伝承館企画展情報

2020年8月21日 (金)

パステルグリーンがレトロな旧野々瀬郵便局跡建物

こんにちは。
Dsc_0382_20200821111501 本日も、ふるさと文化伝承館では、テーマ展「開削350年 徳島堰」が絶賛開催中です。

←入口の展示資料に、「徳島兵左衛門俊正像」があります。
昭和32年に飯野新田の了円寺に寄進されたというそのお像を眺めていて思ったのは、「昭和30年代になっても、南アルプス市に住む人々にとって、この堰のもたらしてくれる恩恵の偉大さは衰えるどころか増す一方であったことをこの像は象徴しているのだなぁ」ということです。

像の作者で桃園の木彫家、長澤其山氏がこの像を完成させたのは昭和40年とのことですので、もちろん彼の想像のお姿ですが、この直後に、堰からの水を使って南アルプス市の原七郷一円に本格的なスプリンクラー網整備がされていくことを考えると、製作時期とその意図に興味が湧きます。


Dsc_4203   さらにもうひとつ思ったのは、「お着物のグリーンが目に爽やかできれいだなぁ」ということです。其山先生のお好みの色だったのでしょうか?黒く日焼けした逞しいお顔をあざやかなグリーンの縞の着物が引き立てています。

そういえば、昭和30年代から40年代はパステルグリーンというか、ミントグリーンのようなさわやかな緑色が、車や生活用具、家の塗装によく使われていたイメージがあります。


←そうそう、櫛形地区上市之瀬に昭和12年に開業した古い郵便局の建物を見せていただいたときにも、爽やかなパステルグリーンの扉や内装がレトロで素敵でしたっけ、と思い出しました。

今日は話題が飛躍して申し訳ありませんが、その上市之瀬の野々瀬郵便局跡建物をご紹介することにしますね。

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← 現在は営業していませんが、道に面した大きなパステルグリーンの観音扉が印象的なその野之瀬郵便局は、櫛形西小学校の向かいに、県道伊奈ヶ湖公園線を挟んで立っています。


006 野々瀬郵便局は、昭和12年12月1日に現存する建物が建てられ、「野之瀬郵便取扱所」として開業しました。

005_20200821111601 その後15年に郵便局として新たにスタートを切っています。


郵便局は昭和50年代とその後とで2度移転していますので、最初の建物は当時のまま、古写真に写る姿をとどめています。

001 現在も建物を所有する、初代野々瀬郵便局長山本氏のご子孫が、当時の画像と資料を2018年に文化財課に寄贈してくださいました。


1215002 ←この写真には「取扱所」の文字が見えるので昭和15年以前ということがわかります。
Dsc_4204 201881 ←扉を開けると内装は当時のままでパステルグリーンの昭和レトロな雰囲気を醸しています。
Dsc_2588 Dsc_2589 ←お客さんと事務所を隔てる格子窓の内側の木枠に「150」の表示があります。この数字は、もしも郵便局に強盗が入ってきた場合には、この身長150㎝の目印でもって、強盗犯の身長の目安を得るための工夫だそうです。
Dsc_2599 Dsc_2598 ←外観を眺めると、屋根のてっぺんの瓦に〒マークが入っているのを見つけることができます。
Dsc_2566  ←外側の窓枠にはめられていた鉄格子は戦争時に切って供出してしまったそうです。
Dsc_2579 Dsc_2581 ←建物内には、郵便局時代の備品もいくつか遺されていました。パステルグリーンの彩色は昭和40年頃に塗りなおしたものだそうです。やはり、この色味が流行った時期なのでしょうかね。

Dsc_4205  普段は個人のお宅なので公開はしていませんが、文化財課では上市之瀬を舞台としたまち歩きイベント等の機会に、所有者のご協力を得て見せていただいています。

この野々瀬郵便局跡建物の左隣にはJA南アルプス市野之瀬支所、消防倉庫を挟んで右隣には現在営業中の野々瀬郵便局があります。

野々瀬村では最初の郵便局ということもあり、この地域の皆さんの記憶に深く残る象徴的な建物なんです。

←2018年10月1日に行った、「〇博さんぽ上市之瀬中野編」の際に立ち寄った旧野々瀬郵便局跡建物。

2020年8月 5日 (水)

徳島堰のツケエバタとポンプ池

こんにちは。
Dsc_0825  令和2年7月17日から開催中の南アルプス市ふるさと文化伝承館テーマ展「開削350年ー徳島堰」に関連して、
「徳島堰と水辺の暮らし編」をお伝えします。

