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2024年8月

2024年8月20日 (火)

明治大正期の商店の引札

こんにちは。
今回は、最近、櫛形地区上今井にお住いの方よりご寄贈いただき、収蔵した明治大正期の引札(ひきふだ)をご紹介したいと思います。 
 引札は明治大正期の商店の広告チラシのようなものですが、色鮮やかでデザイン性に富み美しいので、お正月の初売りなどにおまけとして客に配られました。
J600dpi22 ←「米穀食塩石油荒物和洋酒罐詰諸帳簿其他雑貨 小笠原金丸商店 引札26×37.2㎝(上今井津久井家資料明治・大正時代)」(南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
 こちらは、明治大正昭和初期には西郡地区一の繁華街であった小笠原にあった金丸商店の引札です。金のなる木に登って小判をザクザク集めている男女に日の出、鶴亀というような、いかにも縁起と羽振りのよい図柄です。この商店で売っているものは「米穀食塩石油荒物和洋酒罐詰諸帳簿その他雑貨」とかいてあります。屋号は「ヤマに〇」
4_20240820150701 ←南アルプス市役所本庁舎東にある旧金丸商店跡(2020年2月13日撮影)
 小笠原にはもう一店同じ名の金丸商店があり、こちらの引札は当ブログ2020年5月8日記事『小笠原の金丸商店』にてご紹介しておりますのでご覧になってみてください。明治35年頃のもので、名前は同じですが、屋号や販売品も「カネに丸」「呉服太物類幷和洋綿糸染糸類」で異なっています。場所はヤマに〇屋号の金丸商店の北に隣り合って軒を連ねていたようですよ!
2_20240820150701 J600dpi22_20240820150601 ←旧金丸商店跡の瓦に残る屋号は引札と同じ「ヤマに〇」(2020年2月13日撮影)
 今回ご紹介している引札の「ヤマに〇」の屋号を持つ金丸商店は、現在は閉店されているようですが、平成15年頃の住宅地図を見てみると、『金丸砂糖店』という表記になっていますので、明治時代末から平成時代まで営業されていたのです。

 次は甲西地区にあった商店の引札をご覧ください。
J600dpi32   ←「諸国銘茶並質屋業 五明村功刀琴四郎 引札」26×37.7㎝(上今井津久井家資料・明治・大正時代)(南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
全体的に黒を基調とした落ち着いた色合いで、これもまた素敵ですね。
引札に記された文字情報によると、功刀琴四郎商店はお茶屋さんの看板を上げながら質屋も営んでいた模様です。引札の左端には明治34年7月10日印刷と記されています。五明村は現在の甲西地区になりますので、当時の櫛形地区上今井に住む人の買物圏を知る手掛かりになります。

J600dpi32_20240820150901 明治大正期に数多く出回った引札は、図柄にこそ地域性はあまりないのですが、そこに記された商店の文字情報によって当時の商店の所在や販売品、それらを利用した人々の動きや生活が復元できる文化財的価値の高いものです。 市民の皆さまが処分を予定している明治大正昭和初期の紙資料の中にも、この引札が紛れ込んでいる可能性があります。何か気になることがありましたら、是非〇博調査員にご一報いただきたいと思います。

2024年8月16日 (金)

月賦商店の通帳

こんにちは。
こちらの資料は、櫛形地区上今井の功刀松太郎商店が大正時代に顧客向けに発行した帳簿です。「通帳(かよいちょう)」といって、江戸時代から昭和40年代初期くらいまで、日常の買い物の際によく使っていた帳簿です。近所にある馴染みの店で日用品や食料を買う時は、その店が発行したこの通帳を持って行けば、キャッシュレスで品物を購入することができました。買ったものの日付や商品名、値段を記入してもらい、その代金は、月末や盆暮れ、コメや繭の収穫時などのまとまったお金が入る時期に支払います。
Dsc_0845_20240816163501 Dsc_0846_20240816163501←「功刀松太郎商店通帳(大正)表・裏」(上今井津久井家資料・南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
112_20240816163601←櫛形地区上今井にある功刀松太郎商店(2020年6月16日撮影)
 それでは、通帳の頁をめくっていきましょう。
Dsc_0852_20240816163601 Dsc_0851_20240816163601←「功刀松太郎商店 通帳(大正7年~8年)」(上今井津久井家資料・南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
 購入品目として米や酢・煮干し・鱒(マス)等食料品のほかに、下駄やチリ紙・付け木などの雑貨消耗品が列記されています。値段も書かれているので、大正時代の物価を知ることができます。また、季節ごとに異なる購入品目の違いから、日常の様子や様々な年中行事等に伴う生活の実態もうかがい知ることができます。
 また、現金で支払いをした日付には店の印が押されています。掠れていて見難いですが、この印からは、大正時代当時の功刀松太郎商店の情報を得られそうです。この通帳のところどころに押された印を見比べて、文字を読み取って行こうと思います。
Dsc_0849 Dsc_0848_20240816163701 Dsc_0847←「功刀松太郎商店 通帳印 『呉服太物本□瓦月賦商 証貸 中巨摩郡豊村上今井(大正7・8・9年)」(上今井津久井家資料・南アルプス市教育委員会文化財課蔵)

