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2024年4月

2024年4月26日 (金)

芦安地区西河原における伊勢湾台風の爪痕

こんにちは。
南アルプス市教育委員会文化財課所蔵の昭和34年災害資料より、今回は芦安村(現南アルプス市芦安地区)西河原の被害状況写真をご覧いただきたいと思います。

1819←飯野東条家災害資料18-1「芦安村西河原流失9戸公民館流失」(南アルプス市教育委員会文化財課所蔵)

昭和34年災害とは、大水害を起こした第7号台風と強力な暴風雨で県内の藁ぶき屋根の家々をことごとく吹き飛ばし破壊した第15号台風(伊勢湾台風)が立て続けに襲いかかり、昭和34年8月から9月にかけて甚大な被害をもたらした一連の災害のことを言います。


芦安村においては、西河原地区が土石流に洗い流されるなど、甚大な被害を蒙りました。

芦安村誌(平成6年発行)によると、『(昭和34年)9月26日の夕方になると風雨が増し濁流が狂奔して川沿いの西河原地区が最も危険にさらされ、住民は家財を取りまとめて非難した。大量の流木が混じった土石流が橋桁にせき止められ、濁水が鉄砲水となって西河原地区を襲い、公民館、巡査駐在所、山梨交通バス車庫、民家、商店など地区ぐるみ十五戸を押し流した。』とあります。


 文化財課所蔵の資料には、災害前の西河原地区風景→水害時の様子→水が曳いた後の様子がわかる写真がありますので、順にご紹介します。災害前後では全く違う光景になってしまっているのですが、そのなかでも流されなかった西河原橋の位置とその左右にみえる立木や民家の場所を確認しながら、見比べてみてください。

Photo_20240426143201←芦安村役場災害資料「台風15号被害前の西河原地区」(南アルプス市教育委員会文化財課所蔵)

186←飯野東条家災害資料18-6「西河原バス終点芦安中心部」(南アルプス市教育委員会文化財課所蔵)

1810_20240426143201←飯野東条家災害資料18-10「公民館の残がい」(南アルプス市教育委員会文化財課所蔵)

153 ←甲府小林家芦安災害資料15号台風-3(南アルプス市教育委員会文化財課所蔵)
152←甲府小林家芦安災害資料15号台風-2(南アルプス市教育委員会文化財課所蔵)

154←甲府小林家芦安災害資料15号台風-4(南アルプス市教育委員会文化財課所蔵)
 芦安地区西河原は、昭和57年にも台風被害により土砂や流木で埋まり、御勅使川が氾濫しました。この時も人的被害は無かったようです。過去に起きた増水時の御勅使川の豹変ぶりと家屋などを跡形もなく押し流す水の脅威の記録を伝え続けることは、今後も起こるであろう災害への布石を打つことになると思います。

 

2024年4月 5日 (金)

昭和34年の甲西町水害画像

こんにちは。
南アルプス市教育委員会文化財課所蔵の昭和34年災害資料より、今回は現在南アルプス市南部に位置する甲西地区での被害状況写真をご覧いただきたいと思います。 甲西地区は市内に降った雨や湧き出た水が集中する場所で、西側には崩れやすく急峻な南アルプスの山々がせまることから、釜無川右岸のいくつもの天井川が集まる常習水害地帯でした。台風7号と15号が山梨県内全域に大きな被害をもたらした昭和34年においては、その前に到来した台風6号も甲西地区五明耕地をすでに冠水させていたようです。
10200 ←10「台風6号甲西町坪川決壊による五明耕地(宮沢前200町歩冠水状況)」(飯野東条家災害資料甲西町10~16南アルプス市教育委員会文化財課蔵)

次に、甲西町誌にある台風7号記述から残された資料写真を時系列に並べてみていきましょう。
甲西町誌(昭和48年刊)
p1609
『昭和34年8月14日本町を襲った台風第七号・・・・・
14日午前0時ころ : 
・富士川は増水はなはだしく、増穂橋付近において、一面に逆流して来て、県道浅原ー増穂線は東南湖の南部地点  まで浸水し、交通不能の状態となった。 
・そのうち宮沢前は湖のようになった。
11_20240405130401 ←11「釜無川の逆流甲西町」(飯野東条家災害資料甲西町10~16南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
13200 ←13「滝沢川決壊南湖地区の200町歩冠水」(飯野東条家災害資料甲西町10~16南アルプス市教育委員会文化財課蔵)

14日午前3時頃 :
・ 坪川は大明橋下でごうごうとしたすごい音をたてて五明耕地へ侵入した。続いて下流右岸が三カ所、左岸が二カ所欠壊し、見る影もない惨状に変わった。
14_20240405130501 ←14「坪川下流の決壊」(飯野東条家災害資料甲西町10~16南アルプス市教育委員会文化財課蔵)