 徳島堰が御勅使川の下をくぐる前の上流域(韮崎市内部分)には、堰の水を生活に利用するための「ツケエバタ(使い端・洗場)」を設けている場所が多く見られます。


Dsc_0798 ←ツケエバタは、家の敷地から階段で堰の水面に降りられるようになっているような個人のお宅専用のものもあれば、公民館の脇や堰と交差する道沿いなどに階段を付設して集落共同で使うものの2種類ありますが、農機具を洗う他、洗濯や風呂の水を汲むために利用されました。


 しかし、水量の多い4月から9月頃までは流されないように注意をしなくてはならないので、堰路内の水を多用するのは釜無川からの取水が行われない農閑期で、堰に流れ込んだ山からの沢水で、米を研いだり、野菜を洗ったりしたそうです。


 Photo_20200805152402 Photo_20200805152401   ←ポンプ池

そのほかの堰の水利用の実態として、来館者の方に教えていただいたのですが、韮崎市内では、堰下に、堰の水を引き入れる「ポンプ池」とよばれる防火水槽がつくられている場所がいくつかあり、普段はそのポンプ池の水で養蚕道具を洗ったり、菜洗いをしたそうです。

また、子供たちは冬に凍ったポンプ池で下駄スケートを愉しんだそうですよ。
田植え前の春先には、年に一度のポンプ池の水を抜いての大掃除が行われて、大きな魚をつかみ取りしたこともあったそうです。

Dsc_0072 Dsc_0074 M39963 ←下駄スケート(南アルプス市文化財課蔵):下駄に刃を取り付けたスケート用のはきもので、昭和30年代中頃まで使用された。

徳島堰やポンプ池が冬に結氷すると、スケート遊びが楽しみだった。

明治39年に長野県下諏訪町の飾り職人河西準乃助が「カネヤマ式下駄スケート」として売り出したのがはじまり。

 

 

今回のテーマ展の準備調査では、韮崎市山寺の徳島堰沿いに住み、家の前にツケエバタのある山本さんにもお話をうかがっています。

山本さんには、子供のころ、徳島堰で遊んだ思い出を語っていただきました。夏は水泳、冬はスケートを楽しんだそうです。

Dsc_0188←韮崎市の山本さん 89歳 

『夏はツケエバタを降りていって、男の子は皆フリチンで泳いだね。下流の石積みの掴まるのにちょうどいい石があるところまで流れに乗って泳いでいって、堰から上がってはまた上流から飛び込んだ。結構流れが速いから面白れぇだ。だけど、韮崎の水泳大会ではじめてここら辺の子供がプールで泳いだ時は、みんな、いっさら前に進まんくてびっくりしただぁ。その時初めて、堰では泳ぐふりはしてただけど、泳いでたじゃぁなくて、流れに乗っかっていただけだっちゅうこんを思い知っただよ。
 
 冬は凍った堰でスケートをしただ。下駄に刃の付いた下駄スケートを履いて、脱げんように足首にも紐で縛り付けるだ。下駄スケートは韮崎の街のムラタ屋さんというはきものやで買ってもらっただ。』

 

 今回のテーマ展の開催を前に、南アルプス市文化財課の職員は、韮崎市の文化財担当の方々と協同で徳島堰全長17キロを二日間かけて踏査しました。韮崎市側を踏査したのは、ちょうど田植え時期の6月でしたので、堰をドコドコと大量の水が流れており、たいへんな迫力がありました。
Dsc_0998Dsc_0797 Dsc_0776 そして、そんな堰沿いをずっと歩くと、たくさんの様々な形式のツケエバタがあり、流れに直行する階段もあれば、並行しているものもあって面白かったです。

流れに並行する階段の場合、ほとんどは下流に向かうように備え付けられていますが、中には、上流から流れてくる水に向かって階段を降りていくものもあり、ツケエバタに注目して形式分類しながら徳島堰を歩いてみるのもきっと楽しいだろうなと思いました。

そして、疲れたら、堰下にあるポンプ池で涼しげに泳ぐ赤い金魚や鯉を見ながら一休みするのも気持ちがよいと思います。

Dsc_0818_20200805152501  今年は観光に出かけられない日々が続いていますけれども、身近な場所(例えば、もちろん?徳島堰!)に出かけていき、いつもは見過ごしてしまうような何気ない風景をじっくりと観察したり、自分のペースで歩きながら先人の偉業や歴史をしみじみと実感してみるのも、これまた、良いお盆の過ごし方なのでは?と提案します。

← 使用しなくなったツケエバタが塀で仕切られてしまった例。


 さらに、徳島堰を散歩する前に、南アルプス市ふるさと文化伝承館へ「開削350年 徳島堰」展を観に来ていただけたなら、さらにもっと「徳島堰あるき」が楽しくなること間違いなしですよ!

