櫛形地区東吉田の稲荷社周辺で
きょうは、櫛形地区東吉田を踏査した時に訪れた、刈穂稲荷神社周辺をご紹介します。
←刈穂稲荷神社 (左:2020年9月1日撮影 右:昭和41年刊櫛形町誌画像)
玉垣の内に銅葺屋根の神殿をもつ刈穂稲荷神社には、かつて大正時代に女性の行者が居て奉仕していたそうです。
その東側には、隣接してさらに別の稲荷神社があり、その他、三峯神社の形跡など、いろいろな神を祀った石造物が多数存在している場所となっています。
←稲荷神社と狐(モノクロ画像は櫛形町誌画像):櫛形町誌には写っていない、足などが修復された狐が左右に置かれています。よく見ると愛らしいお狐ですよ。
←三峯神社の水鉢(モノクロが画像は櫛形町誌):東吉田稲荷神社一帯の東入り口に置かれている。
石造物や祈りの対象であった自然石については、豊村誌(昭和35年刊)と 櫛形町誌(昭和41年刊)に載る画像と現在の様子を照らし合わせてみてみましたが、それらを同定するのはとても難しいことに思えました。
←シャクシバンバ(昭和35年刊豊村誌)
今後も聞き取り調査等を重ね、シャクシバンバと山之神の石造物だけでも、特定したいと考えています。シャクシバンバは、願掛けすると、咳や喉の病気によく効くと伝えられるしゃぶきばばあや姥神とおなじような民間信仰の対象となる石だったと思われます。
←東吉田の山之神(昭和35年刊豊村誌)
東吉田に限らずどの地域でも、道路の拡幅や土地利用の変化などにより、願掛けや信仰の対象となっていた石造物や自然石も場所を移動したり、集められることがよくあります。
それらの行方を探して歩くうちに、新興住宅地の一画にポツンと残るこんなものが目に入りました。果樹を潤す役目を終えたスプリンクラーのヘッドです。
350年前から、月夜でも焼けるこの土地を何とかしようと、先人たちが、はるばる韮崎市円野町より釜無川から取って、通してくれた水がここまで来ている。
こちらも先人たちが未来の私たちに残してくれた遺産の一つです。邪魔モノのようになってしまったヘッドをひっかけないように、横に置かれている切株がなんだか少し痛々しいですが、原七郷の土地利用の変化を今後もずっと記録していくのは、文化財課の仕事の一つです。
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