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2024年12月13日 (金)

昭和26年のきみ子ちゃんの絵日記を読む4

こんにちは。
 今日も、前回からの続きで小学三年生のきみ子ちゃんの日記から、昭和26年6月29~7月1日までのものと最後のページにある先生の講評をご紹介します。
 お父さんとお母さん、そしてお兄さんと弟との5人家族に育ったきみ子ちゃんは、何かしらの家の手伝いを毎日しているしっかりものの女の子です。この絵日記は昭和26年(1951)6月16日から7月1日まで毎日欠かさず書かれたもので、紐で一冊に綴じられていました。6月後半の2週間は麦刈りや田植えの行われる時期ですからちょうど農繁期休みの期間であったと考えられ、ほぼ毎日、家の仕事に勤しんでいる姿が事細かに絵に表現され、その下段に文章がしたためられています。
 また、この絵日記には、昭和26年の櫛形地区の中野の風景や人々の暮らしを物語る細かいデティールが、きみ子ちゃんという、絵の上手な女の子によって素晴らしく表現されています。この資料によって、私たちは、小学3年生の彼女の目や心のフィルターを通して、昭和26年の南アルプス市域におけるヤマカタ(山方)の生活というものを知り、その時代の子供の気持ちを追体験することができるような気がするのです。
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←「昭和26年公子ちゃんの絵日記・6月29日(金)雨雲晴」(中野上田家資料・南アルプス市教育委員会文化財課蔵)

 絵は、麦扱きの様子ですね。
お母さんが、ベルトで発動機とつないだ脱穀機に麦束をすべらせて、麦扱きをしています。麦扱きとは、刈った麦の穂を藁からこき落とす作業のことです。きみ子ちゃんは麦の束を両手いっぱいに抱えて、脱穀機のところまで運ぶお手伝いをしています。
「朝起きて少し経つと、雨が降ってきた。お母さんが今日はこれでは麦扱きができないねといった。」そのうちに、雨がやんできて晴れになったので、手伝いのおばさんが二人来てくれて麦扱きができたようです。「私は麦を運んだ」と文にあります。
 山梨県の郷土食といわれるほうとうも小麦粉でつくります。米と同様に麦も大切な作物でした。この日もきみ子ちゃんは頑張ったんだね!
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←「昭和26年公子ちゃんの絵日記・6月30日(土)晴」(中野上田家資料・南アルプス市教育委員会文化財課蔵)

 きみ子ちゃんが背負子(しょいこ)にかごをくくり付けて歩いています。
 「昼休みをしてからお母さんとはるえさんと東の畑の所のじゃがいもを掘りに行きました。私が背負子(しょいこ)にかごを縛って、芋を運んだ。背負子が大きいので、上手くおしりの所へいって歩けなかった。おかあさんが芋をこいでから、お母さんも運んだ。そのうちにサイレンが鳴った。」
 昔は子供も結構重たいものを運ぶ機会があったのですよね。ふるさと文化伝承館では、小学校三年生の子供たちが学習する昔の暮らしの授業で背負子を体験してもらうのですが、ちょうど同じような学年の子供たちがこんな風に背負子でジャガイモを運んでいたことをこの日記を見て知ってもらいたいです。 
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←「昭和26年公子ちゃんの絵日記・7月1日(日)雲晴」(中野上田家資料・南アルプス市教育委員会文化財課蔵)

 この日の絵は、家の中のようすですね。障子戸の外に見えるのは、山々の頂です。きみ子ちゃんの家がどのような場所に建っていて、周辺の景観はどんな感じだったかがわかります。そう、櫛形地区中野は大変見晴らしの良い場所なのです。そんな家の中で、きみ子ちゃんはランドセルに学校で使うものを入れて準備しています。
「私が明日学校へ行くだからと言って、かばんの中に学校で使うものをしまっていると、今夜、道祖神祭りだから、ジャガイモをふかしてくれと言ったので、整理をしてからお母さんが言ったことをしてやった。そして晩、道祖神へ行って楽しくとびあいってきた。」
 いよいよ今日で農繁期休みは終わりなのですね。小学3年生で一人で、かまどで火を焚いてジャガイモをふかすことを任されるなんてすごいなぁ! 最終日の夜は、楽しい道祖神祭りの日でよかったです。「ぞうそりん(道祖神)」へ行って「とびあいってきた」という最後の甲州弁の一文が、きみ子ちゃんの楽しさに弾む心の度合いをよく表していると思います。※甲州弁で「とびあいってきた」とは、「忙しく走り回ってきた」という意味。走ることを飛ぶといい、歩くを「あいく」という。
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←「昭和26年公子ちゃんの絵日記・教師講評」(中野上田家資料・南アルプス市教育委員会文化財課蔵)

 最後の空白のページには、赤いインクでその時の担任の先生であった秋山正美先生の講評が書かれています。雨宮キミコさんによると、まだ若い男の先生だったそうですよ。
「お休み中公子はよくお手伝いをしましたね。そして毎日絵日記がとても丁寧に書いてあります。公子が買って来たたばこ、おとうさんは本当においしくのむ事でしょう。 公子が両手にお茶をつるして田に行く姿が思はれました。 杉の木にカニがおったなどとてもうまく書けています 秋山正美」
 これまで、4回の記事をわたって、昭和26年6月に櫛形地区中野で、小学3年生の農繁期休みの出来事を綴ったきみ子ちゃんの日記をご紹介しました。
 この絵日記にあるきみ子ちゃんのお手伝いの数々をみてまず驚くのは、今の小学校低学年の子供たちが普段頼まれているようなお手伝いに比べ、かなり高レベルな作業内容だということです。
 例えば、「芋をふかしておく」という作業は、畑で芋を掘って、屋外の水路で洗ってから、台所のかまどで火を起こしてお湯を沸かして調理します。現代と違って何倍もの工程と労力が必要になり作業内容も高度です。でもきみ子ちゃんはこの一連の作業を全部ひとりでできます。もちろん、毎回その作業を最初からすべて行うわけではありませんが、現在の私たちがスーパーで買ってきたジャガイモにラップをかけてチンするだけとは訳が違います。これはもはやお手伝いというレベルではなく、家事の一部を小学校低学年でガッツリ担っているといった感じです。この家はきみこちゃんがいなければ回っていかないのではないだろうかと思われるほどです。もちろん、時代的にも、社会的にも状況が全く違いますので、現代の子供たちに同じようなことが要求される事態はあり得ません。
 しかし、昭和20年代では、子供たち一人一人が家族の一員であるという強い自覚とともに、その経営の一部を担っているという感覚や責任感を強く持っていたのだと想像させられます。
Dsc_1009 ←「キミコさんからの聴き取り調査の様子(2024年11月7日撮影)」
 聞き取り調査で雨宮キミコさんが話してくれたのですが、きみ子ちゃんが小学一年生くらいの頃から、お父さんは病気で体調の悪い日が多かったそうです。そのため、この日記の絵には、お父さんの気配はあれども姿が描かれていなかったことが理解できました。
 そこで、〇博調査員が「お母さんを助けようと、きみ子ちゃんは人一倍頑張っていたのでしょうね」というと、意外にも、雨宮さんは「いや、そんなことは特に思った記憶はないです。みんなどの家の子もそれくらいのお手伝いはしてたと思う」とおっしゃっていらしたのが印象的でした。
3164 ←「中野上田家絵日記資料一括」(中野上田家資料・南アルプス市教育委員会文化財課蔵)

 南アルプス市○○博物館活動では、このような子供たちの絵日記も大切な地域の文化や生活を物語る資料として大切に収蔵し、保管・活用を進めています。

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