果樹栽培関連

2020年4月15日 (水)

さくらんぼの花摘みと葯採取

こんにちは。
Dsc_0553    昨日、今日と御勅使川扇状地は晴れ渡っています。一昨日の大雨のおかげで、八ヶ岳や富士山、南アルプスの山々が雪化粧しました。下界ではスモモ、桃に続いて、白いサクランボの花が満開です。

午前中に通りがかった八田地区では、授粉用花粉を集めるための花摘みがあちこちで行われていました。

Dsc_0541_20200415172501 この後、農協の施設内にある葯採取機を使って、手で摘んだ花から花粉だけを取り出します。

花粉はダチョウの羽を使ってサイドレス内に植えられた、高砂・豊錦、佐藤錦、紅秀峰など様々な品種の樹に受粉されるんですよ。

 Dsc_0476  ←葯採取機で花粉を取り出す作業 JA南アルプス市八田共選所内にある葯採取機を使って、サクランボ(ナポレオン)の花粉を取り出す清水さん。(令和2年4月9日午後、JA八田共選所内にて撮影)
Dsc_0475_20200415172601 Dsc_0482_20200415172601 ←上部の投入口から摘み取った花を投入して、スイッチオンすると装置が振動し、下部側面の2つの出口から花びらとがく等が分別して排出されてきます。

機械の真下にある箱の中に葯(花粉)が落ちています。

どうやら、内部で羽の付いたドラムが回転して花を解体し、装置内でふるいにかけているようです。
Dsc_0501 ←集まったさくらんぼの葯(花粉)は、この後、家でさらに手でふるい掛けしてゴミを取り除くそうです。
 集めた花粉は、すぐに授粉に利用するものと、JAに預けて冷凍貯蔵して来年使用するものとに分けます。実際の受粉にはその年に採取したいわゆる「生葯」と昨年度に採取した「冷凍葯」を混ぜて量増しして使用することが多いそうです。

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 南アルプス市域では、4月13日から促成栽培のハウスさくらんぼの出荷が始まったという報道がありましたが、現在、多くの農家が手掛けている露地もので「サイドレス」という雨除け施設を使ったさくらんぼ栽培では、だいたい5月中頃からです。

←サイドレス(令和2年4月15日9時半頃、八田地区徳永にて撮影)

さくらんぼの実は雨に当たると傷んでしまうため、受粉後は雨除けの屋根の下で大切に育てられます。また、鳥さんたちに食べられないように、サイドをネットで囲ってしまいます。

例年、5月20日前後に始まる当地のサクランボ狩りでは、人々はこのネットで囲われたサイドレス内に入って初夏の味を楽しみます。

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南アルプス市域で開発されたサクランボ栽培における雨除け技術の歴史は古く、サイドレス登場以前の昭和40年代初めには、樹ごとに巻き上げ式の三角屋根を設置していました。

(さくらんぼの三角屋根とサイドレスについては、当ブログ果樹栽培関連記事カテゴリーの「雨とさくらんぼ」2018年9月25日の記事をよろしかったらご覧ください)

2020年3月26日 (木)

紅の霞棚引く如く(甲西のスモモの花)

こんにちは。  

Dsc_0405_20200326142201 南アルプス市内の果樹地帯では、2週間ほど前から、ひときわノッポで淡いピンクのスモモの授粉樹「ハリウッド」が咲き始め、春が本格的に始まりました。

つづいて純白のスモモの花々が満開となってきた先週末頃から濃いピンクの桃の花が、昨日あたりからは桜の花も開き始めました。市内各地が美しいです! 

 

フルーツ王国の花々は何が有ろうと、惑わされることなく、気候に合わせて淡々と自分たちの仕事をしています。そんな実直で律儀な花々たちの様子を見に、お彼岸のお休みに甲西地区に出かけてみました。

 Dsc_0360 Dsc_0359 まずは、秋山川すももの郷公園に車を停めて散策しますと、脚立をかけて摘花作業にいそしむ人々を見かけました。良い実をつくるために枝の先端と上部についている花を落としています。

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 Dsc_0390 次に秋山からトンネルをくぐって、高台にある湯沢の懸腰山から眺めてみることにしました。

Dsc_0397 Dsc_0400 日蓮上人ゆかりの眺望で知られる名勝、懸腰山(けんようざん)ですが、現在ここからでは残念ながら電柱が邪魔をしているので、道を挟んだ高台を登ったところに展望場がもうけられていました。

Dsc_0391 ←こちらがその展望場から撮影した画像です。(令和2年3月21日撮影)でも私個人的にはスモモの花に埋もれる秋山や湯沢の集落をメインに撮影したかったので、ここから見える下の道に降りてもっと東方面にカメラを向けてみました。

Dsc_0410 ←花に埋もれて青緑色の屋根が2つ並んで見えるのは、左から湯沢区公民館と落合創造館アミカルです。ああ、まさに桃源郷!

