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2019年8月19日 (月)

甲西名物だった干瓢作りに挑戦

 こんにちは。
Dsc_0480   江戸時代から昭和初期まで断続的ですが、甲西地区の名物だった干瓢づくり。今回、「ふくべ」と呼ばれるマルユウガオの実が手に入ったので、体験してみることにしました。

 南アルプス市甲西地区では、東南湖を中心として江戸時代に干瓢づくりが盛んであったことは、「甲斐国誌(文化十一年)」に記され、「北斎漫画十三編『甲州に干瓢を製』(嘉永二年)」にその様子が描かれるほどでした。

明治時代のはじめには中断するようですが、甲西町誌(昭和48年)によれば、『明治27・28年頃から、江戸時代に盛んであったユウガオ栽培が再び盛んになり、県内の問屋はもちろん盛況時には京浜地方までも干瓢の行商が行われ、昭和8・9年頃までは相当量が取り扱われていた』とあります。
 複数の河川が集合する甲西地区南湖のユウガオ畑地は、一面水田の中に盛土して作られたもので、水分と保温が良好なためその栽培に適していました。
Dsc_0499  そして、八月の天気の良い日には「どこの庭先も二間竿に掛けられた白一色のかんぴょう干しで、東南湖から和泉にかけての遠望は見事なものであった」と記されています。
 富士山をバックに青々と広がる水田の、ところどころに太陽の光を浴びて眩いほどに白く輝く干ぴょうの帯が風を受けてはらはらとなびく光景。想像するだに美しく、魅了されてしまいました。それまで干瓢という食べ物に特に興味のなかった私ですが、その時から8月になったらユウガオの実を手に入れて干瓢を作ってみよう!と考えていました。

 さらに、南アルプス市甲西地区で収集された民具の中に「干瓢削り器」なる資料を複数収蔵していることを確認していたので、これら干瓢作りに係わる民具の使われ方の確認もしたいと思いました。

Dsc_0475  令和元年8月14日、念願の、新鮮で立派なマルユウガオの実を2つ、栃木県出身の当市文化財課齋藤さんとその御親戚の御手配ご協力のもと、手に入れることができました。感謝♡
それでは、干ぴょうづくりに取り掛かります。

Dsc_0482  まずは、ユウガオの実を輪切りにします。本場栃木ではだいたい4センチ幅になるように切るということですが、かつら剥きに自信のない私は今回3センチ幅で輪切りしました。
 実はそれほど堅くはありませんが、マルユウガオの場合、最大直径が35~40センチ弱もありますから家庭用の包丁では少し苦労しました。
Dsc_0486 Dsc_0483  さて、ここで登場するのは、甲西町で収集された干瓢削り器のうち輪切り用の削り器です。実際にどんなふうに使ったのか検証してみましょう。
Dsc_0489 まずは、輪切りにしたユウガオの実の中心を、干瓢削り器の金属製の軸に奥まで刺して固定します。そして、膝で手前に飛び出している底板を踏んで押さえながら、右手でハンドルを廻し、左手でカンナの部分を外側にあてて剥いていくようです。今回使用した資料には、実を常に刃に押し付けられるようにバネが付けられていた形跡がありました。

←輪切り用手回し干瓢削り器:明治時代から昭和初期まで使用された。(南アルプス市東南湖高遠家資料)

Dsc_0492残念ながら、こちらの資料は身を削る肝心の刃の部分が腐食しており、削ることのできない状況にありましたので使用法の確認もここまでとなりましたが、是非いつか復元資料を作り実験することができたらなぁと思っております。
  さぁここからは、北斎漫画にあったように江戸時代と同じく包丁で手剥きするしかありませんのでやってみます。
後に乾いて縮むことを考慮して厚さは100円玉一枚分以上といいますから、2ミリほどでしょうか。
Dsc_0495 想像していたより厚くて良いのだと気が楽になっていましたが、ダイコンのかつら剥きとは大違いで、輪切りしたユウガオからは上質な化粧水のようにしっとりねっとりとした果汁が滲み出し、手に持つとツルツルと滑りやすい! 何か台の上に置いて剥いたほうがよさそうです。
 それでも格闘の末、何とか帯状に剥けました。
 Dsc_0506 剥きあがったユウガオの実を乾かしていると、伝承館の傍に住んでいる猫がやってきて見張りをしてくれました。
初めての干瓢削りで要領を得ないので、途中ちぎれてしまったものも多くありましたが、こうして遠目でみれば、なんとか干瓢になりそうな気がしてきました。あとは干しあがるのを待つばかりです。
 しかし、これで直径35センチほどのマルユウガオの実2個分の成果です。上下の帯状に削れないヘタの部分や皮、種を含んだワタの部分を取り除かなくてはならないので、ユウガオ一つから採れる干ぴょうの量は(私の未熟さを差し引いても)驚くほど少ないことがわかりました。

さらに、今回自分で作ってみて、干瓢はたいへん手間暇のかかる加工品だということも実感できました。スーパーの乾物コーナーでみる国産干瓢が高いのにも納得できます。

Dsc_0509 ←晴れの日の特別なお祝い事に欠かせない巻きずしの具に必ず入っていたことも腑に落ちます。
 
Dsc_0542 ←干し始めて3日目。三分の一くらいに縮んでしまいました。天候不順のため、現在室内で扇風機を当てて乾燥中です。

 もう少ししたら、完成品を調理して食べてみたいと思います。

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