こんにちは。
前回に引き続き、南アルプス市ふるさと文化伝承館令和7年度第1回テーマ展「ぼこんとうとせんそう」より、国民学校日誌に記載された内容から読み解くシリーズを続けたいと思います。
※学校日誌とは教師が書き記す日誌のことです。各学校で生徒や教職員の出欠状況、その日の出来事などが毎日記載されます。現在の学校においても行われています。基本的に5年間の保存期間でよいとされていますが、南アルプス市内では過去の古い日誌が断片的に遺され発見された学校がいくつかあり、通報いただいた場合それらを文化財課で収蔵しておりました。2025年7月現在、南アルプス市教育委員会文化財課では、五明学校、大明尋常小学校・大明尋常高等小学校・大明国民学校・大明小学校・大明農業補習学校・大明夜学会、鮎沢学校、飯野尋常高等小学校・飯野国民学校・飯野小学校・巨摩第一小学校、鏡中條国民学校の日誌を計133冊収蔵しており、その中から戦時下にあたる昭和16年から20年にかけての国民学校時代のものを、個人情報に配慮した上で現在開催中のテーマ展で展示しています。学校教練や訓話の内容、空襲、疎開、学徒の勤労動員など戦時下特有の様子が記録されています。
今回は戦争のために学校で供出した物の内訳や献金、勤労奉仕についてみていこうと思います。
←国民学校日誌(南アルプス市教育委員会文化財課蔵の一部)
まずは、国民学校時代のものがすべて揃っている大明国民学校と飯野国民学校の日誌から供出と勤労奉仕・動員に関わる箇所を以下に抄出してみます。
「大明・飯野国民学校で行われた供出・勤労奉仕・動員年表(抜粋)」
昭和16年
大明「7月7日支那事変4周年記念式 前線将兵と義勇軍宛の慰問袋作成」
大明「7月29日峡西電鉄路線除草勤労奉仕・桑皮供出」
12月8日真珠湾攻撃 太平洋戦争開始
昭和17年
大明「6月8日より5日間桑皮採集の増産運動」
大明「7月7日支那事変記念式・債券購入1円券310枚5円券(額面7円50銭)63枚を職員児童にて購入セリ」
大明「10月4日軍人援護として慰問文発送各家庭に軍人援護の習字を清書シ添付ス」
飯野「11月9日金属供出(七輪3ケ花瓶1ケ火薬銃1ケ鉄砲丸1ケ供出)」
昭和18年
2月1日ガダルカナル島撤退
5月29日アッツ島玉砕
飯野「6月11日~5日間増産協力全学年普通授業を廃シ増産運動に協力す」
大明「6月25日職員一同にて中庭に晩豆の播種行う」
大明6月25日砲弾等の特別金属の供出なす」
大明「7月1・2・5日校庭などに豆蒔」
大明「7月26日桑皮集荷」
大明「7月・8月滝沢川堤の草刈り(堆肥にするため)
大明「8月8日弾丸切手155枚購入」
大明「11月29日ウサギ二頭を供出ス」
大明「12月8日国防費67円41銭を献金」
大明「12月20日麦踏」
昭和19年
大明「3月10日藁草履作成競技会開催」
大明「3月24日玉幡飛行場石拾い」
7月7日サイパン島陥落
大明「10月7日両村出身兵士全員に対し慰問文ヲ発送ス」
10月25日レイテ沖海戦で日本海軍敗北・神風特攻隊初出撃
大明「11月29日どんぐり及すすきノ穂採集のため野之瀬村方面に出動す・どんぐりの紙芝居を全校児童鑑賞ス※紙芝居「どんぐりの出征」
昭和20年
飯野「1月4日勤労動員として高二女児は本日より峡西社へ」
大明「1月15日大井五明両村一斉麦踏実施ニツキ初3以上午後より勤労奉仕ヲナス」
飯野「2月28日初五以上軍工事勤労作業はじまる」
3月10日東京大空襲 13日大阪大空襲 22日硫黄島日本軍全滅
3月26日沖縄に米軍上陸
大明「3月17日~源村飛行場建設工事勤労奉仕」
大明「4月14日初5以上野之瀬村に薪取りに出動」
飯野「4月21日滑走路の石拾い」
大明「4月18日他高1男女子排水工事出動・初5以上薪取り・柳の皮むき(薬用サリチル酸抽出用か?」
飯野「5月1日以降高2男は白根工場・女は日本蚕糸へ学徒動員」
大明「5月1日食用山野草採取のため全校出動」
飯野「5月18日1高一誘導路葱・19日大豆播種29日防空壕、滑空路施肥料作業」
大明「5月5日より高1女全員日蚕大井第一工場通年動員開始」
飯野「5月14日野草採集」
飯野「6月19日21日野草のアカザの採集について訓話」
飯野「6月19日除草石拾い防空壕の整理」
飯野「6月20日防諜図画習字綴方・アカザの採集・桑皮の採集について訓話」
6月23日沖縄戦終了
大明「7月26日桑園の芽カキ初4以上」
大明「8月9日臨時休業・食料山野草薬草採集ヲ全職員で行フ」
大明「9月6日放課後藁草履を全職員ニテ製作ス」
大明「8月21日□□工場ニ出勤中ノ学徒ノ解散式ヲ行フ」
大明「8月23日笠原製糸工場動員ノ児童本日をもって解散ス」
大明「8月29日非農家児童高1高2女33名笠原工場に本日より出勤ス」