Dsc_0357  嘉永4年(1851)「甲斐叢記」という書物みると、四巻・宗持里落合村の項に、『落合湯澤塚原の三村に係て 近き頃より桃の樹を夥く植え実を採て生業とする者多し 花の盛には西山の足一面に紅の霞棚引如くにて いと麗しき風景なり』と記されていました。

 現在も春の落合で見ることのできるスモモの花の饗宴が、江戸時代から続く歴史的景観であることに感動しました。

 Dsc_0374 江戸時代の人が、「くれないのかすみたなびくごとく」と表現した甲西地区落合の春、今年も変わらず麗しいですわよ♡

2019年10月16日 (水)

ぶどう棚の変遷を〇博収蔵画像資料にみる

こんにちは。
1972103   〇博では、南アルプス市民の日常の風景が写し出されたアルバム写真を提供していただき、収蔵していますが、その中から、ブドウ栽培の様子を捉えたものをいくつかご紹介したいと思います。特に今回は、被写体のバックに写り込んでいるぶどう棚の様子に着目してみたいと思います。
←「棚栽培で着色した甲斐路」昭和50年代撮影・西野功刀幹弘家資料より

 皆様ご存知の通り、日本のブドウは棚の下にぶら下がって実っているのが普通です。外国では垣根仕立てが主流ですが、水はけがよく日当たりの良い乾燥した土地を好むブドウの栽培を多湿な日本で行うために、江戸時代中期に、甲州で竹を使った棚での栽培が生み出されました。
明治31年になると、竹の代わりに針金を張り巡らせるようになり丈夫になります。(参考:日本遺産公式HP「葡萄畑が織りなす風景~山梨県峡東地域~」)
 
 それでは、〇博で今年度収蔵した南アルプス市在家塚中込家アルバム資料にて葡萄棚の様子をご覧ください。
Img20190820_1338184811_20191016120101←昭和30年代撮影・在家塚中込家資料より

美しく針金(以下、ワイヤー)が方眼に張られています。
果樹棚を支えている支柱は木製ですね。
この支柱を使って上方から吊り上げるようにワイヤーを設置するようです。

 次に南アルプス市西野功刀家アルバム資料の葡萄棚に注目してみましょう。
Jpg-s4910_20191016120102Jpg-s4910_20191016120104Jpg-s4910     ←昭和49年撮影・西野功刀幸男家資料より

昭和40年代後半の葡萄棚は支柱が金属になり、その基礎はコンクリートでできています。
支柱からのばした針金を方眼に張るために必要な外辺の柱もコンクリート製ですが、垂直ではなく地面から外辺に向かって傾斜するように設置されているのが面白いですね。ワイヤーがぴんと張るように力学的に計算された傾斜なのでしょう。これも甲州流なのでしょうか?ぶどう棚を設置した職人の技を感じます。

Jpg-s4910_20191016120101 ←この写真には、「昭和49年10月吉日 施工者山梨市河野氏」とあります。
 市内のブドウ栽培者からの聞取りによると、近年はぶどう棚をつくるのに専門的な知識を持った職人がほ非常に少なくなり、新しく設置されるぶどう棚は、単管パイプをジョイントで組み合わせて柱を立て、その上にワイヤーを組んで作るものが増えてきたそうです。
13_20191016120101 ←昭和30年代撮影・在家塚中込家アルバム資料より)まるで浮世絵の構図のようなぶどう棚と支柱にのぼった職人の姿。
Img20180807_145509371280  南アルプス市市内にぶどう棚を作る職人の方がまだご健在でしたら、是非お話を伺いたいと切望しています。
日本のブドウ栽培史において欠かすことのできない棚の設置技術や素材の変遷など、特に南アルプス市域のぶどう棚に関する情報をマニアックに知りたいです。
不確かな情報ですが、櫛形の宮地に「しゅんぞうさん」と呼ばれる職人がいらっしゃるらしいです!?来年度の櫛形地区の調査でお会いできたらいいなぁと期待しているのですけどね・・・。

