令和4年「安藤家住宅端午の節句」飾りました
こんにちは。 先週まで2週間をかけて、南アルプス市は甲西地区にあります、重要文化財安藤家住宅の展示資料を雛人形から端午の節句飾りに替えてきました。
江戸から昭和時代に、南アルプス市市域で飾られた端午の節句の室礼(しつらい)を再現しました。展示資料はすべて、過去に市民の皆さんから寄贈され、文化財課で収蔵しているものです。
南アルプス市ふるさと○○博物館の調査員の大切な仕事の一つとして、収蔵資料の整理、分析、管理、活用がありますが、年ごとにそれらの作業が段階的に進み、展示の充実度に反映できていることを実感しています。
特に貴重なおかぶとは、ここ数年で収蔵数も増えたので(全10点!)、資料保護のためにも、再現品を作成するなど行って、年に3~4点の展示に抑えて、ローテーションさせることができるようになりました。
幟旗も毎年3点ずつ展示することにして、今年の式台付玄関の中央に配した1点は、初お目見えのの「神武天皇と金鵄(神武東征)」の幟旗です。甲西地区にいまも操業されている井上染物店さんで昭和初期(戦前)に作られたものです。
←市民の方からお借りした9メートルの巨大こいのぼりの設置作業には文化財課課長も参戦!
「おかぶと」は、江戸時代の終わりころからから明治の中頃にかけて甲州で流行した、端午の節句の飾り物です。
「カナカンブツ」とも呼ばれます。
武田信玄の他、役者さんや源氏の大将などをモチーフににした4点をガラスケースに入れて展示しています。
←展示の前に収蔵している「おかぶと」すべてを出して、コンディションチェックしました。
←本来の飾り方や失われた部品のわかる手作りの再現品も展示していますので、どうぞ参考にご覧になってください。
「おかぶと」は、『明治25・6年頃から流行らなくなり、明治35・6年頃にはまったく売れなくなった(上野晴朗著やまなしの民俗)』そうですが、
その原因としては、
①明治政府になってからの民俗行事簡素化の流れと、
②家の外に向けて邪気を払うという節句飾り本来の意味が人々の意識から薄れ、座敷の中で人形や幟旗などのミニチュアを飾り、男の子の立身出世を家族で願うという意識への変容、
③明治36年の中央線開通による都会の文化流入の活発化による地域文化の衰退、
といった大きく3点の要因があると考えられます。
甲州独自の節句飾りは、明治20年代になると、何か「時代遅れで田舎臭いもの」と感じられて甲州の人々から忘れ去られていったのではないでしょうか?
令和4年度の安藤家住宅端午の節句では、初展示の資料が多くありますので、毎年観に来てくださっているお客様にも「おやっこれは!」というような目新さを各部屋ごとに感じていただけると思います。 どうぞいらしてください。
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