2020年8月 3日 (月)

徳島堰の魚捕りは夏の楽しみ

こんにちは。
Dsc_0389Dsc_0312_20200803133301 Dsc_0301_20200803131301

 

  
 今日は久しぶりに午前中からお日様がピカピカで暑くなりました。ようやく梅雨が明けましたね。
八月に入り、暑さもひとしおですが、当館(南アルプス市ふるさと文化伝承館)では、テーマ展「開削350年 徳島堰」(令和3年4月18日まで)を開催中です。

 

 
 展示資料の一部には、涼しげな堰の水場を再現したコーナーがあり、堰沿いに住む人々の夏の楽しみのひとつであった、魚捕りの様子と道具を展示しています。


 本日は、その水場コーナーの民具資料をご紹介したいと思います。

Dsc_0387 Dsc_0388 ← 筌(うけ・もじり):ドジョウやウナギなどの魚類の習性を利用して生捕りするための竹ひご製の道具です。中に餌を入れて口を紐や竹輪で縛り、夜のうちに水に沈めておき、翌日の明け方に取り上げます。餌の匂いにつられた下流の魚が底に開いた穴から入り込み逃げられなくなるという仕組み。

Dsc_0386 ←カンテラ:韮崎市及び南アルプス市域では、携帯用の手持ちの灯火具の総称として、この名で呼んでいました。

Dsc_0390_20200803131401 M35312 ガンドウ:提灯の一種。釣鐘型の内部にあるろうそく立てが自在に回転して常に垂直になり、火が消えることがないように2個の金輪を取り付けています。現代の懐中電灯と同じ役割を持つものですが、17世紀初めごろから使用されていました。

Dsc_0391_20200803131401←(もり):ドジョウやウナギなどの魚類を、先端に着けた金属の刺突具で仕留めるための棒状の漁具。

 

 

 

 

民具の展示棚にも、徳島堰にまつわる民具の展示がありますので、是非ご覧ください。

Dsc_0384 ビンブセ:ハヤなどの小魚を捕るためのガラス製の筌(うけ)。蚕のさなぎなどを餌として中に入れて、草の生い茂る水辺の木に流れないようにひもで縛ってくくりつけ、水に沈めて仕掛けました。

Dsc_0087 Dsc_0085 Dsc_0084 魚籠(びく):捕った魚を入れる籠。この資料は、腰にひもでくくりつけるようになっており、腰が当たる側には板が貼ってあります。その板に蓋が取り付けてあり、蝶番(ちょうつがい)のように開閉できます。通称「甲州魚籠」と呼ばれるタイプです。

Dsc_0929 Dsc_1234  堰の魚捕りを再現したコーナーの隣には、徳島堰沿いの韮崎市神山町鍋山で育った、ノーベル生理学・医学賞受賞者の大村智先生の思い出を、そのご著書から紹介するコーナーを作りました。

↑ 左:徳島堰のツケエバタ(洗い場) 右:南アルプス市飯野を流れる徳島堰

幼少期の大村先生がお父様と徳島堰へウナギを捕まえに行ったとき、『ウナギが太平洋で産卵・孵化して富士川を上り、堰までやってくること』を教えてもらい、好奇心をかきたてられたことを綴っておられる場面を紹介させていただきました。

 テーマ展「開削350年 徳島堰」は、全体的には350年という歴史の重みと偉業を感じられるような構成を目指しましたが、その中にあって、堰の水辺コーナーは、一服の清涼剤となるように意図した気軽な展示です。

伝承館の受付職員が苦心して手作りしたドジョウやウナギの出来も、紙粘土製にしてはリアルな完成度だと思います! ぜひ、小さな子供たちにも興味を持ってもらえたらうれしいです。

2019年12月27日 (金)

ふるさとの新春を彩った引札(ひきふだ)」展が新年より始まります

こんにちは。

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 年明けの令和2年1月10日より、明治・大正期にかけて、南アルプス市市内の商店が正月に配った引札(広告チラシ)を関連する民具とともに展示します。

●企画展名 ふるさと文化伝承館・令和元年度第2回テーマ展
        「ふるさとの新春を彩った引札」
●会期 令和2年1月10日(金) ~ 4月19日(日)
●木曜休館・入館無料 9:30~16:30
●展示資料 引札16点(1点期間中展示替え)・民具56点 総点数72点

●南アルプス市ふるさと文化伝承館:山梨県南アルプス市野牛島2727「湧暇李の里」内

 

001img20190625_14234615 001img20190625_14471553 庶民のささやかな美術品としても好まれた引札は、大胆な構図とあざやかな彩色が目を引きます。
 図柄は商売繁盛を願ってえびすや大黒などの七福神や、縁起の良い富士山・松・鶴などの他、商家の店先が描かれていたり、当時流行した女性のファッション、最新機器など。