2019年10月 3日 (木)

在家塚のSS導入期(クボタ製エアーブラストスプレヤー)

こんにちは。
12(在家中込家資料より)こちらの写真は在家塚で昭和30年代に撮影された写真です。トラクターによってけん引されている機械にはクボタの「エアーブラストスプレヤー KS15-15」という文字が見えます。
おそらく、「エスエス」の開発段階、もしくは農業用薬剤噴霧の機械化導入初期に試験運用している状況を撮影した写真ではないでしょうか?

 Dsc_2238(2018年撮影 白根地区飯野にて)現在、南アルプス市域では、果樹への薬剤噴霧を行う特殊車両である、通称「エスエス」と呼ばれる真っ赤なスピードスプレーヤーをよく見かけます。

Dsc_0012_20191003105501  Dsc_0015 Dsc_0023 散水にも使用されますが、非常に細かい霧状にした液体が、後方についているノズルから180度放出され、樹のてっぺんから葉の裏までまんべんなく噴霧できます。
←(以下3点カラー・2019年撮影 白根地区今諏訪にて)
市内で生産されるサクランボ、スモモ、モモ、ブドウ、キウイフルーツ、カキなどほぼすべての果樹の栽培に欠かせないマシンです。

 
Photo_20191003110601(夢・ふるさと白根100年の回想より)昭和33年1月25日に当市白根地区の西野農協が、国内メーカの共立が開発したSS-1型を県内第一号で導入しました。
Photo_20191003105801 当時は未だ噴霧器をけん引車が引っ張るタイプしかなく、噴霧器及びタンクと車が一体となった現在のコンパクトな自走式タイプではありませんでした。自走式が出回るようになるのは昭和40年代に入ってからのことです。
(白根町誌より)もしかしてクボタ製かも?
 白根町誌などの記録によると、在家塚でのエスエスの本格的な導入は、昭和40~42年の間に昭信というメーカーの自走式エスエスが最初であったことが判っていますので、クボタ製エスエスの写真はおそらく本格導入ではなく、試験的な運用として昭和34年~39年の間に撮影されたものと判断できます。
11131415_20191003105501(以下モノクロ4枚・在家塚中込家資料より 昭和30年代撮影 クボタ・エアーブレストエアーブレストスプレヤー)
 ところで、今回見つかったクボタ製エスエスの写真5点すべてを見て不思議に思うことは、肝心のエアーブレストスプレヤー自体が噴霧している場面の写真が一枚もないことです。
ご紹介している農薬噴霧器の写真資料はすべて在家塚中込家資料の中にあったものですので、企業秘密ということで個人的には撮影許可が下りなかったのでしょうか?
 残念ながらその後、クボタ製のエスエスは本格的に販売されなかったのか?完成されずに開発段階で終わってしまったのか?よくわかりませんけれども、現在の南アルプス市内で走っているのを見ることはありません。
 果樹農家の方々とエスエスの話題がでても、丸山・昭信・共立の三社製に限られていて、それ以外の名が挙がった記憶がありません。

 しかし、いままでエスエスの導入と小型化への開発は、白根地区の中でも西野区の農家と共立の取り組みが聞き取り調査等で知っていましたが、これ以外にもエスエス市場に参入しようとするメーカーが白根地区を舞台に(在家塚でも)活動していたことが今回判りました。
 この事実が在家塚中込家への訪問古文書調査の合間に見せていただいた、ご家族の思い出写真アルバムの中に偶然に紛れ込んでいたこともまた、興味深い経験でした。

2019年9月26日 (木)

