昭和8年御勅使川砂防工事実況
こんにちは。
今日は、白根地区飯野にお住まいの方より寄贈していただいた、昭和8年の御勅使川砂防工事の写真をご紹介します。
砂防堰堤は流れる土砂を貯めて川の水の流れをゆるくしたり、土砂の流出量をコントロールして、一度に大量の土砂が下流に流れ出て災害を起こさないようにする役目を果たします。
←「昭和8年度御勅使川砂防工事実況」 (飯野中澤家資料より・南アルプス市文化財課所蔵)
写真に見える昭和8年施工のこの砂防堰堤は、『第八号砂防堰堤』という名称で、高さ2.5メートル、長さ96.7メートル、塩沢入口交差点北の南甘利山橋の東側下流に見える砂防堰堤です。ちょうど、御勅使川福祉公園の西端部にあたります。
出来上がった砂防堰堤の上に座ったりもたれかかったりと、この写真にはざっと数えても150人以上の人々が写っていますね。
大量の砂や石・セメントを運んだり、手練りでコンクリートを作るなど機械のほとんどなかった昭和初期には、たくさんの人とその労力が必要でした。原七郷を含む地元住民の多くが工事労働に従事したそうです。この写真の見つかったお宅のある白根地区飯野でも、大正初期生まれの多数のご先祖様方が、写真の中にいらっしゃることでしょう。
←「石積出(いしつみだし)三番堤と第五番砂防堰堤」(令和5年3月10日撮影)
一方、こちらは先日行われた『史跡御勅使川旧堤防(将棋頭・石積出)保存整備委員会』での『石積出(いしつみだし)三番堤の発掘調査現地報告』にスタッフとして参加した時に撮った画像です。
ちょうど石積出三番堤の真横にある『第五号砂防堰堤』がすももの樹の後ろに少し見えていますね。この第五号砂防堰堤は第八号砂防堰堤より3つ上流のもので昭和7年度内に完工されたものです。
白根町誌にある御勅使川砂防工事のリストを見ると、昭和7年に第一号から六号まで、昭和8年には七号と八号が建設されていました。
←「第五号砂防堰堤」(御勅使川川下から令和5年3月10日撮影)
←「御勅使川流路工事概略図 平面図」(「白根町誌」昭和44年に加筆作成)
←「源大堰堤」(「白根町誌」昭和44年より)
←「御勅使川堰堤」(「白根町誌」昭和44年より)
複数の砂防堰堤を設置していく近代的な御勅使川の治水工事は、大正5年、高さ22.68メートルの芦安堰堤建設からはじまりましたが、それ以前より行われてきた御勅使川治水の史跡は『国指定史跡御勅使川旧堤防(将棋頭・石積出)』という名称で「一番から三番の石積出」「桝形堤防(ますがたていぼう)」「将棋頭(しょうぎがしら)」の3つのゾーンが設定され、保存整備計画が進んでいます。
まずは「桝形堤防」が整備完了し、令和6年の4月以降に史跡公園としてオープンします。御勅使川を暗渠で横断交差する徳島堰から河原内で分水し水田へ通水する水門を守るための堤防史跡です。展望台も設けられるようですから、一年後をとっても楽しみにしている〇博調査員です。
←桝形堤防発掘調査中に行われた見学(徳島堰ウォーク)の様子」(令和3年11月28日撮影)
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