湯沢のおんとうじんさん
こんにちは。←令和3年12月13日撮影
先日、甲西地区湯沢(北沢川の辺り)を踏査していて、甲西町誌には載っていない、それほど古くなさそうな石造物をみつけました。 跪いて、正面の文字を読み取ろうとしていると、偶然に通りかかって声を掛けてくれた方がいます。この石造物のある湯沢3組にお住いのフサエさんです。
そして、この石造物がここに祀られることになったいきさつを教えてくださいました。このような踏査での出会いは、〇博調査員にとって、本当に宝ものです。
この石造物には表と裏に「温湯神少彦命」「昭和六十年五月吉日三組」と刻まれています。
フサエさんによると、この神様のことを「おんとうじんさん」と呼んでいるそうです。
〇博調査員「昭和60年に湯沢3組で、どうしてこの神様をここに祀ることになったのですか?」
フサエさん「ちょうどその頃は、それぞれの家で大黒柱であるような、地域の働き盛りの男の人が次々と若死にしてしまった時だった。女の人ばかりになってしまって、こんなことが続いて起きるのには何かわけがあるのかもしれないとか、組内にこれからも何か障りがあるのではないかと皆の不安が募ったんで、今の富士川町に住んでいた『おがみやさん』にいろいろとこの土地(地域)を歩いてもらって何か障りがないか視てもらったわけ。おがみやさんっていうのは、まあ占い師さんっていうか、まあ、当時は『オテンジンサン』と呼んでいたかなぁ」
〇博調査員「おんとうじんさんが建って、もう35年くらい経ちましたけど、フサエさんはいまもお参りなさっているのですね?」
フサエさん「ええ、ええ。いまは、3組のほとんどの人が地域でそんなことがあったことなど忘れてしまったとおもうけどね。 いま、組の集まりなどがあって、若い人たちが立派に育って消防団などしてくれて活躍しているのを見ると、あの時の不穏な空気を思い出すと同時に、今の幸せを「おんとうじんさん」に感謝する気持ちが湧いてきます。そして、この場所を通るたびに、心の中でありがとうと言う時もあれば、手を合わすこともしますよ。」
〇博調査員「あ~、ほんとうにお会いできてうれしいです。素敵なお話を聞かせてもらって、すごくよい調査ができました。この「おんとうじんさん」は昭和48年刊行の甲西町誌には載っていない文化財なので、まだどこにも記録されていないんです。」
〇博調査員は、「おんとうじんさん」に対して感謝し参拝する人の姿、記憶と気持ちのすべてひっくるめたものが、この石造物の文化財的価値なのだと思っています。南アルプス市○○博物館はフサエさんから聞き取ったオーラルヒストリーもアーカイブに記録し、保存していく予定です。
道端にずっと同じ場所で静かにひっそりと建っている石造物の価値は、石そのものだけではなく、この石に宿る神様だけでもなく、この石を拝み感謝するフサエさんのような人(地域住民)にもあります。
文化財を巡る魅力的なストーリーもここから生まれるので、足で稼ぐってやっぱり大事だなといつも思います。
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