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2021年9月16日 (木)

温室スイカのチッキ便(鉄道省小荷物切符)

きょうは夏に戻ったような青空の広がる、南アルプス市からこんにちは。
南アルプス市白根地区西野功刀家の文書箪笥の中にあった資料を調査していてみつけた、こんなものを今日はまずご紹介します。 

さて、これは何でしょう?
I_20210916132301 ←「西瓜発送鉄道省小荷物切符(昭和2年6月2日)」(南アルプス市文化財課蔵・西野功刀幹弘家資料より)
 昭和2年6月2日に発行された、竜王駅(現甲斐市)から大阪駅までの小荷物切符です。どうやら功刀家は西瓜(すいか)を29斤(17.4㎏)を大阪の天満市場の「忠佐」という取引先に鉄道便で送ったようですね。
 当時は鉄道客車に荷物を載せて目的の駅まで運ぶことを「チッキ便」と云ったそうで、国鉄がJRになった際に廃止になった仕組みのようです。
昨今、疫病流行のために乗客の減った特急列車かいじに、山梨の朝取れ農作物を積んで運び、東京都内の駅構内でその日のうちに販売するという試みが、JR東日本によって行われているとニュースで知りましたが、これは試験的なチッキ便の復活なのでしょうか?鉄道に詳しくないのでよくわからなくて申し訳ないです。

それはさておき、
見つかったチッキ(小荷物切符)の日付は6月2日ということですから、温室で促成栽培し、露地ものが出回る前の商品価値を高めたスイカとして、高級品の消費が見込まれる大阪の天満市場へ送り、販売したことがわかります。なにしろ大阪は江戸時代から「天下の台所」と言わしめた食い倒れの街ですからね。

荷受先の店名は「忠佐」とありますので、ネットで調べてみると、いまも大阪木津市場に野菜を取り扱う店舗として存在しており想像が膨らみますが、はたして昭和2年に西野のスイカを販売した店と同じかどうかは不明です。

Photo_20210916132301 ←大正15年頃に功刀七内氏が硝子温室内での栽培の様子を写した写真の中に、スイカもありましたよ!

大正14年春に白根地区西野で、ブドウの栽培を目的としてはじまった南アルプス市の温室栽培では、同時に、ブドウの苗木の隙間に置いたサンマ樽で育てたのは、メロンだけでなく、スイカもあり、成功していたということですね。

I  ←「西瓜発送鉄道省小荷物切符」がみつかった文書箪笥。(南アルプス市文化財課所蔵西野功刀幹浩家資料より)
 文書箪笥のひきだしの隅に眠っていた、このしわくちゃのチッキの存在は、いままで不明だった昭和初期の西野産温室スイカの出荷実績となりました。 
今後も、明治・大正・昭和にかけて、各種青果問屋との取引に使われた葉書類・出荷台帳などの分析を詳細に行い、南アルプス市の果樹栽培と販売の実態史を積み上げていきたいと思います。

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