今から100年前の人々の暮らしぶりをポップアートのようにお楽しみください。Dsc_1469 ←令和元年12月27日現在の準備状況:ガラスケースの中に引札15枚展示します。右端の畳コーナーには勉強店の引札を参考に商家の店先を収蔵民具で再現しました。

001img20190625_14345529 手前の展示台には引札の読み方等の解説を民具とともにレイアウトしたいと思っています。

 

 

002img20200106_13525105 002img20200106_13542329 展示では、まず「引札の読み方」というパネルをご覧いただき、鑑賞のお供にしていただきたいと考え準備しています。


001img20190625_14482297_20191227152401 001img20190625_14361354 他に、「展示した引札について」「引札は明治のフライヤー」「引札のデザイン」「引札の技法と商家への販売方法」「引札からふるさとの明治大正期を考える」などの項目についてご案内できるように準備を進めています。こちらのブログでも順次ご紹介していきたいと考えています。
 新年に商家から御年玉として配られた目出度い「引札」をどうぞ観にいらしてください。お正月気分を味わえるように関連民具の展示も変わりましたのでお楽しみに!

お待ちしております。

2019年10月30日 (水)

藍の花を飾る

 こんにちは。
Dsc_1092 朝、出勤するとふるさと文化伝承館の花壇で咲く藍の花を見て、可憐でかわいらしいなぁと感動し、気分が良くなりました。

先週くらいから咲きはじめたのには気づいていましたが、こんなにも藍の花に心躍ったのは今朝が初めてです。

昨日の雨粒がかかっているせいか、朝日のスポットライトを浴びて一段とキラキラ輝いて見えます。

 

 

 

Dsc_1096 来館者の皆さんにも見てもらいたくて、さっそく伝承館1階の民具コーナーのちゃぶ台上に飾ってみました。ちゃぶ台の上には、昨年度収穫分で8月に仕込んだ藍で染めた手ぬぐいを敷きました。

Dsc_0458 Dsc_0545 Dsc_0777 Dsc_0610 Dsc_0630 Dsc_0641 Dsc_0645  
 文化財課では、かつて藍の産地の一つであった地域の歴史を伝承するため、実際に藍を種から育てて藍玉を作り、8月頃に甕に藍立てして、イベント等で藍染体験を行っています。

 

ふるさと文化伝承館の花壇の藍は、3月に種をまいて育て、7月から葉を収穫した後、10月末現在は来期の種をとるために花を咲かせているものです。


 夏に収穫した藍葉は乾燥させて保管されており、10月末頃から水を混ぜ込むことで発酵させ藍玉作りがはじまります。

 

 

私は藍づくりの直接の担当ではありませんが、今年度の藍玉も上手にできますようにと祈っています。

 

 

 

 

 

 

 

Dsc_1091Dsc_1097 Dsc_1086 どうぞよろしかったら皆さんも、かわいらしい藍の花を観に伝承館にいらしてくださいな。

2019年6月10日 (月)

焼継のある茶碗-南アルプスたべもの風物詩5-

こんにちは。
Dsc_0315  南アルプス市ふるさと文化伝承館展示より、天保14年(1843)の墨書のある箱に納められていた湯飲み茶わんについて、よく観るとちょっと面白いことがあるので、お報せしておきたいと思います。
Dsc_0316この箱の中に入っている茶碗には、焼継(やきつぎ)という江戸時代に行われた修復の跡が見られます。

Dsc_0321 焼継とは、破損した焼き物を白玉(粉)と呼ばれる接着剤で接合し、低火度で白玉粉内に含まれるガラス質を溶かしてくっつけることで修復する技法のことをいいます。
Dsc_0320 焼継された陶器には、接着剤が焼けて少し盛り上がり、白く濁った透明なガラス質の帯が細く器面にみられます。
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Dsc_0099  このことに気が付いたのは、まだ平成だった4月、リニューアルオープンに向けての展示資料選定の時でした。箱入りのまま展示できる陶磁器類を収蔵庫で物色していたところ、加賀美遠藤家資料の中に、ちょうど手ごろな小皿と湯飲み茶わんが収納された木箱をそれぞれ見つけたので、展示しようとふるさと文化伝承館に運んでクリーニング作業をはじめました。
そうしたところ、表面に付着していた煤やほこりを拭い落としていくうちに、そのまま使用できそうな染付の小皿セットに比べ、湯飲み茶わんの方はびっくりするほどひびだらけであることが判りました。それもすごくひどく茶碗全体が割れた痕のあるものばかり!
 明治時代以降廃れてしまったという「焼継」という技法の存在を知らなかった私は、「昭和後半に蔵の中にあったものを、家の誰かが不注意で箱ごと落として割ってしまい、必死に内緒で接着剤でくっつけてそっと棚に戻して置いたのかな?」とか、「破損したのが江戸時代だったとしても、いくら上手に接着剤でつなぎ合わせたとはいえ、きっとお客様に出せるような代物ではなかったでしょうに」などと、無知ゆえに当初は展示することをためらいました。