在家塚で果実出荷箱用プリント金型みつかる

 こんにちは。
2019411 201944 こちらの果樹 出荷箱用プリント金型は、在家塚の中込家で昭和30年代に使用されたものです。

201941637 ←昭和37年西野農協共選所(西野功刀幸男家資料より) 段ボールが主流になる前の昭和39年頃までは、木箱に木毛(もくも)と呼ばれる緩衝材を入れて出荷していました。木工所から仕入れた木箱に、各家で屋号と所属する組合の銘・品種と重量をこれらの金型で印字してから果実を詰めて出荷しました。
20194  ←南アルプス市白根地区在家塚の中込家で、こちらの箱に16枚の金型が入った状 態で保存されていたものを、このたび南アルプス市の文化財課にご寄贈くださいました。
201941-2  その16枚のプレートを分類してみると、中込家では昭和30年代に、5品目7種もの果樹を同時に栽培・出荷していたということがわかりました。

 2019414 一つの箱に入った金型資料が分散せずに、在家塚のある一軒の果樹農家から一括で見つかったことは、○○博物館調査員としては、たいへんうれしいことでした。
なぜならば、白根地区での果樹農業を特徴づけてきた多品目栽培を裏付ける実物資料だからです。
201949  フルーツ通のみなさんならご存知だと思いますけど、この昭和30年代の金型の品種名を見て、サクランボ・ブドウ・リンゴ・カキ・モモの中からそれぞれどの品目か言い当てることができるでしょうか?
201946 果樹農家の間では「品種は世につれ世は品種につれ」というように、カキの大和百目を除いては、現在ではあまりつくられていない品種が多いように思います。
201943 ある時代によく栽培された品種は、その時代の世情を反映しているものだといわれます。
皮ごと食べられて酸味のないシャインマスカットがブドウ界の一番人気を得ている令和元年のいまは、後世からみるとどんな世情だったといわれるのでしょうかね?
2019415
Photo_20190926163101 ←金型と一緒に在家塚中込家より提供していただいたアルバム写真の画像データ。フラフープは日本で昭和34年に大流行したようです。在家塚では江戸時代から続くなにげない庭先での柿干し風景だと思いますが、前にいるフラフープの少年とのコラボが時代観をばっちり表現していて、〇博的に大好物です!(在家塚中込家資料より)

2019年6月14日 (金)

南プスとさくらんぼ-南アルプスたべもの風物詩6-

 こんにちは。
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 103 いま、南アルプス市はさくらんぼの収穫が最盛期です。
 初夏を告げるさくらんぼの真っ赤な実が太陽の光を浴びてあちらこちらでピカピカと宝石のように輝いています。
 昭和50年代に他の栽培地に先駆けて始まったサクランボ狩りで、週末は市内各地大賑わいです。
←西野長谷部家収穫風景平成30年6月撮影
Dsc_0269 ←さて、こちらは、ふるさと文化伝承館で展示中のサクランボの出荷用ゴム印です。
サクランボを出荷する際に、品種を表示するために使用したものです。
 昭和30年頃迄に使用していたものだと思われますが、那翁・ナポレオン・ジャボレー・高砂など明治時代から栽培されていた古い品種も見られます。

 ちなみに「那翁」は明治43年に日本園芸会の桜桃名称一定協議会でつけられた「ナポレオン」の和名だそうで、この同じ時に「ロックポートビガロー」という品種が「高砂」という和名になりました。面白いことに「高砂」の名は広まっても、「那翁」という呼び名は普及しなかったのですね。
 南アルプス市のさくらんぼ栽培は100年以上の歴史があります。さくらんぼの生産量で山形、北海道に次いで3位の山梨県内においても、南アルプス市はその栽培の先駆をなしました。
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 大正二年(1913)10月上旬に、小野義次と中込紋蔵が、山形より高砂とナポレオン種の苗木を貨車2両分(600本といわれる)買い、白根地区西野に移植したのが、本格的なさくらんぼ栽培のはじまりです。(南アルプス市西野に栽培を導入した小野家では、明治44年(1911)に、小野義次が山形より桜桃苗400本購入したという話も伝えられています)
←昭和初期に撮影された西野のサクランボ栽培先駆者たち。左端が小野義次・真ん中で帽子を持つ老人は西野果実郷の父といわれる小野要三郎(義次の父)」(西野功刀家資料)
 Dsc_0267 Dsc_3083 こちらは、ふるさと文化伝承館で展示中の出荷用の箱です。
先日、若いお客様がこの箱のラベルを見て、「サクランボの絵の上にある『桜桃』の文字は何と読むのか?」と訊かれました。「おうとう」といいますと答えると、「(音で聞くと、)黄色い桃のことを言っているみたいで、紛らわしいですね」と言われました。 さくらんぼは学術用語では「桜桃」ですが、桜の実である「桜の坊や」という意味の、親しみを込めた呼び名になったようです。
 甲府にも住んでいたことがある太宰治には、「桜桃」という作品があり、その中でもさくらんぼという呼び名は使わず、ぜいたくな食べ物である桜桃をわざとまずそうに食べる印象的なシーンが登場します。
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 ところで、日本にはじめて桜桃が入ってきたのは明治元年(1868)で、王国山形県では明治20年頃よりサクランボ栽培が本格的に始まっています。その山形に遅れること25~30年ほどのちに本格栽培がはじまった山梨ですが、大正12年頃には西野は生食用のサクランボの産地として名を馳せるようになりました。

