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2020年5月

2020年5月20日 (水)

うれし!たのし!包装紙!(小笠原村田屋本舗さん)

こんにちは。
002img20200513_17032606   先日、収蔵資料の雛人形を包んでいた古い包装紙をちゃんと広げて記録を取ってみました。
毎年、安藤家住宅のひなまつりで雛人形を展示するたびに、人形が収納されている箱の底に、くしゃくしゃに詰め込まれている包装紙が気になっていたのです。おそらく、ひな人形の元の持ち主であった小笠原の飯久保家で、人形を包んだり、緩衝材として箱に丸めて詰め込んでいたのだと思います。


 その中に、現在も櫛形地区小笠原で営業している和菓子屋さんの、菓子袋と包み紙がありました。 

002img20200513_17035599 002img20200513_17032606-2 ←櫛形地区小笠原の村田屋本舗さんの昭和時代の包装紙。おもしろ~い~♡


002img20200513_17020697 現在の南アルプス市域では、江戸時代より、南北に縦断する駿信往還(旧国道52号線沿い)の往来者の需要があったことから、和菓子屋の多い地域として知られています。

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 文化財課に蓄積されたこれまでの菓子業に関する調査資料をあたってみると、村田屋本舗(本店)さんは、明治の初めころから、「村田屋」という屋号で駿信往還沿いで菓子業を営んできたお店であることが分かりました。

←櫛形地区小笠原の村田屋本舗さんの昭和時代の菓子袋。かわいらしいですね!

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 疫病がもう少し治まったら、お店に伺って、オーラルヒストリー等の取材させていただけたらいいなと考えています。

もしかしたら、包装紙のデザインや使用時期もわかるかもしれません。楽しみです!

←昭和6年大日本職業別明細より。小笠原の駿信往還沿いにある村田屋本舗さんの場所は現在も変わっていない。


 同じ箱には、他に、甲府の2店舗の包装紙が入っていました。

002img20200513_16564562←「芙蓉軒」甲府市常盤町 の包装紙。 

002img20200513_16370669 甲府の大店であった「中込呉服店」は、昭和20年で甲府空襲で焼失した後、昭和23年から「中込百貨店」として甲府市丸の内で三階建ての店舗で営業していました。昭和48年からは「アーバン中込」という名称でリニューアルしています。現在は営業しておらず、山梨県防災新館の建物が立っています。同じ箱に入っていた小笠原の村田屋本舗さんの包装紙が昭和23年から48年までの間に人形を包んだ可能性が出てきました。

←3階建ての「中込百貨店」甲府市橘町(現:丸の内1丁目)この包装紙は、昭和23年から昭和48年の間に使われたもの。


 箱の中で、クシャクシャになっていた包装紙の切れ端ですけれど、〇博調査員は、ひな人形を寄付してくださった小笠原飯久保家が、小笠原商店街が華やかなりし頃に、近所の村田屋さんで桃の節句のお菓子を買った様子が想像できてうれしくなりました。どんな春らしいお菓子を村田屋さんで売っていたのだろうかと想って、楽しくなりました。
さらに、甲府の中込百貨店では、どんなお買物をしたのでしょうね? 〇博的には、包装紙の切れ端もお宝なんです!

2020年5月12日 (火)

甲斐の富士に「農おとこ」現る!

こんにちは。きょうは暑くなりましたね。
南アルプス市から見える富士山の雪がどんどんと溶けてきています。
この時期になると、私は、毎日、ある男が現れるのをいまかいまかと待ちわびるのです。その男は「甲斐の農男」と呼ばれ、富士山の雪形として現れます。
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 甲府盆地から見える雪形にこの「農男(のうおとこ)」が出現すると、人々は田植えを始めたと伝えられています。
 今朝(令和2年5月11日の朝)、私は確認できました!