通帳内に押されたいくつもの印影を並べてみると、掠れて読めずにいた箇所がある程度判りました。まずは外枠にある文字を右から左に読んでいくと、『呉服太物本□瓦月賦商 中巨摩郡豊村上今井』とあります。□の一文字はどうしても読めないのですが、『証』という字かもしれません。真ん中には、屋号の下に『功刀商店 証貸』とあります。
 ここで、『月賦商』『証貸』という聞き慣れない言葉を調べてみたいと思います。
 月賦商(げっぷしょう)とは、代金を一度に払わずに、分割して月ごとに支払うことを条件にした販売方法をとる店のことをいいます。先に代金を支払う前払い式と後から代金を支払う方式があり、明治時代以降に普及したようです。
また、証貸とは、証書貸付の意味で、店が借用証書をとってお金を貸すこと(融資すること)です。
 このように印影の文字情報からは、この功刀松太郎商店が食品も扱うよろず屋さん的な商売以外に、銀行のような貸付業務も行っていたことがわかりました。
 この通帳を使っていた津久井家の場合は、店印の押された箇所に、『〇〇円御預り申事』と記されており、買った商品の代金とは関係なく、お金が入った時にまとまった額を預けておいて、その預金から購入商品の代金を引き落としてもらっていたようです。いまの私たちが電子マネーで買い物をするのと同じですね。
 さらに功刀松太郎商店は、証貸業務もしているということですから、預け入れてある金額を超過するような買物をしたい時や融資を頼みたい時は今の銀行のように対応してもらえたということですね。
 今回は、この通帳をじっくり観察したことで、上今井にあった功刀松太郎商店が銀行業務も併せて行っていたことが判りました。
Dsc_0847-2 ←「功刀松太郎商店 通帳(大正7年)」(上今井津久井家資料・南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
 豊村は明治38年にそれまでの主産業であった煙草産業から蚕糸業へと転換を図り、大正時代には、一般家庭でも新規にはじめる養蚕の設備や器具等への投資で幾らかの資金が必要になる状況があったと考えられます。そのような情勢の中で、起業家や投資家などが使用する大手銀行とは別に、近所の雑貨店が比較的些少な金額を融資する証貸業務も行っているのは、とても便利なことだったと思います。

 

2024年8月 9日 (金)

曽我物語の引札

 こんにちは。

 先日、櫛形地区上今井にお住まいの方より、蔵に保管されていた文書類とともに明治大正期の引札(ひきふだ)のご寄贈がありました。 

 引札は明治大正期の商店の広告チラシのようなものですが、色鮮やかでデザイン性に富み美しいので、お正月の初売りなどにおまけとして客に配られました。

文化財としても、明治大正期に存在した地域商店の名前や販売品、所在地などを知る手掛かりとなり、当時の人々の生活を復元する上で価値の高いものです。今日はその中から曽我物語をデザインした一点をご覧いただきたいと思います。

1-jpeg ←「雑貨商上今井大和屋商店引札38×52㎝(明治・大正時代)」(上今井津久井家資料・南アルプス市教育委員会文化財課蔵)

 こちらの引札は曽我兄弟の物語を題材としたデザインとなっており、右上部分には『最新流行浪花節』として、なんと!物語のあらすじが文章で添付されている比較的珍しいタイプです。浪花節とも呼ばれる浪曲(ろうきょく)は明治時代にはじまった話芸で、三味線を伴奏に独特の節回しで義理人情などを語るもので、明治大正時代には人気の娯楽でした。

600dpi103 ←曽我物語のあらすじ『最新流行浪花節』の部分

 曽我物語は鎌倉時代初期に起きた「曽我兄弟の仇討ち」を題材としたお話です。「曽我物(そがもの)」と一括りで呼ばれるほど、この題材は能や歌舞伎、読み物や話芸、浮世絵や人形など多くの演目や媒体に広がりが見られます。そのため、引札が配られた明治大正期、昭和初期までは誰もがよく知るドラマティックストーリーでした。

 600dpi105 ←富士の巻狩場の曽我兄弟:「群千鳥」の着物で右に立つ兄の曽我十郎祐成(そがじゅうろうすけなり)と蝶の模様の入った着物の弟の曽我五郎時宗(そがごろうときむね)が討ち入ろうとする場面

600dpi104 ←虎御前:兄の祐成の愛妾の遊女。南アルプス市芦安地区の伝承では、虎御前は「芦安安通の生まれで伊豆大磯の富豪の養女となった」とある。また、安通の伊豆神社跡近くには虎御前が鏡を立てて化粧をしたという「虎御前の鏡立石」がある。さらに、恋人同士であった曽我十郎と虎御前の木像が伊豆神社から移されて大曽利の諏訪神社に保管されており、市の文化財に指定されている。

  また、静岡県や神奈川県などに多い曽我物語にゆかりの史跡ですが、ここ南アルプス市芦安地区と八田地区野牛島にもいくつか点在しており、西郡の先人たちには特になじみ深いお話だったと思います。ですから、当時流行りだった浪曲風に語ることのできる曽我物語が印刷されている引札となれば、充分な宣伝効果が得られたのではないかと思います。

600dpi106 ←「山にト」の屋号の豊村上今井大和屋商店

961-5 961 ←上今井大和屋商店(2020年7月2日撮影):屋号が「山に平」であり、引札にある屋号と異なっている。これは、現在の店主家が昭和初期に隣家にあった引札の屋号の店から営業権を購入してはじめたためだとのことである。(津久井家聴き取りによる2022年7月)

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