十五所村に瞽女がやってきた
こんにちは。
先月、櫛形地区にお住いの方のお蔵に保管されている文書を見せていただき、取り急ぎ、木箱一箱分に詰まっていた文書のリストを作成させてもらいました。
その中に、江戸時代の天明2年(1782)の十五所村夫銭帳があり、内容をみてみると、瞽女(ごぜ)や虚無僧(こむそう)、浪人、座頭(ざとう)などへの合力金(ごうりききん)、寺社への奉加(寄付)を募って集める行者や御師への出費、御廻状を運ぶ者への駄賃等が記載されていました。いまから240年前のにしごおりの村々にも、甲斐国内だけでなく、遠方からもいろいろな人がやって来ていたんですね。
→天明2年8月から12月までの十五所村夫銭帳 (十五所澤登家文書 個人所有)
その中でも、瞽女は非常に多く来訪していたことがわかりました。ちょうど〇博調査員は、ひと月ほど前に(2022年9月15日当ブログ掲載「瞽女(ごぜ)座元印札」)の記事を書いたところで、甲府の瞽女集団と村々との係わりの痕跡を集めていきたいと考えていたので、該当部分を抽出してみようと思います。
→甲府の瞽女座元印札(西野功刀幹浩家文書 南アルプス市文化財課所蔵)
瞽女とは、三味線を弾き歌謡をうたい、金品をもらいながら村々を巡る盲目の女性のことです。江戸時代には、甲府の横近習町と飯野新町に瞽女たちが集団で多数暮らしており、明治の初めの甲府の瞽女の人数は、二つの座元を併せて250人ほどでした。(詳しくは上記のブログをご覧になってくださいませ)
→「12月の瞽女への合力金支出の記述箇所」天明2年十五所村夫銭帳より (十五所澤登家文書 個人所有)
→天明2年十五所村夫銭帳より瞽女の記録部分の抜粋まとめ表(タップすると拡大します)
以上のように、表にしてまとめて分析してみると、
瞽女は8月から9月の猛暑を避け、10月~12月にかけて14組も訪れており、単独ではなく、5人から11人のグループで十五所村にやってきたことがわかります。そして、12月には集中的に10組も!三日に一度は瞽女さんたちが来村していたことになります。また、甲府からだけではなく、なかには、駿河や松本から、はるばる歩いてやってきた瞽女たちもいました。
次に、村からどのくらいの支出を瞽女にしたか?に着目してみると、村で一泊した場合は、一人当たり甲銀6分が宿泊家に村から支払われています。この、「瞽女が泊まった場合一泊で銀6分」という賄金の決まりについては、甲府の「上今井村諸勘定等についての定書(天明元年(1781)12月)・山梨県史資料編10近世3 p1045」の文書中にも、『一 こせとまり之義ハ壱人ニ付、一夜甲六ツゝ、尤座頭茂右同様ニ而相賄可申事』と、記されていましたので、甲斐国内では一律であった可能性があります。
一方で、宿泊することなく、芸を披露したあとすぐに別の村に移動していく瞽女たちも多くあり、その場合の合力金(※合力とは、村からの支出で、金銭や物資を与えて助けることをいい、江戸時代には、合力を受けながら各地を流浪、遊行(学)する人々がいました。)は、一人当たりでみてみると、2.8厘から8.5厘までと、金額に3倍以上の差があり、年末に向けて高くなっていく傾向が見られます。この支払額の違いは、瞽女たちの芸の習熟度や完成度による差なのか?、あるいは、観客となった村人の数によるものなのかは、夫銭帳からの情報のみではわかりません。
しかしながら、天明二年の十五所村夫銭帳において、合力を受けにきた虚無僧、浪人、寺社への寄付を募る人々が訪れた総数と比較して、瞽女の来訪人数と回数は圧倒的に多く、宿泊させる場合もよくあり、十五所村の人々が瞽女の受け入れに、前向きだった様子がうかがえます。秋から年末にかけて、少なくとも100人以上の瞽女を受入れ、合力金を渡し、時には食事を供したり、泊めてもてなしたりしているのです。天明2年10月から12月にかけての十五所村の瞽女に対する支出は、〆甲銀15匁7分7厘でした。
→天明2年10月4日と10日に瞽女が十五所村に訪れた記録。4日は2組10人の甲府の瞽女が、10日は「するが(駿河)より参り」と書かれている。天明2年十五所村夫銭帳より (十五所澤登家文書 個人所有)
甲斐国には二つの座元が甲府にあり、視力を失った女子は甲府の座元(瞽女組織)に貰い受けてもらい、弟子として芸を教わり身を立てる、という生き方が不文律のように浸透していたようですので、村人にとっては、甲府の瞽女は広い意味で同じ国の互助組織に属するという雰囲気があって、寄付を集めにやってくる遠方国外の寺社の遣いの人々よりも、頻繁に何回来たとしても、すすんで合力してあげたい存在だったのではないでしょうか。村人の瞽女さんたちへの優しく温かいまなざしを持つ風土が、駿州や信州からやってくる他国の瞽女たちの受け入れ方にも影響していたかもしれませんね。