・秋山川も山梨交通軌道付近で決壊し、見るみるうちに、軌道敷は激流に削り取られ、施すすべもなく崩壊し、電車線路は、100mにわたってさらわれ、空中にぶら下がる惨状を見るに至った。 此の濁流は国道52号線を横断して、長沢部落および耕地一面に浸水した。
1215 ←12「7号台風時秋山川決壊により山交電車軌道も宙吊り」(飯野東条家災害資料甲西町10~16南アルプス市教育委員会文化財課蔵):甲西町誌にも掲載「秋山川の堤防決壊で宙吊りになった山交電車線路」

・堰野川は上流西新居部落に向って右岸が欠けくずれ、下流秋山川合流点付近でも左岸が決壊した。
・市之瀬川は、東落合の大橋が崩れ落ちた。
・井路縁川も満水、逆流し、西沼耕地などを湖のようにした。
15150 ←15「坪川上流決壊五明地区150町歩」(飯野東条家災害資料甲西町10~16南アルプス市教育委員会文化財課蔵)

14日午前6時ころ : 和泉万年橋の下流800mの地点で左岸が欠壊して耕地に侵入した。その崩落した土砂はたちまち八糸川の水路を一挙にうずめ、此の濁流は富士川の逆水とともに東南湖・和泉・西南湖の広い耕地を濁水でおおい尽くした。
1615 ←16「15号台風時滝沢川状況」(飯野東条家災害資料甲西町10~16南アルプス市教育委員会文化財課蔵)

14日午前9時 : 雨がやみ台風一過。60年来の大災害。人畜に被害はなかったが、天井川の中に位置する甲西町では、滝沢川・坪川・市之瀬川・堰野川等8カ所が大決壊し、埋没流失した耕地30町歩、浸冠水葯400町歩に及んだ。                                                                     』

甲西地区では、釜無川からの逆流による天井川の決壊を防ぐため、江戸時代から、より下流に合流点を付け替える「つきのべ工事」や、河川を立体交差させるためいくつもの樋門建設が行われてきました。昭和34年災害以降はその根本的改修と釜無川右岸土地改良工事がすすめられ、現在、2008年に完成した釜無川支流立体交差河川群(坪川・横川・滝沢川・五明川・長澤川・旧利根川)が甲西地区を逆流浸水から守っています。

2024年4月 3日 (水)

昭和34年災害と敷島町(現甲斐市)

こんにちは。 
南アルプス市教育委員会文化財課所蔵の昭和34年災害資料より、今回は敷島町(現甲斐市)の被害状況写真をご覧いただきたいと思います。昭和34年災害とは、大水害を起こした第7号台風と強大な暴風雨で県内の藁ぶき屋根の家々をことごとく吹き飛ばし破壊した第15号台風(伊勢湾台風)が立て続けに襲いかかり、昭和34年8月から9月にかけて甚大な被害をもたらした一連の災害のことを言います。
 敷島町でも暴風による家屋の倒壊被害が多く発生した模様です。昭和41年発行の敷島町誌には7号15号台風被害記述と写真が掲載されており、その中に今回〇博で収蔵したものと同じ画像が3点ありました。なお、南アルプス市文化財課収蔵資料には、敷島町誌に未掲載の敷島町被災画像が20点ほどあります。

51 5215 ←飯野東条家資料5-1・2「敷島町第15号台風被害状況」(南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
511 ←1「隆興院(ここには5世帯入居していた)」飯野東条家資料5-1敷島町(南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
: 地点は現甲斐市島上条1318 
512_20240403101301 ←2「笠屋神社(倒壊した神殿)」飯野東条家資料5-1敷島町(南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
: 地点は現甲斐市中下条1290
513 ←3「敷島小学校(惨状を呈した)」飯野東条家資料5-1敷島町(南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
: 地点は現甲斐市島上条212 敷島町誌によると、敷島小学校はこの時改築中で、上棟直後に15号台風の被害に遭ったということです。さらに町誌記述を引用すると、当時の『窪田町長はその倒壊を心配して一晩中その柱に抱きつかんばかりにして防護につとめた結果、幸いにも台風の難をのがれることができた』!!らしいです。
514 ←4「三和電線KK(機械工場が三棟倒壊した)」飯野東条家資料5-1敷島町(南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
:地点は現甲府市荒川2丁目15-1(旧古川電工山梨工場跡→現聖教新聞山梨支局)
515 ←5「宝珠寺(吹き飛んだ屋根)」飯野東条家資料5-1敷島町(南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
:地点は現甲斐市大下条1092

