瓦を焼いただるま窯
こんにちは。 先月、若草地区寺部で行われていた発掘調査で、昭和時代に瓦を焼いた窯跡が出土したというので、〇博調査員も見学させてもらいました。
詳細は、報告書の刊行を待たなければなりませんが、昭和40年代まで使われていたダルマ窯の一部が見つかったことは間違いないです。
←若草地区寺部のだるま窯の発掘現場(令和2年9月2日撮影)
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八田榎原中沢瓦店窯跡(2017年12月20日撮影)
製瓦業が大正から昭和時代にかけて盛んであった南アルプス市域ですが、現在、大正時代に造られただるま窯が原形をとどめて現存しているのは、唯一、八田地区榎原の中沢製瓦店跡のみです。
過去に2005年と2017年に写真を撮らせていただいていますが、
今月になって、前述の発掘調査の担当職員の手配で、所有者の方と連絡が取れまして、聞き取り調査と資料提供にご協力いただきましたので、ご報告したいと思います。
昭和40年代の終わりに愛知県の瓦技工の学校に行き、製瓦業の四代目としての勉強もしたというヨシナオさんは、だるま窯を使って焼かれるいぶし瓦の製造過程を、幼いころから見て育ちました。
ヨシナオさんによると、中沢家でおそらく明治時代に製瓦業を営み始めたのは、ひいおじいさんで、場所は現在の韮崎市にある新府城の上あたりで行っていたそうです。
大正時代のはじめ頃になると、2代目に当たるおじいさんのヨシユキさんが、良い土を求めて、八田地区榎原の長谷寺のそばに、だるま窯を建造して製瓦店を移転しました。
3代目のお父様ヨシヒデさんの頃には、戦後の高需要に応えるため、昭和23年頃にもう一つだるま窯を増設して、二つの窯を交互に使用することで4日に1回の割合で瓦を焼いていたそうです。
瓦店の当主は専らだるま窯の火加減の担当であったそうで、瓦の成型は職人を雇って行っていました。そのため、4代目のヨシナオさんは、成型の様子よりも、だるま窯の火の見方をよく覚えておいででした。
だるま窯は昭和46・7年頃を最後に使わなくなり、その後は製瓦はせず、在庫等を利用して屋根瓦の修理や瓦葺きを請け負ってきたようです。
←中沢瓦店聞き取り調査。4代目ヨシナオさん。(令和2年10月6日)
昔から、だるま窯は、焼き物の歴史と技術の高い愛知県で作られる耐火煉瓦を積み上げて造るので、火の通りをよくするためのロストルや、二つの焚き口、瓦を出し入れするための両脇にある戸口、等の独特な構造は、同じく愛知から出張してもらった職人によって建造されました。そのため、製瓦業は設備投資する財産がないとはじめられない産業であったのとか。
実際にだるま窯に火が入るとどんな感じだったのかを、ヨシナオさんに聞くと、「 赤松を燃料として、はじめ二日間はどんどん焚き続けて窯の温度を上げていき、火の色が紫色になったら一旦、木をくべるのをやめる。その後1日間ほどは窯の中の壁土がオレンジ色をキープするように火加減する。さらにその後、釜の中が真空になるように焚口やだるま窯の横腹にある戸口をふさぎ、隙間には粘土を詰めて、『いぶす』。」とのことでした。
←だるま窯の建造に欠かせない耐火煉瓦(令和2年10月6日) 。
また、だるま釜のすべての口を塞いで『いぶす』前に、掻き棒で取りだし置いた燃え残りの炭を、近所の人が買いに来たという話も伺い、3年前に〇博調査員が榎原のおばあちゃんから聴いた、「中沢瓦店に火鉢に入れる炭を買いに行った」との証言とも一致しました。
←八田榎原中沢瓦店窯跡(2005年11月17日撮影)
今回の聞き取り調査ができるようにご案内くださった近所の方のお話でも、農作業の合間に谷あいにある中沢瓦店の煙突からいつも煙が上がっていたのを憶えているとの思い出話もいただき、小さなことでも、時間をかけて丹念に集めていると、それぞれのピースがつながって、史実として流れていくようになるのだと実感した次第です。
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