甲西地区

2020年5月 1日 (金)

西郡で見つかった「おかぶと」

こんにちは。 もうすぐ端午の節句ですね!
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←白根地区桃園K家所蔵の「おかぶと」


 おかぶと(かなかんぶつ)は、江戸時代から明治時代までに甲府の細工物問屋で独自に作られた端午の節句飾りです。明治時代頃まで、山梨各地で飾られていました。

Photo_20200501170901 しかし、明治時代以降、全国的に流通した節句の室内飾りの台頭により作られなくなりました。このおかぶとが飾られていたことを記憶する人も現在ではいらっしゃらないとおもいます。

←明治以降急速に普及した端午の節句の室内飾り(櫛形地区中野山王家資料より)


 昨年の安藤家住宅では南アルプス市文化財課所蔵のおかぶと10点を一挙公開展示致しましたが、今年は疫病流行の関係で端午の節句に関連する展示活動ができません。

Dsc_0043_20200501170601 ←令和元年5月の南アルプス市重要文化財安藤家住宅での端午の節句「おかぶと」展示の様子

残念ですが仕方ないので、過去一年間の○○博物館の調査で訪問したお宅で出会ったおかぶとたちを撮影した画像をご覧いただきたいと思います。


Dsc_0425  櫛形地区桃園にあるお宅に伺った際には、お蔵で大切に保管されていた、亡きおじいさまの初節句に贈られたおかぶとを見せていただたきました。

 

Dsc_0424 ←白根地区桃園K家所蔵の「おかぶと」 Img20180424_13554205←おかぶとはかつて、このような飾り方をされていました(上野晴朗「やまなしの民俗」による)

通常、飾り方の図にあるような、「まえだち」の部分を構成する「おうしょう」「くわがた」の部品には、なかなかお目にかかれませんが、このお宅では「まえだち」の部品が一緒に保管されていました。さらに、「たれ」の部分の保存状態もとてもすばらしかったです。

 

次は、甲西地区湯沢のお宅からご寄付いただいたおかぶとの面2点です。モチーフは信玄と勝頼か源氏の大将でしょうか?

Photo_20200501170701←甲西地区湯沢依田家資料

以下は、文献に残されている「おかぶと」の画像です。 
1957 3_20200501170801 Img20180424_13535639 ←左から、

・西沢笛畝「日本の人形と玩具」1957 、
・山田徳兵衛「新編日本人形史」1961、

・上野晴朗「山梨の民俗上巻」1973 

 

 

 

 

 

 

 

 ここ数年の〇博の調査で、甲州西郡(にしごおり)の南アルプス市内各地区でも、甲府の細工物問屋がつくった「おかぶと」という甲州独特の節句飾りを購入して飾っていたということがわかってました。


来年こそは、ふるさと文化伝承館で「西郡のおかぶと展」を開催できるようになっていてほしいと願う〇博調査員です。

大正時代の茶銘柄価格表

こんにちは。そろそろ新茶の出てくる頃ですねぇ~♡ 

そこで、現在、資料整理室にこもって作業する中で出会ったお茶に関する大正時代の資料をご紹介したいと思います。

15_20200501154101大井村麻野屋の茶銘柄価格表(平岡河野家資料より)
6 こちらは大井村(現甲西地区古市場)にあった茶舗麻野屋さんの茶銘柄定価表です。

日本三大銘茶といわれる宇治茶・狭山茶・静岡茶の各種銘柄が並んでいます。宇治茶と狭山茶は一斤(600グラム)、粉茶の川根茶(静岡茶)は百目(375グラム)の値段が掲載されていますね。
ちなみにここでいう粉茶とは、煎茶の製造工程で出た切れ端を集めたものだそうで、茶葉そのものは煎茶と同じなので安価な割に味が良いというお買い得商品でした(今どきのパウダー状粉茶とは別物)。お寿司屋さんで出される緑色と味の濃い「あがり」もこの粉茶を入れたものだそうですよ。
この他、このチラシをよくみると、麻野屋さんでは醤油も売っていたとわかって面白いです。
さらに「御茶の義は はぶりに拘わらず のみ口専門に吟味致し置き候・・・」の口上が好きです。

←昭和6年 大日本職業別明細図より

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←左の箱:安藤家住宅の雛人形展示に使用した「麻野屋の茶箱」(南アルプス市文化財課所蔵資料)

