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2021年10月15日 (金)

真っ赤っ赤な大正初期の接種済証

こんにちは。
16-2 ←「大正4年の種痘済証」(吉田河野家資料より・南アルプス市文化財課所蔵)
 櫛形地区吉田の踏査でご縁を得て寄贈していただいた資料の整理中に、目にも鮮やかな真っ赤っ赤な紙が出てきました。
何だろうと思って手に取ると、大正時代初期に行われた種痘(天然痘の)の接種済証でした。
16-3 ←「大正初期の種痘済証」(吉田河野家資料より・南アルプス市文化財課所蔵)
どうやら、2期に分けて行われていた接種のうち、1期目の際に渡された証書はこんなに鮮やかな赤色だったようなのです! 
2期目は白い紙だったようですけれど、この1期目接種済証の真っ赤な色づかいが、〇博調査員には、江戸時代から続く疱瘡除けの習俗と結びついているような気がしてなりません。  
 疱瘡は天然痘という伝染病のことで、南アルプス市域では、幕末から藤田村の医家広瀬家によって予防接種(種痘)が行われるようになりました。
しかし、明治期以降にも幾度かの流行があったようですから、先人たちにとって身近に起こりうる恐ろしい病気の一つであったことはまちがいありません。

591_20211015151801  市内には疱瘡神と刻まれた石造物が2か所ほど存在しているほか、文化財課で所蔵している明治末から大正期の資料にも、赤いものを嫌う疱瘡神を追い払う目的で飾られた、真っ赤な髪と衣服をまとった「猩々(しょうじょう)」と呼ばれる中国の妖怪を模した人形があります。

←「百々にある疱瘡神の石造物」


Photo_20211015143901 ←「猩々の横沢雛」(上今井五味家資料より・南アルプス市文化財課所蔵)(安藤家住宅ひなまつりにて展示)
 ですから、当時の人々にとって、天然痘の予防に種痘を受けるともらえる接種済証が、真っ赤だったというのは、その効果を後押しするような安心感を与えていたのではないかと思うのです。それまでの疱瘡除けの習俗が身についていたなら、護符のように、おもわず玄関に貼っておきたくなったり、常時携帯したくなるような鮮やかな赤ですよね。

16_20211015143501  その他、この接種済証をよくみると、『善感』という文字が見えますが、「免疫がよくついた」という意のようです。

 そして、最後に「注意」の記載があり、その中に『当該吏員ノ請求アルトキ此証ヲ提示セズ若クハ之ニ代ルベキ証明ナキ時ハ拾圓以下ノ科料ニ處セラルベシ』と記されていて、この接種済証が無い場合は十円以下の罰金が科されることもあるというのですから、少し恐ろしいです。接種の有無による差別が起きないように、いろんな議論がなされている現在の日本では、まずこのような記載はされないでしょうね。


  先日、〇博調査委員自身も新型コロナウイルスワクチンの接種を受けたところ、ワクチンのシールが貼られた予防接種済証をもらいました。そこには、氏名、生年月日、住所、ワクチンの種類と接種年月日、メーカーロット番号が回数別に記載されていました。 いまから100年以上も前の大正4年の接種済証と比べれば、さすがに注意事項に罰金などの記載はありませんでしたが、ワクチンの進化による基本情報他の記載が少し増えた程度で、内容はあまり変わらないような気がします。しかし、証紙そのものの、見た目のインパクトはかなり違いますね。令和版の接種済証には、護符的な要素は微塵も無いですけれど、今の人も「アマビエ」や「ヨゲンノトリ」など疫病に対抗するための習俗は割と好きなので、接種済証に何らかの日本的な観念が加わっていても、幾らか気分が和らいでいいのかなと思ったりしました。
16-4 ←「昭和24年のチフス予防接種済証」(吉田河野家資料より・南アルプス市文化財課所蔵)
 令和3年10月のいま、新型コロナウイルスワクチンの接種済証や検査の陰性証明を活用することで、社会経済活動の再開やワクチン接種促進に向けた取り組みが行われているところです。ただ、これに伴う接種の有無による差別が起きないように、いろんな議論がなされていますね。


 今回は、大正時代の真っ赤な接種済証などをご覧いただきましたが、令和の時代の接種済証は今後どのように活用されていくのでしょうか?〇博調査員も注目し記録していきたいと思いました。もちろん、昔と比べると少し味気ない自分の接種済証も未曾有のコロナ禍の歴史を後世に残すため?にしっかり保管しておきますよ。

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