加賀美最後の瓦窯元であった神山家
こんにちは。 先日、瓦製造が盛んだった若草地区加賀美で、最後まで操業していた神山家工房跡を見せていただく機会を得ました。
加賀美は、最盛期の昭和初期には40軒以上もの瓦窯が密集する地域でした。
その中でも、この神山家はこの地で最後まで瓦を焼いていた家です。
昭和初め頃から平成2年まで操業し、最後の数年は夫に先立たれた神山とめ子さんが近所の瓦製造経験者たちに助けてもらいながら、ひとりで工房を継続したのだそうです。
←昭和初期から平成2年まで操業した神山家の瓦製造工房内
今は亡きとめ子さんの娘さんとお孫さんが、工房内に残されていた道具類を見せてくださり、一部は文化財課に寄贈していただくことになりました。
←こちらは瓦を成形する型枠ですね。石のろくろとセットで使うのだと実際の使い方を見せてくださいました。
以前に、同じ加賀美にあった澤登瓦店の作業風景画像にも同じような道具が写っているのをみていたので、今回はその実物資料を収蔵する運びとなって、大変ありがたかったです。
←加賀美の澤登瓦店の昭和40年代末の瓦製造風景。神山家に残されていたのと同じ道具を使っている。
←体験工房等で使用したと思われる鬼瓦に関連した型の数々。 また、神山家工房の終末期には、体験工房としてお客さんに瓦の置物等をつくってもらう取り組みもなさっていたようで、それらの体験用の備品が残されていました。
工房の外に出てみると、前庭の駐車場の一部がコンクリートブロックで囲われて一段高くなっているのを見つけました。
うかがってみると、この区画内には、かつて成型した瓦を干すための棚が設けられていたということでした。
↑庭の一部がコンクリートブロックで区画され、一段高くなっている。この区画上に瓦を干す台が設けられた。
一段高くなっているのは、大雨が降った際に、上に掛けたシートから流れ落ちる水を素早く流すためだったそうです。
加賀美は南アルプス市の田方(たがた:原七郷にしみ込んだ水が豊富に湧き出る地域)にありますので、家によっては、このような工夫をする必要があったのですね。教えていただいて初めて知りました。
加賀美の瓦産業については、まだまだ聞き取り調査や関連資料を増やしていきたいと考えています。
今回ご案内してくださった方には、帰り際に、神山家工房での作業風景や加賀美最後の瓦職人であったとめ子さんの画像のご提供をお願いしてまいりました。次回、見せていただくのを心待ちにしている〇博調査員です。
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