太郎さんの持ち帰った伝単「桐一葉」
こんにちは。
本日は、太平洋戦争中に陸軍航空本部技手であった志村太郎さんが、太平洋北部のアリューシャン列島にあるキスカ(鳴神)島で拾ったという、伝単「桐一葉」をご紹介します。
この「桐一葉」は南アルプス市文化財課が平成28年に若草地区下今井の志村家よりご寄贈いただき、収蔵する資料中にあります。
←伝単「桐一葉」表面「桐一葉 落つるは軍権必滅の凶兆なり散りて悲哀と不運ぞ積るのみ」とあり。
伝単とは、戦争において、敵の国民や兵士に降伏をうながしたり、戦意を喪失させる意図で、空から撒いたり街に掲示したりする、宣伝謀略用の印刷物(ビラ)のことです。
この「桐一葉」は、戦場で数多くばらまかれた伝単の中でも、ひときわ芸術性・文学性が高いものです。
色と形が桐の葉そっくりに作られているだけでなく、当時有名だった歌舞伎の演目「桐一葉」の内容を想起させる格調高い短文を付して、日本兵に軍部の衰退と滅亡を予感させています。
桐一葉はもとは坪内逍遥作の豊臣家の没落をテーマにした戯曲で、その中で詠われた台詞「桐一葉落ちて天下の秋を知る」は、片桐且元が豊臣家と自分の悲運を嘆く場面で発する有名な句でした。
「桐一葉」の伝単は、1942年(昭和17年)6月にニューヨークで在米日本人が関与して製作されたそうです。(※一ノ瀬俊也著「戦場に舞ったビラー伝単で読み直す太平洋戦争ー」2007年刊より)。
この「桐一葉」の伝単を北方アリューシャン列島のキスカ島で拾ったという志村太郎さんは、昭和13年9月に陸軍航空本部へ技手として雇入れられ、昭和17年にキスカ島に配属されました。
志村氏の書き遺した資料には、昭和17年11月10日20時に鳴神島(キスカ島)に上陸し、土木班として飛行場の建設に従事したと記されています。そして、翌、昭和18年6月18日に伊二号潜水艦で撤収とありましたので、その間の7か月間のキスカ島生活の中で、拾う機会があったものと考えられます。
←伝単「桐一葉」裏面「春再び来る前、降るアメリカの爆弾は、梧桐の揺落する如く、悲運と不幸を来すべし」との文言。
当時、敵国からの伝単を所持することは固く禁じられていましたので、小さく折り畳んだその折目痕を見ると、見つからないように注意して持ち帰った、彼の気持ちを推し量りたくなります。
志村氏がキスカ島滞在中の昭和18年5月には、同じアリューシャン列島のアッツ島がアメリカ軍によって玉砕しており、その状況下でのキスカ島から脱出は、まさに命からがらだったということです。(*証言は資料寄贈時に、志村太郎氏妻の道子氏からの聴き取りによる)
←「アリューシャン作戦従軍記録」志村太郎氏が後年、書き記して記録したもの。(※画像すべてはタップすると拡大します)
←「鳴神(キスカ)飛行場計画平面図 昭和18年2月北海道守備隊司令部」
下今井志村家より寄贈された資料の中にあるキスカ島配属時のものには、上陸前半期の従軍日誌、まぼろしとなった鳴神飛行場計画平面図(昭和18年2月北海守備隊司令部)、現地アリュート人との交流を写した写真等も残されています。
志村家よりうかがったお話によると、太郎さんは昭和8年に17歳で農林学校を卒業後、父のもと22歳まで養蚕業に従事しましたが、昭和13年に、志村家の広大な養蚕飼育場があった土地を、玉幡飛行場建設のために陸軍航空本部へ売却せざるをえなくなったため、太郎氏は陸軍航空本部に雇入れられることになったそうです。
←「船上にて」左が志村太郎さんと推測される。 その後、設計部員として北方のアリューシャン列島に位置するキスカ島や空襲の激しかった大阪などに配属された後、昭和20年6月からは地元でロタコと呼ばれた御勅使河原飛行場の建設に携わりました。
←「アリュート人と鮭を運ぶ」キスカ島にて昭和17・18年頃の撮影。
太郎氏は昭和59年に68歳で亡くなられましたので、もう直接にその証言を聴くことは叶わないのですが、26歳で思いがけず流氷浮かぶベーリング海を臨む孤島に連れていかれた若者の心境、その地で「桐一葉」を拾った時の心情はどんなものだったのでしょうか? そして拾った伝単を、決死のキスカ島撤退を経て、太郎さんは内緒で生まれ故郷まで持ち帰ってくださいました。そして、彼が亡くなった後はご家族が大切に保管されていました。 戦争の時代に生きるということはどういうことだったのか?志村太郎さんの遺品や文書、写真、その一生から、なんらかの答えがもらえそうな気がしています。
←「アリュート人と我が勇姿(太郎氏本人の裏書きによる)」キスカ島にて昭和18年頃の撮影。
勇姿というにはあまりにも優しく清らかな太郎氏の笑顔に子供たちとの関係性がにじみ出ていると思います。
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