Dsc_0317Dsc_0318  しかし、一つずつ丁寧に拭いて、その細かなひびの具合を眺めるうちに、何となく煤のくぐもりの中から何かがよみがえるような予感がして、 「こんなになっても執念で修復して大切に使っていた先人たちの生活こそ展示せねば!」と思い直しました。この茶碗が使われていた時代の生活を具体的に知ることができるような気もしました。

 文化財課の先輩に診せると、江戸時代の館跡から発掘された陶磁器について読んでみたらと本を貸してくれました。調べてみると「焼継」という寛政二年(1790)頃から江戸で普及した陶磁器の修復方法があり、江戸後期から末期の遺構から焼継の施された陶器の出土が多いことから、当時かなり普及していた修復法であったということがわかりました。その上、面白いことも知りましたよ。

↑こちら、焼継が施された茶碗の裏を見てください。「焼継印」が赤字で記されています。発注者(持ち主)を識別するため、焼継剤に赤色の顔料を加えたもので裏に文字や記号を描いたのだそうです。

 当時、焼継は「焼継師」という専門の職人が行商のように家々を廻って修理を請け負っていたようです。
Img20190516_13181456 Img20190516_13184384 ←こちらが江戸時代に描かれた書物にある焼継師の姿です。「焼つぎ~、やきつぎ~」と声を掛けながら町中を棒手ふりし・・・、「焼継屋 夫婦喧嘩の 門に立ち」というような江戸川柳もあったようです。
Dsc_0312   一方、焼継以外の方法で割れた食器を修復するやり方には、縄文時代から使用されていた漆を使用するものがあります。この方法は高級品の修復に現在まで行われており、漆を土台として金粉で装飾する「金継ぎ」と呼ばれるものがよく知られています。
 しかし、18世紀後半から日常の食器に多用されてきた焼継は、漆よりも簡便で安価でしたが、明治以降、鉄道による量産陶器輸送の開始などにより衰退し忘れ去られ、流通が良くなった分、日常陶器は修復して再利用するよりも使い捨てになっていったようです。

 今回、展示資料の観察を通して、陶器が高価で貴重であった時代ゆえでしょうが、どんなに割れてもなお使えるように修復した昔の人の執念に感心しました。

Dsc_0333Dsc_0329 さらに、その感慨に加えて、日常手にする道具に対する先人たちの愛情の深さを感じました。

←そのような観点から資料を見ると、焼継師のようなプロの仕事ではないのでしょうが、同じフロアに展示しているごん鉢や片手鍋の素朴な修復痕が急に愛らしく思えてくるから不思議です。
参考文献:「江戸の陶磁器(資料編)」江戸遺跡研究会第3回大会 1990年
    :「図説江戸考古学研究辞典」江戸遺跡研究会編 柏書房 2001年

2019年6月 7日 (金)

干瓢の名産地!? -南アルプスたべもの風物詩4-

こんにちは。
Dsc_0303Dsc_0309   企画展「南アルプス食べ物風物詩」の展示資料より、干瓢削り器を今日はご紹介します。
M2872 ←干瓢削り器(東南湖輪切り用手回し器):ユウガオの実を3cmほどの厚さに切り、刺して固定させた後、右手でハンドルを廻し、左手でカンナの部分を外側にあてて剥いていく道具。明治時代から昭和初期まで使用された。(東南湖高遠家資料)

