豊国民学校の子供たちが満州に軍事郵便で送った葉書
こんにちは。 本日は、〇博収蔵資料の中から、昭和19年9月に、豊国民学校の子供たちが満州の部隊に所属する卒業生の河野東さんに送った慰問葉書をご紹介します。
この慰問葉書が書かれたのは、いまから78年前になりますから、当時の子供たちのほとんどが85歳以上になっておられるでしょう。
現在の櫛形地区吉田出身の河野東さんは、郵便局に勤めていましたが、招集され、昭和19年2月から満州の部隊に配属されていました。そして、同年10月7日に戦病死されました。
東さんの生家である河野家より寄贈された資料の一部に、「奉公袋」があり、その中に、東さんの部隊日記・手帳・書簡・死亡通知電報などと一緒に豊国民小学校の子供たちの葉書16点も一緒に収納されていました。豊国民学校の子供たちが、これら慰問の葉書を出してから一カ月もたたないうちに、東さんは亡くなられていたようです。
他の資料に東さんは大正12年7月10日生まれとありましたので、生きていてくだされば現在99歳でしたが、21歳の若さで亡くなられたことになります。
さて、子供たちのはがきを見ていきましょう。
「夜になるとまつむしがないたりして本当にいい気持ちです」初3 渡辺甫
「軍需工場の人たちは飛行機を一機でもおおく一生懸命はたらいています」初6 河野勇子
「蚕も三眠を並び目が廻るよう 鬼畜米英打倒の日まで」高2 谷本斐 ※かぎもろこし=タカキビ コーリャン
「稲の穂がたくさん出てきました」初4 河野武子
初1東 ハナワヨシカ 女の子の後ろにあるのはモロコシ(タカキビ・コーリャン)の実でしょうか?
「さつまいもも大きくなっています」初3 浅野孝行 絵は稲刈り
「にくい米英をやっつけてください」初5 名取保
「さつまいもをつくりました」初3 吹野常雄
「あさってからはおかいこやすみでうんと家へてつだおうとおもいます」初5 原田明雄
「内地はどこをみてももろこしとさつまいもが植え付けられ」高1 河野幸雄
「兵隊さんごあんしんください」初2東 保坂勝子
「へいたいさんおげんきですか」初2東 長溝敏子
「在満将兵の皆様」高1 鈴木一
「もと川崎の学校に通っていたのですが路開のため山梨へ 大東亜戦争を勝ち抜きます」初6(東)成岡マサ子
※路開:(道路疎開のことか?)都市部空襲の延焼防止対策として行われた疎開道路の建設のために立ち退きを余儀なくされた家族が、川崎から豊村へ引っ越してきていたのでしょうか。昭和19年1月より神奈川県では道路疎開が行われました。
以上の葉書には、
東さんの生まれ故郷の豊村が、かぎもろこし(タカキビ)といもだらけなっていた昭和19年の畑風景や、養蚕で忙しい様子、軍需工場での仕事、校庭にサツマイモを植えた戦時体制下の学校生活などがわかる文面が多くあります。一方で戦争とは関係なく訪れる虫の声や実りの秋の気配を素直に表現した部分もあって心和みます。
しかし、文の書出しと終わりには低学年の子たちでさえ、「鬼畜米英打倒の日まで」とか「にくい米英」「大東亜戦争を勝ち抜きます」などといった戦時教育の影響を受けた文言が入り込み、切ない気持ちになるのも確かです。
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