Photo_4Photo_6  以来、白根地区を中心とした現南アルプス市域の桜桃栽培は、日本における栽培最南端地として山形産より2週間早く出荷でき、首都圏への流通で地の利を生かした販売戦略が功を奏してきました。
一方、生産高一位の山形県産サクランボは、明治時代から昭和40年代まで缶詰用の生産が主流だったようです。
 生食さくらんぼの産地として、100年以上の歴史を語る資料を、文化財課では収集・整理・保管しています。集積されてきた成果をふるさと文化伝承館で展示していますので、サクランボの季節に是非見にいらしてください。
←↑大正時代と思われる桜桃収穫と箱詰めの様子。(西野芦澤家資料)

2019年4月17日 (水)

果樹の授粉はオーストリッチフェザーで

Dsc_0021 こんにちは、みづほです。
←オーストリッチフェザーの毛羽たき
Dsc_2478  白根地区百々にあるJA南アルプス市アグリガーデン北部店さんに、果樹農家の必需品を観に行きました。
←このお店では、この地域ならではの果樹栽培に特化した独特の品ぞろえを誇ります。

特に入り口付近に並べられる商品は、この地域で栽培される果樹の成長具合に順じて、刻々と変わっていくその時々に必要な農具や消耗品で、訪れるたびに(二週間ほどで)並べられている品物がガラッと様変わりしていて面白いです。
 
Dsc_0012←4月のはじめに伺ったこの日の販売品のメインはスモモやサクランボ、モモの授粉に使用される「毛羽たき」でした。柄の長さや毛の種類(水鳥や駝鳥羽等ある)や密度、毛羽部分の大きさ等、様々に違う毛羽たきが売られていました。
Dsc_0979  つい先日、上八田の小野家で棚栽培しているスモモの貴陽に使われていたのと同じ駝鳥の毛羽たきを見つけて、うれしくなって見本を手に取ってみると、あまりの繊細な肌触りにうっとり!
Dsc_0951 Dsc_0950 かつては水鳥の羽が主流だったそうですが、最近はそれよりちょっとお高めの駝鳥の黒羽が、めしべへのダメージが少ないと人気だそうです。私も安藤家住宅で飾る資料の埃取りや作業室のキーボード周りの掃除にもよかろうかと、個人的に一本購入してしまいました。
 レジで係の方から、「ここで買って、愛車用に使う人もいるんだよ」と教えてもらい、納得。オーストリッチフェザーダスターという名でこの人工授粉用駝鳥羽はたきとほとんど同じものが、美術品や仏具などを扱うお店でも、繊細な品物の埃を払うために売られているようです。
 店舗内で職員の方に取材させていただいていた10分ほどの間にも、どんどん毛羽たきが売れていきます。
Dsc_0018  同時に、スプリンクラーの噴出部分の部品を多量に購入する農家さんとも出会いました。
 耐用年数が過ぎて不具合が出てくると、畑単位で一斉に取り換えるそうです。
 昭和28年に白根地区飯野にスプリンクラーの設置がはじまって以来60年以上が経ち、この地の果樹栽培を支える店の品ぞろえに欠かせない商品なのでしょうね。
←御勅使川扇状地での果樹栽培には不可欠なスプリンクラー関連商品も豊富な品揃え。
 毛羽たき販売シーズンが終わると、さて次はどんな商品がこの入口コーナーに並べられるのでしょうか?