秋が深まって寒くなってくる頃、次々と村にやって来て、なりものうたを披露して楽しませてくれる瞽女たちの姿は、収穫も終わって安堵した人々の心に賑やかな年末年始の彩りを運び込む風物詩であったに違いありません。
〇博では、今後も市内の瞽女来訪の記録にも注視していきたいとおもいます。地域資料を丹念に拾う〇博活動をしていると、どの村にもあった夫銭帳(出納帳)のようなものに、いわゆる社会的周縁(マイノリティ)に属する人々に対して先人たちがどのように接し、共存してきたかの歴史を知る鍵もみつけられるのだということを、今回、教えられました。
カビて埃のかぶった様なものであっても、奇跡的に残されていた(古)文書には必ず先人がわざわざ遺した意義が宿っています。どうぞ市民の皆様には、お蔵によくわからない古い文書が見つかったら、そのまま捨てたり売ったりする前に、地域資料として活用できる文化財課に是非ご一報ください。
天明2年十五所村夫銭帳(全文書出し)
村の負担である夫銭一切を記入した帳面
十五所沢登家所蔵「天明2年村入用夫銭帳」(1782)
『 天明二年
村入用夫銭帳
寅八月日
名主 岩右衛門
覚
一甲四両弐分 利足金
銀弐拾一匁六分
同七匁弐分 市左衛門
同七匁弐分ト 丞右衛門
金壱分 丹右衛門
慥ニ受取申候以上
十一月廿四日
八月廿八日
蝋燭
一銀二匁六分 弐丁代
〇寅八月 覚
八月八日
一銀弐匁四分 留場僧泊
上下弐人
同十日
一同壱分五厘 奉加参り(奉加=放下ほうか※寄付を集めに来ること)
人足 留右衛門
一同壱分
右是ハ信州塩じり村 妙蓮寺参
八月廿日
一御小切御廻状壱通小笠原村
夜中
一同壱分五厘 留右衛門
一同壱分五厘 早右衛門
八月廿三日
一同壱分六厘 奉加参
上下弐人
是ハ信州諏訪ゟ
〇九月
同二日
一同三匁六分 津嶋泊り
三人上下
御立符壱本 利武太夫
金壱分
津嶋 御荷物人足
同三日
一壱分五厘 源右衛門
九月三日
一壱匁五厘 同人分
是ハ沢登村送り可申候以上
九月三日
一壱匁三分 長百姓
是ハ村法度ニ付相談入用
九月十五日
多□山 成就院
一三分
三分 上下弐人掛り
九月廿日
一弐分五厘 荊沢村 御見参り
同廿一日
一壱分五厘 作右衛門
是ハ御年貢御廻状次夜中小笠原村
同廿一日 蝋燭
一三分五厘 弐丁代
同廿七日
一壱分七厘 浪人
江戸ゟ参り
同廿九日
一弐分 甲府参り
宝暦二年申家数人別御改ニ参り
〇十月日
十月四日
一壱分四厘 ごせ五人分
同六日
一壱分四厘 ごせ五人分
十月十日
一銀三匁 瞽女五人組参り
是ハするがゟ参り
同十二日
一七分五厘
同十二日
一同壱匁弐分 座頭壱人泊り
是ハ市川ゟ参り
同十三日
一壱分 作右衛門
十月七日甲府参り
十五日右同断
一同四分五厘 御年貢納 弐斗分入用
同廿日
一壱分 万右衛門
同廿二日
一壱分五厘 留右衛門
壱分五厘 安右衛門
是ハ夜中御廻状次き小笠原村
〇十一月日
同五日
一同弐匁四分 留場御師 弐人泊り
同十日
一弐分 御用入 甲府参り
同十一日
一同五分 石田村 常福寺
同十一日
壱分五厘 當村送り人足 源右衛門
同十七日
一同三匁 瞽 五人泊り
是ハ甲府ゟ参り
同廿二日
一同壱匁五分 東川内下部村
神主依田大和守
是ハゟ神宮後夫(護符)
十一月廿五日三日の分
一銀拾三匁六分五厘
□(酒!?)の代 ←※夫銭は飲食いには使ってはいけないけど・・・
是ハ勘定中入用小入用引
同廿九日 御廻状桃園村出き
一壱分 留右衛門
十二月朔日
甲府ゟ参り
一同三分八厘 瞽女 拾壱人分
同二日
一同三分八厘 瞽女
是ハ甲府参り 拾壱人分
同三日
一六分五厘 作右衛門 御用参
同三日
一五分 同断 源右衛門
甲府参り十二月三日 済
一銀六匁 一万斗 伊せ
同五日
一同七分弐厘 瞽女 拾五人
同六日
是ハ御年貢納参り
一同五分六厘五毛 参仕入用
同七日
一同三分壱厘 瞽女 九人分
同八日
一同弐分三厘 瞽女
同八日
一同壱分五厘 送り 作右衛門
み竹山行者弐人
同八日 み竹山弐人参り
一同壱匁三分弐厘 奉加
同八日
一同四匁八分 瞽女 八人泊り
甲府参り
同十二日
一同八分五厘 瞽女 十人分
同十四日
一同四分七厘 瞽女 六人分
松本ゟ参り
同十四日 十日市場村参り
一同壱分 万右衛門
同十四日
一弐分 小入用
同十八日
一同七分三厘 瞽女 八人参り
駿州ゟ参り
同十九日
一同六分弐厘 瞽女 八人参り
甲府参り
同廿二日 御年貢納
一同二分六厘
甲府参り仕内
同廿四日
一同壱分五厘 万右衛門
同廿五日
一同五分五厘 甚之丞
冬夫銭〆 弐拾八匁壱分 』
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