戦争と摺り版(果実出荷木箱印字用金型)
こんにちは。
南アルプス市ふるさと文化伝承館では、テーマ展「にしごおり果物のキセキ」の会期がはじまって、2カ月が経過しました。展示資料と同じ種類のものがこの地域で盛んに使われていた昭和時代を知る来館者様から、様々なお話を聞く事ができましたので、ご紹介したいと思います。
←テーマ展で展示中の「摺り版(果実出荷木箱印字用金型)」
今回のテーマ展で23点も展示している「果実出荷木箱印字用金型」についてです。
この資料は収蔵時に台帳に登録する際に、名称を何と記そうか悩んだ資料です。というのも、これを実際に使った人からのご寄贈ではなかったため、この道具が使用者の間で何と呼ばれていたかが不明だったからです。
このため、仕方なく、使用用途がわかるようにと、調査員が長ったらしい名付けをしてしまいました。
ところが、つい先日、80歳になられるというお客様から、使用時の呼び名は『摺り版(すりばん)」であると教えていただきました。
←昭和16年から20年の間に作られた「摺り版」
そして、この『摺り版が登場したのは昭和16年以降だった。戦争体制のもと物資不足で、出荷木箱に貼っていた紙ラベルがつくれなくなり、仕方なくあり合わせのブリキやトタンの切れ端を切り抜いて作った摺り版を使うようになった。戦後も物資不足が続いたから、昭和25、6年頃までは皆使っていたし、昭和30年代を過ぎてもそのまま使う家もあった』とのこと。
←戦前に(昭和15年くらいまで)使われていた紙ラベル(戦前のものは文字が右から左へと読める)
そして、印字するための墨はどうやって手に入れたか?の質問については、『かまどに杉の葉などの煤の出やすい植物を燃し、なべ釜の底にこびりついた煤を刷毛とたわしで集めて水に溶いて使った』という人、『煙突掃除をして集めた煤を使った』という方がいらっしゃいました。
←墨の跡の残る摺り版
「摺り版」は、戦争によって起こった未曾有の物資不足を生活の知恵で乗り越えた先人の姿を物語る資料でもあったのですね。
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