うれし!たのし!包装紙!(小笠原村田屋本舗さん)
こんにちは。 先日、収蔵資料の雛人形を包んでいた古い包装紙をちゃんと広げて記録を取ってみました。
毎年、安藤家住宅のひなまつりで雛人形を展示するたびに、人形が収納されている箱の底に、くしゃくしゃに詰め込まれている包装紙が気になっていたのです。おそらく、ひな人形の元の持ち主であった小笠原の飯久保家で、人形を包んだり、緩衝材として箱に丸めて詰め込んでいたのだと思います。
その中に、現在も櫛形地区小笠原で営業している和菓子屋さんの、菓子袋と包み紙がありました。
←櫛形地区小笠原の村田屋本舗さんの昭和時代の包装紙。おもしろ~い~♡
現在の南アルプス市域では、江戸時代より、南北に縦断する駿信往還(旧国道52号線沿い)の往来者の需要があったことから、和菓子屋の多い地域として知られています。
文化財課に蓄積されたこれまでの菓子業に関する調査資料をあたってみると、村田屋本舗(本店)さんは、明治の初めころから、「村田屋」という屋号で駿信往還沿いで菓子業を営んできたお店であることが分かりました。
←櫛形地区小笠原の村田屋本舗さんの昭和時代の菓子袋。かわいらしいですね!
疫病がもう少し治まったら、お店に伺って、オーラルヒストリー等の取材させていただけたらいいなと考えています。
もしかしたら、包装紙のデザインや使用時期もわかるかもしれません。楽しみです!
←昭和6年大日本職業別明細より。小笠原の駿信往還沿いにある村田屋本舗さんの場所は現在も変わっていない。
同じ箱には、他に、甲府の2店舗の包装紙が入っていました。
←「芙蓉軒」甲府市常盤町 の包装紙。
甲府の大店であった「中込呉服店」は、昭和20年で甲府空襲で焼失した後、昭和23年から「中込百貨店」として甲府市丸の内で三階建ての店舗で営業していました。昭和48年からは「アーバン中込」という名称でリニューアルしています。現在は営業しておらず、山梨県防災新館の建物が立っています。同じ箱に入っていた小笠原の村田屋本舗さんの包装紙が昭和23年から48年までの間に人形を包んだ可能性が出てきました。
←3階建ての「中込百貨店」甲府市橘町(現:丸の内1丁目)この包装紙は、昭和23年から昭和48年の間に使われたもの。
箱の中で、クシャクシャになっていた包装紙の切れ端ですけれど、〇博調査員は、ひな人形を寄付してくださった小笠原飯久保家が、小笠原商店街が華やかなりし頃に、近所の村田屋さんで桃の節句のお菓子を買った様子が想像できてうれしくなりました。どんな春らしいお菓子を村田屋さんで売っていたのだろうかと想って、楽しくなりました。
さらに、甲府の中込百貨店では、どんなお買物をしたのでしょうね? 〇博的には、包装紙の切れ端もお宝なんです!
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