←2020年5月11日午前9時頃、八田ハッピーパークから撮影の「甲斐の農男」


雪が解けた黒い部分の形が農具を持った人の形に見えます。 ここ数年は男の足の部分の雪が先に溶けてしまっていて、足が確認できない状態が続いています。今年は股上から見えます。

←さて、富士山の雪形に「農男」を探してみよう!超難問ですね。

 

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2018年は上半身しか見ることができませんでした。

 ←2018年4月26日、八田ハッピーパークから撮影の「甲斐の農男」

←足がないけどわかるかしら? 判りにくいですね。


13_20200512113401 こちらの平成13年の画像(写真集「夢白根百年の回想」より)には、ばっちり足先まで見えていたのですけれどね。

←平成13年(2001年)の「甲斐の農男」(写真集「夢白根百年の回想」より)

←赤丸の中に、左手に鍬を持って、傘をかぶった男が見える!と思う。

 

  この富士山の雪形に見える「甲斐の農男」の伝承についての最も古い手がかりは、現南アルプス市若草地区藤田に住んだ江戸時代の俳人、五味可都里(ごみかつり)が天明八年(1788)の五月に編んだ俳句選集「農おとこ」にみることができます。

その中に「のうおとこのことば」という題の文章があり、その伝承を説明しています。

002img20200512_11253487 ここで、五味家蔵の五味可都里・蟹守資料集である『可都里と蟹守』池原錬昌編を読んでみると、

『俳諧農男集 のうおとこのことば
 天の原不尽の高嶺しいつはあれど、田長鳥の声まち、麦かり初る頃ほひしも、
そがひの雪のむら消のこりたるくまびに、ひさかたの天のたくみのおのづからなる人がたの、
さすがにかしらには、小笠と見ゆるものなんうちかゝぶり、真手には鍬やうのものとりもたらむさま、ほのかに顕はるゝなりけり。
 其あらはるゝときぞ、田をうゝるにときをうるとて、それを此さとらのならはせに、農男となん、いとふるきよぞいひ継もてはやしける。
 実やとよどしのみつぎもの。望月のたらばひゆかんさいつ祥をしもこの高嶺のみゆきにたぐひ、称へいふ事にかはあるにこそありけめ。
(『可都里と蟹守』五味家蔵 五味可都里・蟹守資料集 編者/池原錬昌 発行/2004年 発行者/五味秀子より)』とあります。

 「麦を刈りはじめるころに、富士山の雪形に、頭に笠をかぶって手に鍬をもった人が現れると、田植えをするのが習わしなので、この里の人々は「農男」と呼んで伝承している」といったような内容です。五味可都里は若草地区藤田に住んでいましたから、「この里の人々」というのは、江戸時代に現在の南アルプス市域に生きていた、私たちのご先祖様たちということになります。

Photo_20200512113501  その後、葛飾北斎が天保六年(1835)頃の作とされる富嶽百景三編に、「甲斐の不二 濃男」という作品を遺しています。

←葛飾北斎 富嶽百景三編「甲斐の不二 濃男」(国立国会図書館デジタルアーカイブより)


 私は、ここに描かれた農(濃)男の形が、180年以上を経た、現南アルプス市内からこの時期に富士の山肌に見ることのできる農男の姿と同じであることに、感動しています。
 北斎の作品の題材となった魅力的な「甲斐の農男」の伝承が、俳人として江戸でも知られたという、若草地区藤田(とうだ)の五味可都里の功績であったのなら、とてもおもしろいのですけれど・・・。 
 
 現在の南アルプス市域では、残念ながらこの「甲斐の農男」のことを知る人は少ないです。
五味可都里が書き記し、北斎の浮世絵の題材にもなった、春に富士山に見える農男。年に一度、江戸時代から変わらぬ姿で、現在の私たちにも、富士の山肌に、期間限定で見せてくれています。

Dsc_1863  〇博調査員はここ数年、この「甲斐の農男」の姿を、南アルプス市の誇る絶景のひとつ「中野の棚田」越しの富士に見たいと願っています。

←2018年5月6日、櫛形地区中野の棚田越しに撮影の富士山(甲斐の農男は見えない)来年こそ、この場所から「甲斐の農男」拝みたい!

しかし、去年も今年もうまくいきませんでした。

「甲斐の農男」と「中野の棚田」のコラボを来年こそは!と周囲の人々に喧伝する今日この頃です。

2020年5月 8日 (金)

小笠原の金丸商店

こんにちは。外出自粛の連休が明けましたね。1412
 疫病流行に伴う緊急事態措置が続いているので、〇博調査員もまだしばらくは室内で資料整理に勤しみます。
きょうはそんな整理中の資料から、ある領収書について、いままでの〇博調査で蓄積した情報と関連する部分を、まとめておきたいと思います。

← こちらは、現在整理中の平岡河野家資料にあった、小笠原金丸商店が出した領収書です。(画面をタップするともう少し大きく見えるはずです)

印に明穂村とあります。明穂村は現在の南アルプス市櫛形地区に明治8年4月23日から昭和11年7月1日まで存在した村名です。


14_20200508134301 購入した品名の箇所には、「白土、角又、晒、岩城」などの文字が見えます。ちょっと調べると、その中の「角又(つのまた)」は、海藻を乾かしたもので、壁土に混ぜて使う糊料だということがわかりました。

おそらく、平岡河野家から漆喰壁を塗る依頼を受けた左官屋の古屋九十郎さんが、小笠原の金丸商店で購入した材料の領収書ではないでしょうか?

