく売れた胡蝶蘭やシンピジュウムなどの高級鉢植え花の販売の伸びが見込めないことや、購買層の中心である花好きの団塊世代の高齢化などにより、今後も花市場は縮小していくだろうとのことでした。
しかし、そのような情勢の中でも、まとまった生産量を保持できる強みと、培った技術力、開拓した販売経路を生かした、南アルプス市北西部地域の「SFC」を含む花卉の集団産地の今後の展開は、市域の果樹栽培とともに注目していきたい歴史だと思いました。
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