戸田の蚕神さま他
朝晩寒くなってきた南アルプス市から、こんにちは。
〇博調査員の家では、昨晩、十日夜(とおかんや)を待つことができずに、今秋初めてストーブ点火しました。
甲西地区戸田近辺を踏査した昨日は、風もなく、青空の広がる気持ちの良い秋晴れだったので、夜は放射冷却現象というやつでしょうか?ぐっと気温が下がりました。
さて今回は、踏査中の戸田で出会った石造りの蚕神さまをご紹介します。
同じ敷地の中に御崎稲荷神社もありました。その他、道祖神他様々な石造物が祀られています。場所は、市川往還が滝沢川にかかる戸田橋に至る手前を、北方向に少し入ったところです。 まずは敷地西にある戸田神明社にご挨拶してから、敷地内に踏み入らせていただくと、神明社の東隣に御崎稲荷社があり、さらにその東隣に高さ70センチほどの女人像が、道祖神さんらと並んで立っていました。
頭にお馬さんの顔が無いので、〇博調査員は「馬頭観音さんではないのねぇ~」と呟きながらもう少し近づいて観察すると、手に「桑の葉」を持っていらしたので、すぐに蚕の神様だとわかりました。
そうすると、頭の上の筒の様なものは、「巻絹(まきぎぬ)」だと思います。
さっそく仕事場に戻って『中巨摩の石造文化財 平成7年発行』を調べましたら、「戸田の蚕神」として載っていました。
が!しかし、その解説文中に『馬頭観音らしい』との記述が・・・・・?!。
←「戸田の蚕神様」(頭に巻絹を載せ、桑の葉を抱えている)戸田神明社敷地内
もともと蚕と馬は、中国伝来の「馬娘婚姻譚」という伝説によって深い結びつきがあるので、いつからか、地域住民にとって、両方の願いを込めた信仰対象になっていったのかもしれませんね。
江戸時代は、すぐそばを、市川大門の代官所に行くためにたくさんの往来のあった、市川往還が通っていましたからね。
←櫛形地区上宮地風新居公会堂内で祀られている、たいへん美しい蚕影大神さま立像
南アルプス市市域では甲西地区戸田のほかに、櫛形地区上宮地風新居公会堂内で、大変うつくしい蚕影大神立像と、如意輪観音を蚕神として描いた掛軸が祀られています。
しかし、山梨県の蚕の神様は「蚕神」とか「蠶影山(神)」などの文字を石に刻んであるものがほとんどですから、偶像化されているのは県内では大変珍しいです。そのため、西郡(南アルプス市内)で3例目も確認できたことは興味深いことです。
←駿信往還東の路地にある下宮地の蠶影神(山梨でよくあるタイプ)
櫛形地区上宮地風新居の蚕の神様は、また改めて記事にしたいと考えていますが、昨年からの疫病流行で残念ながら取材が進んでいません。来春の公開日には是非またお会いして、蚕影大神様の山梨県随一のお美しいお姿を皆様にお伝えできたらと思っている〇博調査員です。
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