昨年、民具収蔵庫を整理した際に、旧甲西町内の収蔵品の中に干瓢生産に係わるものが数点含まれていることを知りました。
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「甲斐国志(文化十一年・1814)」の産物製造部の項に東南湖村(旧甲西町)の干瓢の記述があり、河川の集中する甲西地区は氾濫時の逆流による砂質の堆積土壌で、江戸時代には名声を得るほどの干瓢を生産していたようです。
←干瓢削り器(手カンナ):輪切りしたユウガオの実のワタを刳り貫き取り除いた後、実を手前に回転させながら内側からから刃を当てて、剥いていく道具。江戸時代から使用されていた。(東南湖松野家資料)
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ユウガオの芯ぬき(東南湖松野家資料) ↑皮むき(東南湖遠藤家資料)
さらに、葛飾北斎の描いた「北斎漫画十三編」には、嘉永二年(1849)作『甲州に干瓢を製(こうしゅうにかんぴょうをせいす)』があり、軒先でユウガオの実を男が輪切りにし、女たちがひも状に桂剥きしたたものを、さらに束ねて干す様子が描かれています。
山梨県立博物館の研究紀要第6集「北斎が描いた甲斐の国」に拠れば、描かれた場所は河内路沿いの東南湖周辺だといいます。
Dsc_0307  今回、展示している干瓢削り器は台帳によると昭和初期のものです。展示していない他の干瓢製造に関する民具もおおむね明治から昭和初期までに使われていたものです。
←北斎漫画十三編より「甲州に干瓢を製」
 そこで、甲西町誌を開いてみると、「ユウガオと震災流地の開墾」という項があり、『明治27・28年頃から、江戸時代に盛んであったユウガオ栽培が再び盛んになり、県内の問屋はもちろん盛況時には京浜地方までも干瓢の行商が行われ、昭和8・9年頃までは相当量が取り扱われていた』とあります。
 複数の河川が集合する甲西地区南湖のユウガオ畑地は、一面水田の中に盛土して作られたもので、水分と保温が良好なためその栽培に適していました。八月の天気の良い日には「どこの庭先も二間竿に掛けられた白一色のかんぴょう干しで、東南湖から和泉にかけての遠望は見事なものであった」と記されています。
 そういえば、時代はかなりさかのぼりますが、市内甲西地区にある弥生時代中期の油田遺跡、大師東丹保遺跡などからも、ヒョウタンやユウガオの種子が出土しています。私たちの住む土地に古くからたいへん縁のある野菜なのですね。
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M1606
 収蔵庫の中には、成熟して外皮が固くなったユウガオの実を使った明治時代の生活道具もありましたよ!ヘチマのように細長いユウガオではなく、「ふくべ」とも呼ばれる丸型の実が干瓢の材料として栽培されていたことが分かります。
←左:ユウガオの実で作られた炭取り(明治時代・鮎沢山内家資料)
右:ユウガオの実で作られた屑籠入(明治時代・古市場大久保家資料) 
 いまは、かつて南アルプス市甲西地区が干瓢の産地であったという事実を知る人は少ないでしょう。遺された民具たちがしずかに私たちに教えてくれているのみです。

 収穫したユウガオの実をひも状に削り、干し上げて干瓢を生産する風景を記憶する人が市内にいらしたら、是非、聴き取り調査に伺いたいものです。
 ふるさと文化伝承館にお越しの際は、是非この干瓢削り器をご覧になってみてください。
 今夏にはどうにかしてマルユウガオの実を手に入れて、民具の使い方を検証してみたいとたくらんでいます。うまくいきましたら、またご報告したいと思います。
参考資料:平成3年 第5回企画展「瓢とくらし」壬生町立歴史民俗資料館

2019年5月31日 (金)

婚礼献立-南アルプスたべもの風物詩3

こんにちは。
Dsc_0270   南アルプス市のハレの日の食の代表として、市内飯野新田石原家で使用された婚礼用の食器と献立などを展示しています。
←南アルプス市ふるさと文化伝承館企画展「南アルプスたべもの風物詩」のハレの日のコーナーディスプレイ
 
今回は、南アルプス市飯野新田の石原家で行われた婚礼で振舞われた料理の献立についてご紹介します。内容を読み下すと、以下のようになります。
Dsc_0093 ←準備段階でピックアップされた婚礼用食器類
Dsc_0272 ←石原家の祝儀で用いられた膳碗類と婚礼献立。お椀には、梅に鶯の意匠が漆に螺鈿と金を用いて煌びやかに表現され、蓋裏には富士山が描かれている。左にある脚付きの入れ物は「行器(ほかい)」といい、食べ物を家から運ぶために使った容器。祭りや婚礼などの祝い事に用いられた。
Dsc_0274 飯野新田 石原家 婚礼献立(年不詳)
内容を読み下すと、以下のようになります。
献立
三宝 米熨斗
三宝 三ツ組   御盃
   八寸  志き紙  巻寿留女   
  