148  ←甲府市泉町和田半七店の茶銘柄価格表(平岡河野家資料より)
さて次は、甲府柳町四丁目にあったお店の社銘柄価格表です。
大井村の茶舗麻野屋さんの価格表と同じく、櫛形地区平岡の河野家から寄付いただいた、大正時代の資料群にあったものです。
こちらの和田というお店では、すべて一斤単位での価格表示となっていますね。
麻野屋さんと同じく宇治茶、狭山茶、静岡茶の三大産地ラインナップですが、こちらの静岡茶は川根ではなく安部のものです。粉茶の部も産地別が充実しています。
このお店の商標の説明も興味深いので読んでみますと、
「明治三十六年五月九日ハ 恰モ 酉ノ日ニシテ 同日酉ノ刻ニ及ヒ 何レヨリカ一羽ノ鷹飛来リ 弊店ニ陳列セル茶壷ノ中 茶名初鷹ト称スル壺上ニ止ル 依テ 紀念ノ為メ是ヲ商標トナス」とあります。
ちょっと出来過ぎかな?!とも思いますが、これを読んだら、和田半七茶店の商標はばっちり記憶させられてしまいますね。

 1414_20200501154901←甲府市泉町網倉商店領収書(平岡河野家資料より)

お次は、甲府市泉町の網倉商店さんの領収書が2枚あったのでのせておきます。泉町は現在の相生一丁目当たりですが、網倉さんはお茶店としていまも有名営業中です。しかし、この領収書に書かれている品物はお茶ではないような気がします。○○枚の単位で書かれていてよくわかりません。何でしょうか?海苔ですか?紙ですか?調査中です。

 櫛形地区平岡河野家資料には、このほか様々な店でいろいろな品物を購入した際に受け取った領収書類が残されており、お買い物事情をつかむ手掛かりをとなる資料として期待しています。南アルプス市域おける大正時代の地域資料として、これからも分析をすすめていくのが楽しみです。今年度の〇博は、櫛形地区が重点調査地区です!よろしくお願いいたします。

以上、最近は家の中でお茶する機会が増え、「やっぱり緑茶が一番好きだわぁ~」としみじみ癒されている、〇博調査員からの報告でした。

2020年4月20日 (月)

蚕の種紙でつくった足袋型紙

こんにちは。
 昨今の疫病流行の影響でフィールドワークが難しい状況なので、その代わりに、文化財収蔵庫の資料整理を集中的に行っています。
台帳を見て気になっていた資料の実物を出して観察もできるので、あらたな気づきが多くあり、今後の企画展のヒントになりそうなものをピックアップ出来て、思いがけず良いこともあるものです。
 今日はそんな新たな発見の中から一つご紹介いたします。
Dsc_0562 ←こちらの資料名は「足袋型紙」で、甲西地区東南湖 小沢家から平成時代初めに寄贈されたものです。

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実物を出してみると、再利用した三越の贈答品箱の中に、子供から大人までの足袋の型紙が13組入っていました。

Dsc_0575 そして、寄贈者のメモに『戦時中各家庭で作った足袋形です』とあります。


 戦争中は物資不足でしたから、足袋もお母さんが家庭で手作りでしたし、型紙用の紙も何かの再利用であったのは当然だったと思いますが、お蚕好きな〇博調査員の目は、型紙の端に切れぎれに遺されているある痕跡に釘付けになりました! そして、紙の表面に触れると指先にサメ肌のような「ザラザラ」を感じます。

これは、2年前の八田地区調査でも出会った戦時中の「蚕の種紙リサイクル」です!所どころに蚕種屋の名と住所、蚕品種の属性等を読み取ることもできました。

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 当時の甲西地区東南湖の農家では、どのようなところから蚕種を買っていたのか興味が湧いたので、16枚の蚕種紙のうち、判読できる限りの蚕種屋さんを書き出してみました。そうすると、山梨県の蚕種屋が3軒、福井県が1軒、岐阜県が1軒がありました。
以下が、判読できた蚕種屋5軒です

①齋藤孝 山梨県南巨摩郡増穂村長澤107番地
②□澤曝□ [山梨県南巨摩郡増穂村]天神中条[ ]
③吉野屋・角田賀雄 山梨県[            ]
④越前蚕種合名会社 福井県今立郡中滝村[ ]上村大野14
  製造場所:福井県今立郡北中山村磯部第二号十九番地荻野三郎右衛門
⑤株式会社勝野蚕種部 岐阜県恵那郡中津町駒場六三七番地
 その他、蚕種は、国蚕支107号×国蚕日111号などの日支交雑種が多く、すべて白色繭でした。