Dsc_2487 ←昨年の6月はじめは、こんな風にサクランボの販売用の箱が積まれていましたよ。

 地域のお店を訪れると、ふるさとならではの季節感を感じられて楽しいものですね。

2019年3月27日 (水)

ハリウッドの花摘み

こんにちは、みづほです。
Dsc_0881_1 上八田の果樹地帯を歩いていたら、スモモの花を枝からもいで集めている上八田西新居のおばあちゃんたちに出会いました。果樹地帯の春本番を告げる風景です。
Dsc_0911 このお三方がお嫁にいらした昭和40年代はじめは、この辺りはまだ桑畑が広がり、嫁いだ家でも「養蚕をたいへんやっていて、果樹はやっていなかった」そうですが、しばらくすると、どんどん桑が果樹へと植え替えられていったそうです。


 


 


Dsc_0876 Dsc_0873_1 ←この「ハリウッド」という品種のスモモの花粉が、同じスモモの「貴陽」の受粉用として白根地区で多く使われています。スモモ畑の隅っこにポツンと植えられ、ひときわ背高ノッポな樹がハリウッドです。この樹の花が果樹地帯で年度末にいち早く咲き始めると、「あ~もう春がきちゃった~」とせわしない気持ちになります。


Dsc_0887  上八田では、昭和40年代後半になると、養蚕をやる家はなくなり、西野や在家塚、百々一帯からつづく一面の果樹地帯となりました。その頃から現在まで、上八田も我が南アルプス市のスモモ生産量日本一を担う地域の一つとなり、花粉を集めるための花摘みは春先の風物詩となりました。


 


 


Dsc_0920 集めた花は葯採取機がある農協へ農家ごとに持ち込み、セルフで機会を動かしてその日のうちに花粉の入っている「葯」という部分だけ取り出して、家に持ち帰ります。


持ち帰った葯は、家の中に広げて開葯させたのち、容器に集めて受粉に使います。


 


 


 


Dsc_0930一部は冷凍保存するために密閉して農協の冷凍貯蔵庫に預けておきます。冷凍保存したものは、来年以降に使用されます。


 おいしいけれど栽培の難しい「貴陽」が実るのは7月。今月中に行われる5回の授粉作業のあと、これから摘花に摘果など数々の世話を経て大切に育てられます。またその実りをいただくのが楽しみです。
Dsc_2825 ←昨年の小野家の貴陽の収穫(平成30年7月18日撮影)

2019年3月25日 (月)

スモモの貴陽の授粉作業始まる

こんにちは、みづほです。


Dsc_0958平成31年3月19日の夕方、小野さんが「スモモの授粉を今日からやってますよ~」と連絡をくださいました。次の日の朝、急いで白根地区上八田にある小野家のスモモ「貴陽」のサイドレスへ飛んでいき、授粉作業を取材させていただきました。 


Dsc_0873 山梨の桜の開花宣言は未だ出されていない日でしたが、南アルプス市の果樹地帯は、もう春真っ盛り。様々な品種のスモモの花があちらこちらで咲き誇り、小野家の周辺の畑でも農作業に忙しく動き回る人々に多く出会いました。


Dsc_0881Dsc_0993_1 小野さんのお父さんいわく、「ハチが飛び回るようになると、受粉のタイミング」で人間たちも忙Dsc_0940しくなるそうです。


Dsc_0942 ことしの小野家のスモモ貴陽の授粉作業は、3月16日(土)に受粉専用樹ハリウッドの花を取り集めることからはじまったようです。そして、その日のうちに農協の葯(やく)採取機にかけて、花粉の入っている袋=葯(やく)という部分だけを取り出し、家に持ち帰ります。その後、二晩かけて家屋内に広げて開葯させました。花粉の詰まっている葯が開ききったところ、3月19日から授粉作業をはじめたとのことです。


Dsc_0982貴陽の場合、作業は花が満開になるであろう23日くらいまでの間に、同じ樹に5回に分けて行うそう。短い期間に大変な労力ですね。


Dsc_0994←きょうは、小野家のお父さんとお母さん、勝也さんの三人での授粉作業です。


 南アルプス市域では、全国一の生産量を誇るスモモの花が、桜の開花よりも早く春本番を告げ、人々の心を湧きたたせます。


Dsc_1000 そして、多品目の果樹を組み合わせて栽培している我が市域では、スモモの花の開花を皮切りに、切れ目なく次々とサクランボ、モモ、カキの花が咲きそろい、いろいろな果樹の花が同時に見られます。


 これは、当地の果樹栽培先駆者たちが明治時代に生み出した単一作物栽培の危険を分散する思想が、現在まで引き継がれていることを意味しています。


 花々の色が織りなすグラデーションがこの地域固有の果樹地帯の在り様を視覚的に表現するのです。 とてもきれいですよ!


