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2021年12月24日 (金)

湯沢の舟乗り地蔵さんのマスク

こんにちは。
23-5  湯沢には、御舟にのったお地蔵様がいらっしゃいます。

←甲西地区湯沢の船乗り地蔵(令和3年12月3日撮影)

年内になるべく甲西地区の踏査をすすめようと地区ごとに日を決めて、毎日グルグル歩き回っている〇博調査員ですが、

このお地蔵さまは、一度お姿をカメラに収めてから、再び10日後にその前を通りましたので、

「今日もいい天気で踏査日和です。ありがとうございま~す」なんて軽くご挨拶して通り過ぎようとしたんです。 

Photo_20211224145101 2_20211224145201 ←甲西地区湯沢の船乗り地蔵(令和3年12月13日撮影)
でも、とっさに「う~~ん?!、なんか前の時と違うぞ~」と気づいて、ゆっくりお顔を拝見すると、「やっぱり~!」みなさんも違いがわかりましたか?そうです、今日は、真っ白なマスクを付けていらっしゃったのですよ!!

23 この近くにお住いの塩澤さんに教えてもらったのですが、この素敵な赤い手編みのケープと帽子は、この地域の方ではなく、どこか遠くからいらっしゃる心優しい方が定期的に着せ替えてくださっているそうですよ。

23-6 ←甲西地区湯沢の船乗り地蔵(令和3年12月3日撮影)
こちらの「湯沢の舟乗り地蔵」については、平成7年に中巨摩郡文化協会連合会郷土研究部が発行した「中巨摩の石造文化財」にも取り上げられていて、そこには『安山岩製で高さ88cm、舟の長さ85cmで、水難守護・諸病平癒と祈願した。昔、旅をする時に、この地蔵にお参りして出発したという。』と記されています。
 造立年は、舟の側面に銘があり『享保四已亥年中 セ主湯沢村 塚原村』とあると、岡野秀典氏の「『山梨県の岩船地蔵』 1999  山梨県考古学論集Ⅳ 山梨県考古学協会」に記されています。20年後の〇博調査員の目では読むことができなかったので、この記述は大変助かりました。
 このような御舟に乗ったお地蔵様は、「岩船地蔵」と呼ばれることも多く、享保四年(1719)造立のものが大多数なのだそうです。岩船地蔵の造立は、享保四年に関東地方西部から中部地方東部にかけて流行した岩船地蔵信仰に由来するからです。

 岩船地蔵信仰とは、現在の栃木県栃木市岩舟町にある岩船山高勝寺から、その周辺の岩から造られた岩船地蔵が送り出され、村から村へ巡っていくうちに信仰を伝えていくもので、『岩船地蔵が送られてきた村では、それを迎えて華やかな服装をし、にぎやかに囃し立て、念仏をし、近隣の村々まで巡った(県文化財ガイドHP「上積翠寺の岩船地蔵」より)』とあります。そして、『岩船地蔵が巡ってきた村々では、その記念として石造の岩船地蔵を造り、路傍の仏として祀った。』のだそうです。山梨県内では65躰の舟に乗ったお地蔵さまがあるそう(上記県文化財ガイドHPより)で、当地での流行の勢いが凄まじいものであったことが判っています。

 南アルプス市内で〇博調査員が最近見かけた舟乗り地蔵さんは、ここ湯沢の他にもいらっしゃいましたのでご紹介しておきます。

撮った写真があるのは、白根地区在家塚紺屋村舟乗地蔵1躰と櫛形地区小笠原源然寺舟乗り地蔵2躰、甲西地区秋山光昌寺2躰ですが、

このほかにも、白根地区在家塚薬王寺舟乗地蔵1躰と櫛形地区上宮地長昌院舟乗り地蔵1躰、芦安地区芦倉新倉の舟乗地蔵1躰の岩船地蔵が南アルプス市市内にあることが、「『山梨県の岩船地蔵』1999岡野秀典 山梨県考古学論集Ⅳ 山梨県考古学協会」掲載のリストで判ります。(岡野氏論文リストには、小笠原源然寺舟乗り地蔵は1躰のみの記載ですが、「中巨摩の石造文化財」には蓮座に乗るタイプがもう1躰記載されています)

現在のところ、〇博調査員が認識している市内9躰のお地蔵様のうち、現状確認ができていないものに関しては、現地に向かう予定でおります。何か少しでも新たな発見ができればいいなと期待しています。

208-4 208-2 ←白根地区在家塚紺屋村舟乗地蔵(令和2年10月5日撮影)
208-3  ←櫛形地区小笠原源然寺舟乗り地蔵2躰(令和2年10月29日撮影)
594-5 ←甲西地区秋山光昌寺岩船地蔵2躰(令和3年12月20日撮影 左奥のお地蔵さまは舟から落ちた状態)
 岩船地蔵(船乗り地蔵)さんは、造られた年が享保四年とそれに続く数年と限られていることから、その形を見ただけで、およそ300年前のものとすぐわかる興味深い石造物です。南アルプス市内の岩船地蔵(船乗り地蔵)については、現況も確認し、〇博の調査で改めてリストアップしてご報告したいと考えています。

2_20211224145901   今回のコロナ騒ぎで、湯沢の船乗り地蔵様は、300歳を過ぎて初めてマスクを召され、びっくりしていらっしゃるかもしれません。しかし、今も昔も変わらぬ、このお地蔵様を大切に思う人々の気持ちはきっと好ましく受け止めてくださっているのではないかしら。
 水害の多かった地域なので、御舟にのったお地蔵さんは、水難除けとして、300年前の甲州の民の心にすっと入り込んだようですが、この湯沢の船乗り地蔵さんには、病気平癒も祈願したそうなので、〇博調査員もお体を悪くして苦しんでおられる人々を想い、しずかに手を合わせてきました。

参考文献:
『中巨摩の石造文化財』平成7年 中巨摩郡文化協会連合会郷土研究部
『山梨県の岩船地蔵』1999 岡野秀典 山梨考古学論集Ⅳ

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