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2024年12月11日 (水)

昭和26年のきみ子ちゃんの絵日記を読む2

こんにちは。
 今日も、前回からの続きで小学三年生のきみ子ちゃんの日記から昭和26年6月20~24日のものをご紹介します。
 お父さんとお母さん、そしてお兄さんと弟との5人家族に育ったきみ子ちゃんは、何かしらの家の手伝いを毎日しているしっかりものの女の子です。この絵日記は昭和26年(1951)6月16日から7月1日まで毎日欠かさず書かれたもので、紐で一冊に綴じられていました。6月後半の2週間は麦刈りや田植えの行われる時期ですからちょうど農繁期休みの期間であったと考えられ、ほぼ毎日、家の仕事に勤しんでいる姿が事細かに絵に表現され、その下段に文章がしたためられています。
 また、この絵日記には、昭和26年の櫛形地区の中野の風景や人々の暮らしを物語る細かいデティールなどが、きみ子ちゃんという、絵の上手な女の子によって素晴らしく表現されています。この資料によって、私たちは、小学3年生の彼女の目や心のフィルターを通して、昭和26年の南アルプス市域におけるヤマカタ(山方)の生活というものを知り、その時代の子供の気持ちを追体験することができるような気がするのです。
10005 ←「昭和26年公子ちゃんの絵日記・6月20日(水)曇晴」(中野上田家資料・南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
 この絵は、きみ子ちゃんがお風呂を沸かしている様子です。
 夕方に弟が頼まれた風呂焚きの途中で眠ってしまったので、きみ子ちゃんが代わりに湯を沸かすことになったようです。文の最後に「松葉だから、けむ(煙)がたくさん出た」と書いてあります。
 絵をよく見ると、水を入れた木樽の五右衛門風呂に薪ボイラーが取り付けてあり、奥納戸の前できみ子ちゃんが木っ端にちょこんと腰かけて、燃料の枝を差し入れている場面ですね。ボイラーの煙突からはもうもうと煙があがっており、このすごい煙の原因は松葉を燃したからだったのですね。煙突から出た灰が湯船に落ちないように、五右衛門風呂には大きな木の蓋もかぶせてあります。湯温を調整するためなのか、水を入れた桶も横に置いてありますよ。きみ子ちゃんの絵のおかげで昔のお風呂の支度の様子がよくわかります。きっと松葉の煙が目に沁みてチクチク痛かっただろうなぁとか、〇博調査員だったら涙がポロポロ出ちゃったに違いない、なんて思いました。いまはお風呂を沸かすのに、スイッチ一つでよいことに心より感謝申しまする。
10006 ←「昭和26年公子ちゃんの絵日記・6月21日(木)晴」(中野上田家資料・南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
 この日のきみ子ちゃんは、水路で何やら洗い物でしょうか? 文によると、お母さんに頼まれてジャガイモを畑でとって庭の水路で洗っている場面のようです。ところが、洗っている最中にジャガイモを一つ流してしまったので拾いに行ったところ、滑ってしまい、履いていたゴム草履ごと川に入ってしまったそうですが、柿の木のところまで流れて行ってしまったジャガイモは無事に拾えたようですね。ちなみに、濡れたゴム草履は石の上に干しておいたとのこと。
 もう一度このきみ子ちゃんの記述を踏まえて絵をみると、水路の中を大きなでこぼこのジャガイモが一個流れていくのがわかりますし、ジャガイモを拾うことができた場所にある柿の木も描かれています。
 また、文中にはありませんでしたが、右奥にある大きな建物が水を引き揚げるポンプ小屋であることを、成長したきみ子ちゃん(雨宮キミコさん)からの証言で確認しています。
Dsc_1008←「キミコさんからの聴き取り調査の様子(2024年11月7日撮影)」

10007 ←「昭和26年公子ちゃんの絵日記・6月22日(金)晴雨」(中野上田家資料・南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
やかんと風呂敷包を持って田舎道を歩くきみ子ちゃん。現在も櫛形地区中野にはこの絵のような棚田風景が遺されており、この絵の中からも観る人に心地よい風が運ばれてくるようです。
 きみ子ちゃんは「おちゃごし」と呼ばれる野良で働く人たちの休憩のために、お茶と食べ物を田んぼに持って行く役をお母さんに頼まれたようですね。その帰り道にある杉の木にいたカニを3つ獲って、家のヒヨコに与えました。そうすると、ヒヨコたちは「とりっこ」して喜んで食べたみたいです。子供の日常の空気感が伝わる生き生きとした絵と内容にワクワクさせてもらいました。
10008 ←「昭和26年公子ちゃんの絵日記・6月23日(土)晴」(中野上田家資料・南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
 次の日の日記も棚田の中を歩いているきみ子ちゃんの絵です。でも、手にはやかんと風呂敷ではなくて、あぜ道を稲苗の束を両手に持って運んでいます。文によると、この日のきみ子ちゃんは、朝は植木に水をやってから、田植えのために苗代にあった苗を田んぼまで運ぶ仕事をしたようです。文中に、小学生らしく「ねえ」=苗、「持ちに行った」=取りに行った等、甲州の方言の音そのままに書かれているのが微笑ましいです。
10009 ←「昭和26年公子ちゃんの絵日記・6月24日(日)」(中野上田家資料・南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
 この絵は、ほおずきの実を描いたもののようですよ。
 今日のきみ子ちゃんは、田に水をかけに行くお手伝いの途中で、ほおずきの青い実がたくさんなっているのを見て、その2つをもいで帰ってきたのだそうです。家に帰ってから「ほおずきをこしらえて鳴らしてみた」とあります。これはどういうことかと調べてみると、ほおずきの実を覆っているガクを剥いて外して、ミニトマトみたいな実を取り出した後さらにその中の果肉を取り除いてミニトマトの皮だけの風船みたいになったものを口の中に入れて鳴らすと、ギュッギュッとカエルの鳴き声のような音が鳴るのだそうです。きみ子ちゃんは「ならしてみたら、口の中が苦かった」そうです。絵にあるほおずきはまだ青いので熟していなくて果肉も苦かったのでしょうか?昔の子供の遊びの一つを教えてもらえて、うれしくなった〇博調査員です。
 
今日はここまでで。
昭和26年6月25日からの日記は次回にご紹介します。

 

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