ぶどう棚の変遷を〇博収蔵画像資料にみる
こんにちは。
〇博では、南アルプス市民の日常の風景が写し出されたアルバム写真を提供していただき、収蔵していますが、その中から、ブドウ栽培の様子を捉えたものをいくつかご紹介したいと思います。特に今回は、被写体のバックに写り込んでいるぶどう棚の様子に着目してみたいと思います。
〇博では、南アルプス市民の日常の風景が写し出されたアルバム写真を提供していただき、収蔵していますが、その中から、ブドウ栽培の様子を捉えたものをいくつかご紹介したいと思います。特に今回は、被写体のバックに写り込んでいるぶどう棚の様子に着目してみたいと思います。←「棚栽培で着色した甲斐路」昭和50年代撮影・西野功刀幹弘家資料より
皆様ご存知の通り、日本のブドウは棚の下にぶら下がって実っているのが普通です。外国では垣根仕立てが主流ですが、水はけがよく日当たりの良い乾燥した土地を好むブドウの栽培を多湿な日本で行うために、江戸時代中期に、甲州で竹を使った棚での栽培が生み出されました。
明治31年になると、竹の代わりに針金を張り巡らせるようになり丈夫になります。(参考:日本遺産公式HP「葡萄畑が織りなす風景~山梨県峡東地域~」)
それでは、〇博で今年度収蔵した南アルプス市在家塚中込家アルバム資料にて葡萄棚の様子をご覧ください。
美しく針金(以下、ワイヤー)が方眼に張られています。
果樹棚を支えている支柱は木製ですね。
この支柱を使って上方から吊り上げるようにワイヤーを設置するようです。
昭和40年代後半の葡萄棚は支柱が金属になり、その基礎はコンクリートでできています。
支柱からのばした針金を方眼に張るために必要な外辺の柱もコンクリート製ですが、垂直ではなく地面から外辺に向かって傾斜するように設置されているのが面白いですね。ワイヤーがぴんと張るように力学的に計算された傾斜なのでしょう。これも甲州流なのでしょうか?ぶどう棚を設置した職人の技を感じます。
市内のブドウ栽培者からの聞取りによると、近年はぶどう棚をつくるのに専門的な知識を持った職人がほ非常に少なくなり、新しく設置されるぶどう棚は、単管パイプをジョイントで組み合わせて柱を立て、その上にワイヤーを組んで作るものが増えてきたそうです。
←昭和30年代撮影・在家塚中込家アルバム資料より)まるで浮世絵の構図のようなぶどう棚と支柱にのぼった職人の姿。
←昭和30年代撮影・在家塚中込家アルバム資料より)まるで浮世絵の構図のようなぶどう棚と支柱にのぼった職人の姿。日本のブドウ栽培史において欠かすことのできない棚の設置技術や素材の変遷など、特に南アルプス市域のぶどう棚に関する情報をマニアックに知りたいです。
不確かな情報ですが、櫛形の宮地に「しゅんぞうさん」と呼ばれる職人がいらっしゃるらしいです!?来年度の櫛形地区の調査でお会いできたらいいなぁと期待しているのですけどね・・・。
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