 でも、果樹農家の皆さんにとっては、スモモの花が咲き始めると、秋まで、ほぼ休みのないたいへんな毎日のはじまりです。


 Dsc_1007わたしも、○○博物館調査員として2回目の花の季節迎え、南アルプス市発祥のモモの王様「貴陽」の格別なおいしさが、この授粉作業からはじまる神秘を感じ、生産者の皆さんの労苦を少しばかりは慮れるようになりました。 取材させてくださった果樹農家の皆さんに感謝しかありません。

2019年1月 9日 (水)

上今諏訪原家のSSと農業の変遷

Dsc_0015 こんにちは、みづほです。

寒さ厳しき折、白根地区上今諏訪の原家のお父様に無理を言って、SSを運転しているところを撮影させていただきました。

さすがに実際の消毒作業ではご迷惑ですので、春先からはじまった種々の果の出荷が落ち着いた昨年末に、タンクにはただの水を入れて、サクランボのサイドレスハウス内で、いつもの農薬散布作業を再現するように噴霧してもらいました。

Dsc_0008 下今諏訪の原ヤスノリさんが運転するSS(スピードスプレーヤー)は平成10年に購入された500リットルタイプのもので、このようにたくさんの支柱が林立するサイドレス内でも、右へ左へと、こまめにハンドルを切って器用に走り回ります。

Dsc_0011  山梨県のサクランボ栽培は、通常サイドレスハウス内で行われているので、小回りが利く500リットルタンクの小型のSSでなければ仕事ができません。SSはサクランボ以外にも果樹全般(モモ、スモモ、ブドウ、カキ、キウイフルーツ)の作業に頻繁に使われます。

非常に細かい霧状の水が後方についているノズルから180度放出され、撮影している時には、そんなに近づいてないし、水がかかっていないつもりでいても、気づかない間に、体中まんべんなくずぶ濡れです。SSの威力を思い知らされました。

Dsc_0006  ここ山梨(特に南アルプス市域)では一農家が多品目を同時に栽培するという特徴があるので、一品目あたりの農地が比較的小規模になり、青森のリンゴ園や愛媛のミカン畑などのように広大な農地が一品目に集約されていないため、小型のSSを果樹農家それぞれに1台ずつ所有するのが通常です(全国的には大規模農場が1000リットルタンク以上の大型を購入する場合が多いらしい)。そのため、山梨県でのSSの年間販売台数は300台ほどで、全国一の販売台数を誇ります。

Dsc_0018 御勅使川扇状地末端部とその直下の土地を有する白根地区今諏訪では、昭和40年代までは水稲と養蚕の組み合わせで生計を立てる家が多かったのですが、昭和40年代後半からは養蚕が下火になったことと、稲作も止めて米よりも利益率の良い果樹栽培に転換する農家が増えたため、SS使用率も急に増えたそうです。

Img20181214_14471850 昭和58年からは今諏訪の隣の西野農協付近で観光サクランボ園が営業されるようになり、昭和60年代に入ってからは白根地区での観光農園経営が本格化します。

原家でも平成のはじめに繁忙期には子供たちもピンクの法被を着てお客さん対応のお手伝いをしたそうで、当時の写真がお宅で見せていただいたアルバムの中にありました。

名古屋圏からサクランボ狩りを目当てにバスで多くの観光客が押し寄せて、お土産用のサクランボを収穫して詰める人員が足りなくなるほど大忙しだったとのこと。

Img20181214_14474997  現在ではネット予約で家族単位で訪れるお客さんが増えたそうですが、今年も4月の中旬頃からサクランボを求めて、県外から多くの来訪者があることでしょう。これからは外国人観光客も増えるかもしれませんね。

Dsc_0025_2 白根地区上今諏訪の原家では、SSでの作業の動画記録と今諏訪地区の農業の変遷をご家族のアルバムを見せていただきながら、取材させていただきました。感謝いたします。

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