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2022年2月15日 (火)

西郡の呉服屋さんで買えた雛人形

こんにちは。
Dsc_0425_20220215154501 安藤家の雛人形を飾っていて、気付くことがあります。

Dsc_0055_20220215154501 ←関屋の麻野屋呉服店銘入りの箱には、甲府の雛問屋製作の横沢雛が入っていた。

お人形が入っている箱に地元の呉服屋さんの名前が記されていることがあるんです。

当時の呉服店は、節句人形の販売代理店としての機能も担っていたようですね。
 西郡地域の人々が飾ったお人形は甲府の雛問屋で作られたものに加え、鰍沢の春木屋などの商家を経由して入ってくる駿河で製作された人形も多く流通していたと考えられます。


 明治大正期に昭和初期頃の西郡の人々が人形を求めるときには、
① 甲府の雛問屋か鰍沢の商家に買いに行く。
② 甲府の雛問屋から「ひなんどー、ひなんどー」との掛け声で、安価な横沢雛を籠に担いでやってくる売子から買う。
③ 初節句の晴れ着などを購入するのに合わせて、近所の呉服屋で売っている人形を買う。
の3つの購入方法があったのだと思います。
以前、〇博調査で、高尾街道沿いにある、白根地区西野の保阪呉服店さんでお話を伺った時にも、甲府の雛問屋製作の横沢雛の高級品を何点かお持ちで、興味深く感じたことがありました。


さて、それでは、今回の展示作業で気づいた、呉服店の名入りの人形箱を2つご紹介しましょう。「せきや 麻野屋呉服店」の箱と「戸田街道橋際 常盤特製人形」と書かれた張り紙のある箱です。

Dsc_0039_20220215154501 ←造りのよい横沢雛が2躰入っていた「せきや 麻野屋呉服店」の箱
「せきや」とは「関屋」と呼ばれていた場所のことで、高尾街道と駿信往還が交わる箇所、ちょうど現在の倉庫町交差点あたりのところになります。麻野屋さんは今はもうこの倉庫町付近には存在しないのですが、昭和6年の商店地図をみると、ちゃんと「麻野屋呉服店」さんが載っていましたよ! 地図を見ると、関屋の交差点より北に200メートルくらい行ったところ(現在の「倉庫町北交差点」の北東)に、お店があったようですね。
Photo_20220215154601 ←「昭和6年 大日本職業別明細図より倉庫町拡大図部分」
2_20220215154601 ←関屋は現在の倉庫町交差点付近(2020年8月27日撮影)
Photo_20220215154801 ←関屋にあった演芸場、「関屋 劇場薫座」の法被を着た人(西野池之端喜久屋中込家所蔵資料より)
2_20220215154602 ←関屋のシンボル石造物「ほうけいさん」

Dsc_0427 Dsc_0428 ←「戸田街道橋際 常盤特製人形」と書かれた張り紙のある箱には、説話人形が入っていた。

つづいては、「戸田街道橋際 常盤特製人形」と書かれた張り紙のある箱の方を見てみましょう。
戸田街道橋際といえば小笠原なので、この説話人形を販売したのは、常盤呉服店さんでよいのではないかと考えています。
257 ←現在の常盤呉服店さん(2020年10月21日撮影 この日は定休日でした)。

 静岡と長野を結ぶ駿信往還が南北に通り、途中に甲府のまちから続く高尾街道や戸田街道が交わる西郡地域では、大正期頃になると駿河系の人形と、甲府の雛問屋のつくる人形の、両方から好みで選んで購入できる状況にあったのだと思います。
そのため、静岡から富士川舟運で鰍沢に着いて運ばれたような、天神人形や御殿飾り雛などの駿河系雛飾りと、横沢雛や木箱入りの説話人形などの甲府系雛飾りが同居する、バリエーション豊富な節句飾り資料群が南アルプス市文化財会に収蔵されたわけです。

Dsc_0430 Dsc_0408←静岡を経由してきたと考えられる天神人形と御殿飾り雛

〇博調査員が安藤家住宅の雛飾りに参加するようになってはや5年、毎年少しずつ、飾りつけの後に、個体別調査とリスト化をコツコツと進め、やっと節句飾り資料群全体の概要や地域性のようなものが見えてきました。さらに、白根地区西野功刀家文献資料の中からみつかった明治20年に行われた女児の初節句についての分析からも、明治大正昭和初期の地域の先人たちが、ひなまつりをどのように準備して楽しんでいたか?などが着々と判ってきています。

 そういえば、昨年、長野県坂城町の文化財担当者から、「横沢雛にそっくりな人形を収蔵している」という連絡を受けました。画像を送っていただいたところ、「これは、まさに甲府の雛問屋がつくった横沢雛ですよ!」とお返事したことがありました。 もともとの持ち主は千曲市のお茶問屋さんだったお家とのことでしたので、「静岡からのお茶の流通に、我がまち西郡のどこかで、甲府からの雛人形が便乗したんじゃないか?!」などと、様々に想像が膨らんで感動しました。

 これからも、地域の先人たちが残してくれた節句飾りを末永く皆さまにた楽しんで見ていただけるように、調査を積み重ね、「安藤家ひなまつり」での、さらに厚みと深みのある展示を目指していきたいと思います。

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