腸チフス予防唱歌とコレラ注意報!!
こんにちは。
先週くらいから急に寒くなって、やっぱり今年も冬が来るのだと実感しました。寒くなって空気が乾燥してくると、また風邪などの伝染病が流行する季節にもなりますね。
今回は、大正10年頃に山梨県衛生課が高等小学校に配った「チブス予防唱歌」のリーフレットと、コレラ注意報として配布された「虎軍隣県を襲ふ!! 本県は危険状態にあり!!」のチラシをご紹介したいと思います。
大正10年頃に山梨県衛生課は「チブス予防唱歌」というものを作成して小学生に配ったようです。小学校の生徒に毎日見てもらえるように、二つ折りにして時間割を記入できるような欄も設ける工夫がされています。
←山梨県衛生課チブス予防唱歌(表)(湯沢依田家資料・南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
まず表紙では『チブス?』の項でこの病気の原因と感染経路、病状などを説明し、感染予防対策の方法や罹患した場合の対処について簡潔に記しています。 一般的には「チフス」という呼び名の方が聞き慣れているのですが、かつては「窒扶斯」という漢字を当てたようなので大正時代には「チブス」と濁音にして読んでいたこともよくあったのかもしれません。 記載内容を読んでみると、紹介されているチブスという病気が現代日本で言うところの「腸チフス」であることがわかります。
また、この面を山折りに二つ折りにすると裏になる部分に、名前や時間割を書く欄があったり、ギリシャとイギリス、日本の俚諺(りげん)が3つ記され、健康の大切さを表したことわざも教えてくれています。
←山梨県衛生課チブス予防唱歌(裏)(湯沢依田家資料・南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
見開きページには、真ん中にチブス予防唱歌の歌詞と楽譜(数学譜)があり、これをぐるっと囲むように明治13年~大正9年までの山梨県内腸チフス患者及び志望者累年表が記されています。
『チブス予防唱歌
【一】山川清き山梨に 悪疫チブスは蔓これり 人々互ひに警めて 此の病毒を絶やせかし
【二】飲食ひものに附着して チブスの病毒は口に入る 味ひよくも生魚や 生の野菜は食すなよ
【三】まして生水や氷水 使ひ水にも注意して 食事前には手を洗ひ 暴飲暴食せぬ様に
【四】蠅を駆除して食器には 蓋する事を忘るゝな 家の内外掃除して 身体衣服も清潔に
【五】予防注射も早く受け 患者を見舞う事勿れ 熱病む人のある時は 醫者を迎えよ直ぐ様に
【六】かくて縣民一斉に 心協せて豫防せば 流石に猛き腸チブス 忽ち跡を絶ちぬべし 』
この予防唱歌を歌っていれば、表紙にあったようなチフス対策を万全に覚えられるようなっています。すばらしいですね!
予防唱歌の周りにある、山梨県下における腸チフス患者及び死亡者数の推移の方を見ていくと、明治14年に大流行があり、明治25年にもまた流行したことが判ります。 しかし、明治30年に伝染病予防法にて法定伝染病に指定されたことが功を奏しようで、明治31年~40年代はじめまでの山梨県内の腸チフス患者数は劇的に減少しています。その後は、明治44年と大正9年に流行がみられます。今回の資料は、大正9年の流行に接し、前回の流行年からおよそ10年ほどで緩んできた感染対策を特に経験のない子供たちに徹底・注意喚起するように対象者を絞って山梨県が配布したものだったのではないでしょうか。
明治30年以降、腸チフスは感染対策を徹底することで罹患リスクを減らすことができることが実証されていたので、大正元年頃から実施が増えてきた腸チフスワクチン注射とあわせて、流行終息を目指したものと考えられます。
なお、平成11年に施行された感染症法により、現在、法定伝染病は家畜に関して定められるものになり、腸チフスは「3類感染症」と分類されているそうです。
つづいては、チブス予防唱歌の資料と同じく山梨県衛生課作成のチラシですが、これはコレラに対する注意喚起するものです。前記の大正10年のチフスに関するもの同じ資料群にありました。この資料ではコレラを「虎軍」と表現していますが当時は「虎狼狸」「虎列刺」とも表記することがあったようです。
←山梨県衛生課コレラ予防チラシ「虎軍隣県を襲ふ!! 本県は危険状態にあり!!」(湯沢依田家資料・南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
また、コレラの流行の歴史について少し調べてみると、インドからはじまったパンデミックにより日本では江戸時代(安政年間)から明治大正期にかけて幾度もの流行が起こりましたが、大正9年に神戸市から発生したものを最後に全国的な流行は起きていないようなので、この資料は大正9年から10年頃に配布されたものと推定できます。
『虎軍隣県を襲ふ!! 本県は危険状態にあり!!』と喧伝し、『流行地ヨリ来リシ者ニ注意スルコト』『コレラ流行地ヘ行カヌコト』などの文言からはじまるところは、つい数年前の令和初めに起こった新型コロナウイルスのパンデミックにおいて、都道府県をまたぐ不要不急の移動の自粛が私たちに求められた状況を思い起こさせます。
命はもとより国の経済・社会の仕組みにまで影響を与える感染症の急襲は、病原や感染経路が解明され、ある程度の治療体制を持つようになった近代以降においても、人々がその脅威を忘れて緩むたびに繰り返されています。