  昭和34年は今から65年前のことですので、現在70歳代以上の方でないとご記憶にないと思います。建物が吹き飛ばされるほどの強風を経験したことがない人が大半となり、台風被害の恐ろしさへの記憶が薄れる中で、自分たちの住んでいる場所が過去にこのような災害に見舞われたことを認識し、備えることは大切だと思います。

近いうちに、地図上で地点を確認しながらこれらの画像を見られる〇博アーカイブにも掲載しますので、ぜひそちらの方でもご覧になってみてください。

2024年4月 1日 (月)

昭和34年災害(伊勢湾台風)の養蚕被害

こんにちは。
昭和34年、山梨は大規模な台風災害に見舞われました。まずは、8月13日を中心に大水害を起こした第7号台風が、そして9月26日には強大な暴風雨で県内の藁ぶき屋根の家々をことごとく吹き飛ばし破壊した第15号台風(伊勢湾台風)が立て続けに襲いかかりました。まさにダブルパンチで甚大な被害をもたらしたため、「昭和34年災害」と呼ばれて語り継がれています。

815飯野東条家昭和34年災害資料8「十五号台風による玉穂村の惨状」より(南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
 先日、〇博の調査によって、南アルプス市内のお宅からその山梨県内各地の昭和34年災害資料がまとまって発見され、南アルプス市教育委員会文化財課にご寄贈いただきました。
今回は概報の一環として、その資料内に、昭和34年当時に県下で主要な産業の一つであった養蚕業の被害状況がわかる玉穂村(現中央市)の画像がいくつかありましたのでピックアップしてご紹介したいと思います。

888- 8養蚕ブームも風と共に去った桑園被害飯野東条家昭和34年災害資料8「十五号台風による玉穂村の惨状」より(南アルプス市教育委員会文化財課蔵):強風により、枝には引きちぎれた桑葉の残がいのみ。これでは葉のみ食べる蚕は育てられない。

815_20240401105801 8-15収穫寸前の蚕の惨状(玉穂村)飯野東条家昭和34年災害資料8「十五号台風による玉穂村の惨状」より(南アルプス市教育委員会文化財課蔵):蚕に繭を作らせる場所となる道具(回転蔟)が潰れた家の外に積み上げられているのがわかる。回転蔟の枠の中には白い繭がたくさん詰まっており、収穫寸前であったことがうかがえる。
9-2 9_20240401110201←9-玉穂村(飯野東条家昭和34年9月災害資料9「玉穂村台風15号被害状況(住宅)」より(南アルプス市教育委員会文化財課蔵)):崩れた家から運び出された回転蔟


9-2_20240401110301 9_20240401110301←9-玉穂村(飯野東条家昭和34年災害資料9「玉穂村台風15号被害状況(住宅)」より(南アルプス市教育委員会文化財課蔵)):家の外に運び出された回転蔟セット

9_20240401110302 9_20240401110303←9-玉穂村(飯野東条家昭和34年災害資料9「玉穂村台風15号被害状況(住宅)」より(南アルプス市教育委員会文化財課蔵)):大風で2階の壁が吹き飛ばされ、藁屋根が捲りあがっており、吊り下げられた回転蔟がむき出しになってしまった。家の外では家族が集まって片付けの話し合いをしているのだろうか?)

9-2_20240401110302 9_20240401110401←9-玉穂村(飯野東条家昭和34年災害資料9「玉穂村台風15号被害状況(住宅)」より(南アルプス市教育委員会文化財課蔵)):蚕を飼う平籠を乗せる蚕棚と回転蔟より古い形態の藁蔟が戸外に吹き飛ばされているのが見える)

 養蚕業への被害画像がみつかった玉穂村(現山梨県中央市)に伊勢湾台風が来たのは9月26日のことですが、その時期はまさに、貴重な現金収入となる晩秋蚕のちょうど収穫時であったはずです。必死に家の中で雨風から守って大切に育ててきた蚕まで家とともに台風に吹き飛ばされてしまうなんて、それまでの苦労が水の泡になるような落胆を人々に与えたに違いありません。
 これらの画像が貼られた資料には、
「十五号台風による玉穂村の惨状」 として、
『 人的被害 軽傷10人
 建物被害 全壊76戸 半壊91戸 非住宅全壊250棟
 農作物被害 水田冠水50町歩 水田倒伏300町歩 蔬菜60町歩 養蚕5500瓦』
と記載されています。
 『養蚕5500瓦』の瓦という単位は現在のg(グラム)のことですので、おそらく蚕種の掃き立て量で5500グラムの被害があったということだと考えられます。
 養蚕業そのものは昭和40年代中頃からどんどん衰退した産業ですが、昭和30年代は第2次世界大戦後もっとも蚕糸業が好調であった時代ですので、伊勢湾台風での養蚕被害状況画像が多くとりあげられているのは、当時の産業背景が反映されている結果だと思います。

 

 

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