荊沢にあった商店の大正時代の包装紙
こんにちは。
今回は文化財課収蔵資料の中から、南アルプス市甲西地区荊沢にあった商店の包装紙をご紹介いたします。
←「松寿軒長崎包装紙(電話荊沢二十番」(湯沢依田家資料)(南アルプス市教育委員会文化財課蔵」
松寿軒長崎は明治から平成時代まで 駿信往還の宿場町である荊沢において営業した菓子商です。ちょうど道が鍵の手のようにクランクする「かねんて」と呼ばれる箇所の西側に、現在も登録有形文化財として、その建物が遺されています。
松の意匠の帯デザインの中に、店名と電話番号が記されており、この包装紙がいつごろから使用されていたかが判ります。甲西地区では大正9年11月26日に電話が個人宅や商店に開通し、1から41番の荊沢局電話加入者がいました。ですから、この包装紙は大正9年以降に使用されたものだと判断できます。また、その電話加入者一覧を甲西町誌(昭和48年刊)で見ることができますが、20番は『内藤伝吉 菓子商』とありました。
←南アルプス市荊沢319に建つ松寿軒長崎(2021年10月8日撮影)
こちらの建物については、登録有形文化財として南アルプス市HPでの文化財情報や地図上で見る〇博アーカイブ、Mなび等でご紹介していますので興味のある方はご覧くださいませ。
つづいては、荊沢の商店包装紙二軒目のご紹介です。
←「荊沢麻野屋呉服店包装紙(電話番号三五番)」(湯沢依田家資料)(南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
麻の葉模様がさわやかなこちらの包装紙も、大正9年の電話番号一覧で記されている35番をみてみると、『あさのや入倉小三郎 呉服商』とありました。
←「荊沢麻野屋のあった辺り」(2021年9月29日文化財課撮影)
昭和初期には、「せきや麻野屋呉服店」として、白根地区倉庫町交差点に包装紙にあるのと同じ屋号(「ヤマに中」)の店が存在していましたので、支店を出していたようですね。
←「倉庫町関屋にあったせきや麻野屋呉服店のチラシ」(西野功刀幹浩家資料)(南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
また、荊沢には麻野屋商店という名の店がもう一軒あり、そちらは茶問屋で茶器や食器なども販売していました。場所もちょうど同じ「かねんて」付近で呉服の麻野屋さんが駿信往還の東側にあるのに対して、茶問屋である麻野屋商店(屋号は「カネに麻」)は中野姓で西側に店を構えていました。 南アルプス市教育委員会文化財課収蔵資料や市内の旧家の蔵などで保存箱として使われている茶箱にこの麻野屋商店の文字をよく見かけます。
←「雛人形の保管に使用されていた荊沢御銘茶所麻野屋商店の茶箱」(南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
〇博調査的に、先人の遺したチラシや包装紙のストックは、かつて存在した商店の情報や地域ごとに異なるお買い物事情を知る手掛かりになるので重要視しています。