大明「9月29日日蚕大井工場出動中の高1・2女本日に限り復員」
以上に抄出した年表を詳細に見ていくと、昭和16年の夏頃より子どもたちによる勤労奉仕や供出が行われており、太平洋戦争が開始する前から日本は勤労人材や物資が不足した状態であったことがわかります。
飛行機を増産するために、国策紙芝居においても強く供出を呼びかけられた金属は、飯野国民学校では昭和17年11月9日に「七輪3ケ花瓶1ケ火薬銃1ケ鉄砲丸1ケ供出」、大明国民学校では昭和18年6月25日に「砲弾等の特別金属を供出」とあります。昭和19年以降には金属供出は見られません。もう学校備品を含めても出せる金属はなくなってしまったのでしょうか。
←昭和17年11月9日飯野国民学校日誌「七輪3ケ花瓶1ケ火薬銃1ケ鉄砲丸1ケ供出ス」
また、金銭を介しておこなう戦争協力として、昭和17年大明国民学校では「7月7日支那事変記念式・債券購入1円券310枚5円券(額面7円50銭)63枚を職員児童にて購入セリ」、昭和18年には「8月8日弾丸切手155枚購入」大明「12月8日国防費67円41銭を献金」が見られ、軍事費を賄うための戦時国債や「弾丸切手」と呼ばれた戦時郵便貯金切手の購入や献金なども学校で組織的に行われたことが示唆されます。
←昭和17年7月7日大明国民学校日誌「債券購入1円券310枚5円券(額面7円50銭)63枚を職員児童にて購入セリ」
←昭和18年8月8日大明国民学校日誌「弾丸切手購入 弾丸切手百五拾五枚の購入」
戦場にいかない子どもたちが学校ぐるみで行った戦争協力として、兵隊に送る慰問の手紙やはがきの作成がありました。
学校では、軍人援護の教育として慰問文の綴り方が指導され、慰問文その他を入れた慰問袋をつくって前線の将兵や満蒙開拓青少年義勇軍個人に宛て送るということが行われています。
←昭和15年1月1日号少女倶楽部付録「少女の慰問文画帖」(南アルプス市教育委員会文化財課蔵):少女たちが戦地で戦う兵士たちに送る慰問文の例文集。文画帖とあるとおり、慰問袋に同封する絵の例も掲載される。「戦地のお父さんへ」など兵士へ送るもの、「出征兵士の留守宅へ」といった内地でやりとりするものなど様々な例文と解説が並んでいる。
←慰問葉書(南アルプス市教育委員会文化財課蔵)昭和19年に豊国民学校の子どもたちが満洲の部隊に所属する卒業生の一人に送ったもの。その兵士の遺品として親族に届いた慰問袋の中に入っていた。
次に、学校ぐるみで行う戦争協力活動として、子どもたちが採集・製作した末に供出されたモノを見ていこうと思います。品目としては、藁草履・桑皮・ドングリの実・ススキの穂・ヤナギの皮・アカザ・薪、校内で飼っていたであろうウサギ二頭が日誌の記述から拾えました。これらは、子どもたちによる採集や製作、飼育の末に供出されるものです。しかし、藁草履や薪は別として、日誌の記述だけでは供出された後どのように活用されたかを知ることができません。そこで、一般的にはどのようであったか調べてみると、以下のような利用方法が考えられました。
桑の皮 ⇒ 繊維を取り出して ⇒ 衣服を作る
ドングリ ⇒ アルコールを製造 ⇒ 飛行機や戦車や自動車に使うガソリンの代用
ドングリ ⇒ タンニンの抽出 ⇒ 皮をなめすのに使う
ススキの穂⇒ 掃除するための箒(ほうき)でも作ったのでしょうか?
ヤナギの皮⇒ 煎じ薬にする ⇒ 鎮痛剤となる
アカザ ⇒ 若葉を摘む ⇒ 食用とする
アカザ ⇒ 煎じ薬にする ⇒ 強壮剤や鎮痛剤となる
ウサギ ⇒ 毛皮をとる ⇒ 兵隊用の防寒着に使用
※アカザは北海道から沖縄まで日本列島に広く分布する1年生の野草で、葉を茹でてよく水に晒してからおひたしやみそ汁の具などにして食用とするほかに、乾燥させた後煎じると『強壮、健胃、歯の痛み止め、毒虫刺され(外用)など』に効能のある薬草となるようです。参考文献:『見つけて食べて愉しむ季節の薬用植物150種』森昭彦 株式会社秀和システム 2023 『食べられる草ハンドブック』森昭彦 株式会社自由国民社 2021
←成長したアカザ(2025年9月7日山梨県中央市にて栽培されているのを発見し撮影。アカザは秋まで成長させて杖の材料として使用するのだそうです。新芽を食用や薬用とするだけでない、とても有用な植物なのですね!
市内国民学校日誌には、教師たちが昭和19年春に野草食料植物研究会等出席のため甲府や近隣学校に出張した記録があり、各学校での教育や活動に生かされたものと考えられます。
国民学校で常々、自分たちが倹約や勤労に励んで少しでも戦争のお役に立てば、勝ち抜くことができると教えられていた当時の子どもたちは、勉強をしないで教室を出て一生懸命に野草までも集めて供出したのでしょうね。