 

←小笠原二丁目にある白壁の土蔵(金丸家)

 

 

001img20190625_14254313 次に、こちらの引札をご覧ください。


 ←令和2年1月からふるさと文化伝承館で開催していたテーマ展に出品していた、小笠原金丸商店の引札(ひきふだ)ですが、屋号も一致していますから、領収書を出した店の引札(宣伝用のビラ)だと思われます。

左端にある印刷年月日の記載から明治35年発行だと判ります。


この引札の広告主は、「内外綿問屋 金丸商店」とあり、 商品種は、「呉服太物類幷和洋綿糸染糸類 其他雑貨大販売」です。
綿問屋さんで建築資材まで買うことができたなんて、その他雑貨の品ぞろえが豊富だったのですね! 


13_20200508134301 小笠原二丁目の金丸家では、残念ながら、商店を営んでいたころの記憶はほとんど伝えられていないようですが、現在も内部をリノベーションして美しく保存されている明治3年築(平成6年改築)の土蔵の屋根には、領収書と同じ屋号入りの鬼瓦が輝いています。
 2月に、建造物調査で金丸家を訪問した際に撮影させてもらっていました。

←小笠原二丁目の金丸家の土蔵(令和2年2月13日撮)

15_20200508134301  ○○博物館の調査がはじまって、年ごとに、芦安・八田地区→白根地区→若草地区を重点調査して三年が経ちました。

これまでに記録したり収蔵した、ひとつひとつが点のようにささやかな資料(情報)が、蓄積するうちに線でつながって地域情報へと、どんどん成長していくのを実感しています。

今年度の櫛形地区重点調査では、語り部が希少となってしまった明治・大正・昭和初期の繁栄を極めた小笠原商店街の資料を少しでも多く集められたらいいなと考えています。

2020年5月 1日 (金)

西郡で見つかった「おかぶと」

こんにちは。 もうすぐ端午の節句ですね!
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←白根地区桃園K家所蔵の「おかぶと」


 おかぶと(かなかんぶつ)は、江戸時代から明治時代までに甲府の細工物問屋で独自に作られた端午の節句飾りです。明治時代頃まで、山梨各地で飾られていました。

Photo_20200501170901 しかし、明治時代以降、全国的に流通した節句の室内飾りの台頭により作られなくなりました。このおかぶとが飾られていたことを記憶する人も現在ではいらっしゃらないとおもいます。

←明治以降急速に普及した端午の節句の室内飾り(櫛形地区中野山王家資料より)


 昨年の安藤家住宅では南アルプス市文化財課所蔵のおかぶと10点を一挙公開展示致しましたが、今年は疫病流行の関係で端午の節句に関連する展示活動ができません。

Dsc_0043_20200501170601 ←令和元年5月の南アルプス市重要文化財安藤家住宅での端午の節句「おかぶと」展示の様子

残念ですが仕方ないので、過去一年間の○○博物館の調査で訪問したお宅で出会ったおかぶとたちを撮影した画像をご覧いただきたいと思います。


Dsc_0425  櫛形地区桃園にあるお宅に伺った際には、お蔵で大切に保管されていた、亡きおじいさまの初節句に贈られたおかぶとを見せていただたきました。

 

Dsc_0424 ←白根地区桃園K家所蔵の「おかぶと」 Img20180424_13554205←おかぶとはかつて、このような飾り方をされていました(上野晴朗「やまなしの民俗」による)

通常、飾り方の図にあるような、「まえだち」の部分を構成する「おうしょう」「くわがた」の部品には、なかなかお目にかかれませんが、このお宅では「まえだち」の部品が一緒に保管されていました。さらに、「たれ」の部分の保存状態もとてもすばらしかったです。

 

次は、甲西地区湯沢のお宅からご寄付いただいたおかぶとの面2点です。モチーフは信玄と勝頼か源氏の大将でしょうか?

