大正・昭和時代の国勢調査員たち
こんにちは。
今年の秋は国勢調査が行われましたね。ということで、今回は国勢調査にかかわる資料をご紹介していこうと思います。
国勢調査は、日本に住むすべての人と世帯を対象に、5年ごとに行う統計調査です。日本で初めて国勢調査が行われたのは、大正9年(1920)のことです。始まってからもう100年以上が経過しています。
まずは、大正九年に行われた第一回時の国勢調査員たちが残した資料をから見ていきましょう。
←大正12年2月21日中巨摩郡第一回国勢調査員宮城拝観記念 湯沢依田家資料(南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
←大正12年2月21日中巨摩郡第一回国勢調査員宮城拝観記念 古市場藤巻家蔵
初めての国家的大規模調査の最前線を担った中巨摩郡の国勢調査員たちを慰労するためなのか、大正12年に皇居(宮城)を拝観する旅行が行われたようです。第一回調査から2年余りが経過し、国としては、次の大正14年に行う第二回国勢調査が2年後に迫った頃で、次回の調査も協力を頼みますよ、というような意味合いもあって行われた行事だったのでしょうか?
ほかの地区ではどうだったのかと少し調べてみると、同じ山梨県の東山梨郡第一回国勢調査員宮城拝観は中巨摩郡が拝観した翌日の大正12年2月22日だった他、ネット検索だけでも、岩手県種市村では同年6月14日、神奈川県大磯町では同年8月27日などの宮城拝観日の記念写真や記録が出てきますので、どうやら、大正12年に第一回国勢調査員の皇居拝観が全国的に行われたようですね。
また、第一回の調査員に授与された記念品も収蔵資料にありましたので、ご紹介しておきます。
←第一回国勢調査記念品:朱塗りの三重木盃で、金色の鵄(とび)が止まった弓を持つ神武天皇が描かれている。沢登斎藤(昭)家資料 (南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
←大正14年10月1日西野村第二回国勢調査記念 西野芦澤質屋家資料(南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
大正14年の第二回国勢調査では、国勢調査で唯一、集計までを地方で行ったのだそうです。
戦後の高度成長期に入り、人々の暮らしや家族の在り方が大きく変化していく昭和30年代の国勢調査員の残した資料も収蔵しています。
←昭和30年第8回国勢調査員資料 上今諏訪手塚家資料 (南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
←昭和35年第9回国勢調査員資料 上今諏訪手塚家資料 (南アルプス市教育委員会文化財課蔵)
令和時代の調査ではインターネット回答が推奨され普及してきました。
国勢調査によって、時代とともに次々と変化していく日本の国の有り様を把握する意義は大きいですが、近年はプライバシー意識の高まりなどに伴って、回収率は低下している模様です。国勢調査員の職務の難しさはますます高まっていくのでしょうね。
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