小笠原の金丸商店
こんにちは。外出自粛の連休が明けましたね。
疫病流行に伴う緊急事態措置が続いているので、〇博調査員もまだしばらくは室内で資料整理に勤しみます。
きょうはそんな整理中の資料から、ある領収書について、いままでの〇博調査で蓄積した情報と関連する部分を、まとめておきたいと思います。
← こちらは、現在整理中の平岡河野家資料にあった、小笠原金丸商店が出した領収書です。(画面をタップするともう少し大きく見えるはずです)
印に明穂村とあります。明穂村は現在の南アルプス市櫛形地区に明治8年4月23日から昭和11年7月1日まで存在した村名です。
購入した品名の箇所には、「白土、角又、晒、岩城」などの文字が見えます。ちょっと調べると、その中の「角又(つのまた)」は、海藻を乾かしたもので、壁土に混ぜて使う糊料だということがわかりました。
おそらく、平岡河野家から漆喰壁を塗る依頼を受けた左官屋の古屋九十郎さんが、小笠原の金丸商店で購入した材料の領収書ではないでしょうか?
←小笠原二丁目にある白壁の土蔵(金丸家)
←令和2年1月からふるさと文化伝承館で開催していたテーマ展に出品していた、小笠原金丸商店の引札(ひきふだ)ですが、屋号も一致していますから、領収書を出した店の引札(宣伝用のビラ)だと思われます。
左端にある印刷年月日の記載から明治35年発行だと判ります。
この引札の広告主は、「内外綿問屋 金丸商店」とあり、 商品種は、「呉服太物類幷和洋綿糸染糸類 其他雑貨大販売」です。
綿問屋さんで建築資材まで買うことができたなんて、その他雑貨の品ぞろえが豊富だったのですね!
小笠原二丁目の金丸家では、残念ながら、商店を営んでいたころの記憶はほとんど伝えられていないようですが、現在も内部をリノベーションして美しく保存されている明治3年築(平成6年改築)の土蔵の屋根には、領収書と同じ屋号入りの鬼瓦が輝いています。
2月に、建造物調査で金丸家を訪問した際に撮影させてもらっていました。
←小笠原二丁目の金丸家の土蔵(令和2年2月13日撮)
○○博物館の調査がはじまって、年ごとに、芦安・八田地区→白根地区→若草地区を重点調査して三年が経ちました。
これまでに記録したり収蔵した、ひとつひとつが点のようにささやかな資料(情報)が、蓄積するうちに線でつながって地域情報へと、どんどん成長していくのを実感しています。
今年度の櫛形地区重点調査では、語り部が希少となってしまった明治・大正・昭和初期の繁栄を極めた小笠原商店街の資料を少しでも多く集められたらいいなと考えています。
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