Photo_20200501170701←甲西地区湯沢依田家資料

以下は、文献に残されている「おかぶと」の画像です。 
1957 3_20200501170801 Img20180424_13535639 ←左から、

・西沢笛畝「日本の人形と玩具」1957 、
・山田徳兵衛「新編日本人形史」1961、

・上野晴朗「山梨の民俗上巻」1973 

 

 

 

 

 

 

 

 ここ数年の〇博の調査で、甲州西郡(にしごおり)の南アルプス市内各地区でも、甲府の細工物問屋がつくった「おかぶと」という甲州独特の節句飾りを購入して飾っていたということがわかってました。


来年こそは、ふるさと文化伝承館で「西郡のおかぶと展」を開催できるようになっていてほしいと願う〇博調査員です。

大正時代の茶銘柄価格表

こんにちは。そろそろ新茶の出てくる頃ですねぇ~♡ 

そこで、現在、資料整理室にこもって作業する中で出会ったお茶に関する大正時代の資料をご紹介したいと思います。

15_20200501154101大井村麻野屋の茶銘柄価格表(平岡河野家資料より)
6 こちらは大井村(現甲西地区古市場)にあった茶舗麻野屋さんの茶銘柄定価表です。

日本三大銘茶といわれる宇治茶・狭山茶・静岡茶の各種銘柄が並んでいます。宇治茶と狭山茶は一斤(600グラム)、粉茶の川根茶(静岡茶)は百目(375グラム)の値段が掲載されていますね。
ちなみにここでいう粉茶とは、煎茶の製造工程で出た切れ端を集めたものだそうで、茶葉そのものは煎茶と同じなので安価な割に味が良いというお買い得商品でした(今どきのパウダー状粉茶とは別物)。お寿司屋さんで出される緑色と味の濃い「あがり」もこの粉茶を入れたものだそうですよ。
この他、このチラシをよくみると、麻野屋さんでは醤油も売っていたとわかって面白いです。
さらに「御茶の義は はぶりに拘わらず のみ口専門に吟味致し置き候・・・」の口上が好きです。

←昭和6年 大日本職業別明細図より

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←左の箱:安藤家住宅の雛人形展示に使用した「麻野屋の茶箱」(南アルプス市文化財課所蔵資料)

148  ←甲府市泉町和田半七店の茶銘柄価格表(平岡河野家資料より)
さて次は、甲府柳町四丁目にあったお店の社銘柄価格表です。
大井村の茶舗麻野屋さんの価格表と同じく、櫛形地区平岡の河野家から寄付いただいた、大正時代の資料群にあったものです。
こちらの和田というお店では、すべて一斤単位での価格表示となっていますね。
麻野屋さんと同じく宇治茶、狭山茶、静岡茶の三大産地ラインナップですが、こちらの静岡茶は川根ではなく安部のものです。粉茶の部も産地別が充実しています。
このお店の商標の説明も興味深いので読んでみますと、
「明治三十六年五月九日ハ 恰モ 酉ノ日ニシテ 同日酉ノ刻ニ及ヒ 何レヨリカ一羽ノ鷹飛来リ 弊店ニ陳列セル茶壷ノ中 茶名初鷹ト称スル壺上ニ止ル 依テ 紀念ノ為メ是ヲ商標トナス」とあります。
ちょっと出来過ぎかな?!とも思いますが、これを読んだら、和田半七茶店の商標はばっちり記憶させられてしまいますね。

 1414_20200501154901←甲府市泉町網倉商店領収書(平岡河野家資料より)

お次は、甲府市泉町の網倉商店さんの領収書が2枚あったのでのせておきます。泉町は現在の相生一丁目当たりですが、網倉さんはお茶店としていまも有名営業中です。しかし、この領収書に書かれている品物はお茶ではないような気がします。○○枚の単位で書かれていてよくわかりません。何でしょうか?海苔ですか?紙ですか?調査中です。

 櫛形地区平岡河野家資料には、このほか様々な店でいろいろな品物を購入した際に受け取った領収書類が残されており、お買い物事情をつかむ手掛かりをとなる資料として期待しています。南アルプス市域おける大正時代の地域資料として、これからも分析をすすめていくのが楽しみです。今年度の〇博は、櫛形地区が重点調査地区です!よろしくお願いいたします。

以上、最近は家の中でお茶する機会が増え、「やっぱり緑茶が一番好きだわぁ~」としみじみ癒されている、〇博調査員からの報告でした。

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