蓬莱嶋臺
 御銚子  一對
  尾鰭   御吸物
 御高盛御膳
御吸物   花勝魚
          糸紙素麺
          結び古ん布
 御肴   賀寿の子
右御祝儀相済みて
御座直し
御吸物  赤みそ 鯛 
          天むし賀婦
          岩多け
         口うとめ
口取        二色玉子
          紅蒲鉾
          酢とり蓮
平引   く寿煮  多子
          いも
          椎茸
          にんじん
          つみ麩
       わさび
中皿引  さし味  まぐ路
          志ら賀大根
          於古
       わさび
蒸上げ 御吸物 鴨
        木海月
        □芋
        ぎんなん
        三ツ葉 
鉢者      鯛船盛
        二色むし
        重子昆布
       針生姜
御吸物     結魚
        初しも
        百合
鉢       いの花  「香茸」の別名
        をし蓮
        布目いか
       酢とり生か 
大硯蓋    大海老
       蒲鉾 
       久年母  くねんぼ(柑橘類)
       蓮根
       小串魚
 御本膳
鱒皿     岩茸
       うち大根
       赤みしめ
       作りみ
    □□ 生姜
大汁    つミ入
      うち菜
香の物
坪  木くらけ
   いも
   火とり魚 (干物)
ニの膳
   千代口(猪口)
       生寿留女
       ぎんなん
       丹んじん
       くるみぬた
ニの汁    阿ら
       青み
平      肴
       椎茸
       長芋
       蓮根 
       角麩
臺引     鯛頭付
       肴の實 
       昆布巻
後段     
 御吸物  
       花海老
       新海苔
     わさび
 御肴    赤貝
       おろし大根
以上
千年丹頂鶴
萬年緑毛亀

 供された食品や食器類を順にみていくと、
 まずは、三方に盛られた白米と三つ組の重ねの盃、蓬莱山を模した飾り物を前に、三々九度の儀式が執り行われたことがわかります。
 そして、新郎新婦の間で祝盃が交わされた後、「そうめんの吸物」が振舞われています。江戸時代の『裏見寒話(宝暦四年・1754)』という江戸より赴任した甲府勤番士野田成方が著した記録に『素麺を吸物にするは、当国祝儀の礼なり』とあり、ここ南アルプス市域においても、かつては御祝い事に素麺のお吸物は欠かせないものであったのでしょう。
 その後、座を移して、赤みそ仕立てのお吸物が供されるのからはじまって、全部で二十一品もの料理が次々と登場します。これらの献立は、室町時代に武家の接待料理からはじまった本膳料理という儀礼食の形式がとられています。いくつもの料理をのせた複数の膳が供されるもので、この形式は江戸時代後期頃より、地方の農村地域での婚礼にも取り入れられました。
 石原家の献立で使用されていた食材は全部で延べ六十種以上、山海の恵みが驚くほど豊富に取り入れられています。ハレの日に定番の鯛、たこ、まぐろ、えび、いか、赤貝などの海の幸、鴨や複数種のきのこ、ぎんなん、胡桃などの秋を彩る山の幸、海産物加工品である蒲鉾やするめ、干物、数の子もふんだんに使用されています。また、まぐろのお刺身には白髭大根や「おこ」という海藻とわさびがそえられ その他の料理にも三つ葉やしょうが、ゆずに似た「久年母」という柑橘類が添えられるなど、薬味にも工夫が見られます。 
 この献立には日付は記されていませんでしたが、内容から、おそらく江戸時代後期以降から明治大正期までの間のいづれかの晩秋に執り行われた婚礼であったことが推測できます。
 慶事には素麺のお吸物をまず食し、海から遠く離れた地域でありながらも海の幸をふんだんに取り入れ、身近な地域で手に入る豊富な山の幸、里の畑作物と組み合わせて祝の食を見事に演出した先人たち。
晩秋の恵みを存分に一つの献立に集約した独自の本膳料理には、日常の食の積み重ねの上に培われてきた南アルプス市の食の奥深さを感じ取ることができます。
献立に登場するお料理の数々を想像しながら、使用された豪華な食器を眺めるのも楽しいですよ。梅模様に螺鈿が施された碗は、埋め込まれた貝や金のきらめきを観るたびに優雅な気分になります。ぜひ見にいらしてください。
Img20181207_11214286  ←昭和40年代家での結婚式 櫛形地区中野入倉商店アルバムより

2019年5月29日 (水)

焙烙と麦食-南アルプスたべもの風物詩2-

こんにちは。
 南アルプス市には、麦を料理し、工夫して美味しく食べる文化が数多く残されています。米の流通経路の安定している現代でも、小麦を主とした粉食は日常的に市民の日々の献立に取り入れられています。
Dsc_0240   麦を食べるための調理器として、大活躍したものの一つに「焙烙(ほうろく)」があります。
 南アルプス市文化財課の民具収蔵庫では、鍋釜類の中に占めるこの焙烙の数の多さに目が留まります。

