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2025年6月26日 (木)

軍神広瀬武夫の幟旗

こんにちは。
本日は、南アルプス市ふるさと文化伝承館で開催中のテーマ展「ぼこんとうとせんそう」より資料紹介をしたいと思います。
Dsc_1401   ←「広瀬中佐の幟旗(69㎝×867㎝)昭和10年代 峡西古市場井上染物店制作」(南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
 こちらは、日露戦争において活躍した軍神、広瀬中佐を端午の節句飾りである幟旗に描いたものです。子どもの初節句のお祝いに贈られました。
日露戦争旅順港閉塞作戦において明治37年3月27日に戦死した広瀬武夫は、死後30年ほど経った昭和10年頃に軍神とされた人物です。旅順港閉塞作戦とは、古い艦船を旅順港の湾口に数隻沈め、港の入り口を閉塞させ、ロシアの艦隊を海上封鎖する作戦でした。第一次閉塞作戦につづき第二次閉塞作戦に参加した広瀬武夫は沈みゆく船から部下の杉野孫七上等兵曹が脱出してこないのを心配し、自ら船に戻って三度も探すが見つけられず、あきらめて脱出用のボートに乗りうつります。ところが、そこで広瀬の頭にロシア軍の砲弾が直撃して亡くなってしまいました。彼のこの最期は、「勇猛である一方で、人一倍優しく部下思いであった上司の鑑」として称えらました。
Dsc_1356 Dsc_1353 ←ロシア旅順港口付近の荒波の中、甲板に立つ軍神広瀬武夫を中心に緑色と青色の軍服を着た人物が描かれています。広瀬が自分の命を犠牲にしてまで探した杉野孫七上等兵曹がここに描かれているのかどうかはわかりません。そして下部をよく観ると、広瀬の乗る船にめがけて右方向から砲弾が飛んできている様が見えますので、もしかしたら彼がこの絵で乗っている船は脱出用で、この場面の直後にその砲弾が彼の頭に直撃したとも考えられます。
 今回はスペースの都合上、8メートル以上にもなるこの資料の上部の絵柄を観ていただくように展示することができなかったのですが、見えていない上部にはサーチライトで照らしながら日本軍を探すように航行するロシア船のようなものも描かれています。
 しかし、明治37年に戦死した広瀬武夫を軍神として祀る神社が建てられたり、その逸話が文部省唱歌の題材となる動きが盛んになったのは昭和11年のことです。日中戦争を始める前のタイミングでの広瀬中佐の軍神化は、国民の戦意高揚のためのヒーローつくりの一環であったのではないかと言われています。
当然のことながら軍神のモチーフは昭和20年の終戦後には全く作られませんので、以上のことから、この幟旗は昭和11年頃から太平洋戦争が開始して物資不足となる前の昭和16年までくらいの短い期間にのみ作られた題材ではないかと考えられます。
 ちなみに、この広瀬武夫の幟旗を制作した井上染物店は現在でもこいのぼりや幟旗を市内古市場で製作販売していますが、戦後、幟旗の主要モチーフは戦国時代の武将たちで、とりわけ甲州では郷土の英雄武田信玄の登場する川中島の戦いが一番の人気のようです。

Dsc_1404
 このたびのテーマ展「ぼこんとうとせんそう」では、戦時体制の影響が子どもたちの身の回りにある品々にどのように表れるのかを見ていただく資料の一つとして、地元染物店で製作された初節句の祝い品である幟旗を展示しています。

Dsc_1407 節句飾りの幟旗は、子どもの健やかな成長を願い、親の期待する成長像を投影した人物が登場する逸話をモチーフとした絵が描かれますが、戦時体制下には、そのモチーフに国民の戦意高揚に利用されていた「軍神」が登場したわけです。生まれたばかりの子供の世界にも戦時体制特有の空気感が否応なく満たされていった状況を想像できます。

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