雛段の添え雛(「狆引の官女」他)
こんにちは。
お雛様というと、段飾りと呼ばれる、男女一対の親王を最上段に以下、三人官女・五人囃子・随身・衛士が花の飾り物や雛道具とともに段ごとに飾られる、お決まりものの雛段が、まず思い浮かぶと思います。
しかし、昭和40年代くらいまでは、そのほか、親戚の家々からそれぞれ贈られる様々な人形も雛段の周りに飾りました。それらは東京の人形屋さんでは「浮世物」と称していたようです。「日本人形史」昭和59年刊 山田徳兵衛によると、『浮世物は大正を経て、昭和十五年ごろまでさかんに売られた。浮世物には、・・・えびす・猩々・浦島・舌切雀・花咲爺・弁天・手古舞など実に種類が多かった』と書かれています。
「添え雛」という言い方も使いますが、いずれにしろ浮世物(添え雛)の種類は様々で面白いです。蝶の舞、鶴亀、高砂、太田道灌、塩汲(しおくみ)、小野小町、玉津島明神、神功皇后、舌切り雀、花咲か爺さん、浦島太郎、桃太郎、天神さん、狆引他を南アルプス市では収蔵しており、安藤家住宅の雛祭り期間中に展示しています。
←中でもこちらの「狆引ちんひき」というのは、官女が狆(ちん)という小型犬を引いているという風俗を描写した人形で、大正時代の終わり頃まで人気のモチーフだったそうです。
前記の日本人形史によると、『この狆引は大正の末ごろまで人気を得ていた(狆が流行していたのである)。狆引は昭和になると流行しなくなった』とあります。狆という犬は、日本固有種で日本で座敷犬または抱き犬として改良繁殖され、特に犬公方と呼ばれた徳川綱吉も愛玩したそうですから、江戸時代に花開いた雛人形文化にはもってこいの題材だったに違いありませんね。
その他、山梨ではこれ以外の独特の添え雛として、押絵や裃雛、横沢雛がありました。
←「押絵雛」紙で型を取り、芯に綿を入れ、その上を布で包んだもの。江戸時代に武家の奥方の内職として製作されるようになるが、幕末から明治に甲府の雛問屋でも多くつくられた。
←「天神さん」学問・雷電・農耕の神様とされる菅原道真の姿をかたどった人形。明治時代までは、上巳の節句の折、女の子には雛人形を男の子には天神人形を贈る習慣があった。
その他、学問の神様である天神さんも雛人形に交じって飾っていたといいます。明治時代までは、上巳の節句の折、女の子には雛人形を男の子には天神人形を贈る習慣があったからです。
令和最初の安藤家住宅ひな祭りの床の間にも天神さんを飾りました。「おやっ!なぜ?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、そういうことです。
どうぞ、ひな人形は、バラエティー豊富な、さまざまな添え雛(浮世物)の世界も、令和2年4月6日まで開催の安藤家住宅ひな祭りでお楽しみください。
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