 焙烙(ホーロク)は焼いたり、炒めたり、煎ったりする道具として台所の必需品でした。
 
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←棚の右下の大型のもの持ち手のないタイプの鉄製焙烙
市内北部の八田地区には、「おこうせんなめて ほいほい」というフレーズがお年寄りの昔語りで伝えられています。昭和時代のはじめまで数多くの水害にみまわれた前御勅使川周辺地域では 川があふれ出すと、しばらくは火が使えず米を炊くことができなかったので、おこうせんをなめて過ごしたそうです。おこうせんとは麦こがしのことです。麦を香りよく煎り上げて石臼でひき、粉末にしたものです。大量の麦を煎る際には、きっと大型の焙烙が大活躍だったことでしょう。

Dsc_0203 焙烙は、現在ではその役割をフライパンにとって代わられましたが、南アルプス市民のソウルフード「うすやき」を調理する時にも、かつては使用されました。
 「うすやき」は、小麦粉に水を加えて練り、薄くのばして焼いた食べ物です。調理は比較的簡単ですが、主食、おかず、おやつや間食にもなる万能な食べ物です。
←うずら豆の甘煮の入ったうすやき(おやつ系)

 そのため、うすやきといえどもパンケーキのように卵を入れて甘くふんわり厚めに焼いたり、シンプルに粉と水だけでクレープのように薄く焼いてお醤油やソースをかけてご飯のおかずにになったりと、甘いのかしょっぱいのか、その実態ははっきりしません。
 つけたれも黒蜜、砂糖醤油、ソース、しょうゆ、酢醤油などお隣さん同士でも全く違う味を楽しんでいるものです。
生地もシンプルに小麦を水で溶くだけで焼くものがある一方で、中に紫蘇や春菊、ごま、煮豆、桜エビ、じゃこをたっぷり入れる場合もありますし、卵、重曹を加えてふんわりパンケーキ風にするお宅もあります。
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Dsc_0243  展示では、このボードで、麦の粉食を代表する「うすやき」の千変万化の実態を〇博の聞取り調査から4種類のレシピご紹介しています。千差万別、無限大、南アルプスの西郡魂をいまに受け継ぐうすやきの実態をそのレシピでご確認ください。
春菊のうすやきレシピ(しょっぱい系)
また、市民の皆さんには、「あなたのお家のうすやきを教えてください」と呼びかけています。是非、ご協力ください。よろしくお願いいたします。

2019年5月27日 (月)

麺を作る道具ー南アルプスたべもの風物詩1ー

こんにちは。
Dsc_0223 リニューアルオープンした南アルプス市ふるさと文化伝承館では、令和元年5月18日から、企画展「南アルプスたべもの風物詩」を開催中です。
 市域の大部分を占める御勅使川扇状地に暮らしてきた私たちの先祖たちが、その土地でどのようなたべものを食べて生き抜いてきたかを、約100点の調理道具や皿などの民具から振り返ります。
展示は、日常の食と祝いの食の対比から、先人の食べる営みをご覧いただく構成になっています。

 〇博調査をはじめ、南アルプス市民の皆様からご提供いただいた民具・写真・聴き取り証言を資料化して、展示しています。
きょうは、この企画展の中から麦粉食の調理についてのディスプレイをご紹介します。
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 家々では毎晩のように水車でひいた小麦粉を「ごんばち」でこね、「のし板」の上で麺を作りました。昭和20から30年代には家庭用の「製麺器」が普及し、ほうとうの生地を製麺器のハンドルを回して「のす」お手伝いが、子供たちの定番となりました。
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Dsc_0231  南アルプス市ふるさと文化伝承館(当館)の中山館長は、「ほうとう」について、山梨県立博物館が平成20年に開催した企画展『甲州食べもの紀行』図録に執筆しているのですが、これによると、
「江戸時代に全国を旅した修験者・泉光院(野田成亮)は、文化十二年(1815)に甲斐の地を訪れ、ちょうど十月三日に市内の在家塚村で「ほうとう」を食べたことを旅日記に残しました。
「今夕は当国の名物ハウトウ」をご馳走になったと記されています。」とあり、
「江戸時代にはすでに「ほうとう」が他国からの旅人たちに当地の名物料理として認識されていたことがわかります。」と解説しています。
Dsc_0233 御勅使川扇状地では水田が少なく、小石だらけの畑で麦を多く作りました。
麦は、麦飯として食べるほか、ほうとうなどの麺類、うすやき等の粉食としました。
Photo_3 麦秋の頃はサクランボの収穫と重なります。果樹の下で麦が穂を垂れている様子を写した古写真も目にします。
←大正時代のサクランボ収穫風景。下には麦畑が広がっている。(白根地区・西野芦澤家資料より)
そのため、麦を料理し、工夫して美味しく食べる文化が数多く残されています。
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←地域の集まりでうどんを皆ですする。(櫛形地区・中野山王家資料より)
次回は、南アルプス市域の代表的な小麦料理である「うすやき」の多様性について、〇博の調査をもとにお伝えしたいと思います。