Dsc_0570_20200420115501  種紙の形態や以上のような情報から、この種紙が購入されたのは昭和初期頃だと考えられます。
 さらに、山梨県内蚕種屋のものには不越年との記載があるものが多い上にすべて産卵日が6月でしたが、福井県と岐阜県の蚕種屋のものは8月中旬産卵や9月製造とありました。この傾向はどのようなことを意味するのでしょうね。いずれの種紙も低温庫や風穴で保管されていたものだと思いますが、おもしろいです。


(当ブログ蚕糸業関連カテゴリーの2018年3月25日記事「蚕の種紙リサイクル」でも、野牛島地区で昭和20年に記された管理米台帳の表紙に使用されていた例をご紹介しています)

2020年3月26日 (木)

紅の霞棚引く如く(甲西のスモモの花)

こんにちは。  

Dsc_0405_20200326142201 南アルプス市内の果樹地帯では、2週間ほど前から、ひときわノッポで淡いピンクのスモモの授粉樹「ハリウッド」が咲き始め、春が本格的に始まりました。

つづいて純白のスモモの花々が満開となってきた先週末頃から濃いピンクの桃の花が、昨日あたりからは桜の花も開き始めました。市内各地が美しいです! 

 

フルーツ王国の花々は何が有ろうと、惑わされることなく、気候に合わせて淡々と自分たちの仕事をしています。そんな実直で律儀な花々たちの様子を見に、お彼岸のお休みに甲西地区に出かけてみました。

 Dsc_0360 Dsc_0359 まずは、秋山川すももの郷公園に車を停めて散策しますと、脚立をかけて摘花作業にいそしむ人々を見かけました。良い実をつくるために枝の先端と上部についている花を落としています。

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 Dsc_0390 次に秋山からトンネルをくぐって、高台にある湯沢の懸腰山から眺めてみることにしました。

Dsc_0397 Dsc_0400 日蓮上人ゆかりの眺望で知られる名勝、懸腰山(けんようざん)ですが、現在ここからでは残念ながら電柱が邪魔をしているので、道を挟んだ高台を登ったところに展望場がもうけられていました。

Dsc_0391 ←こちらがその展望場から撮影した画像です。(令和2年3月21日撮影)でも私個人的にはスモモの花に埋もれる秋山や湯沢の集落をメインに撮影したかったので、ここから見える下の道に降りてもっと東方面にカメラを向けてみました。

Dsc_0410 ←花に埋もれて青緑色の屋根が2つ並んで見えるのは、左から湯沢区公民館と落合創造館アミカルです。ああ、まさに桃源郷!

Dsc_0357  嘉永4年(1851)「甲斐叢記」という書物みると、四巻・宗持里落合村の項に、『落合湯澤塚原の三村に係て 近き頃より桃の樹を夥く植え実を採て生業とする者多し 花の盛には西山の足一面に紅の霞棚引如くにて いと麗しき風景なり』と記されていました。

 現在も春の落合で見ることのできるスモモの花の饗宴が、江戸時代から続く歴史的景観であることに感動しました。

 Dsc_0374 江戸時代の人が、「くれないのかすみたなびくごとく」と表現した甲西地区落合の春、今年も変わらず麗しいですわよ♡

2020年2月18日 (火)

節分の「鬼の眼」を発見!

こんにちは。
今年の節分に、現在では見かけることが少なくなった「鬼の眼」に出会いましたので、ご報告します! 場所は甲西地区落合で、小学校のすぐそばのお宅の庭先にそれは設置されていました。
Dsc_1789  ←甲州の伝統的な節分に欠かせないものといえば、「鬼の眼」。これですよ!
 屋根より高いところに、「手すくい」と呼ばれる竹製の麺類をすくう道具がくくりつけられていますでしょ。

 Dsc_1796 「鬼の眼」には手すくいの他に目の粗いかご(目駕篭)を使用する場合も多くあります。

そのかごの目は鬼の眼であり、今後起こりうる悪いことの「芽」にも見立てています。

ですから、人々はこの「鬼の眼」に向かって「鬼のまなこをぶっつぶせ~!」と大声で唱えながら炒った大豆を投げました。

この「め」をたくさんつぶすと、一年の災いや不幸が減少するという信仰があったからです。


Dsc_0043_20200218161601  そして、さらに「鬼の眼」をよくみると、とげとげの葉っぱの枝も一緒にくくりつけられていますね。このとげとげ葉っぱの木はネズミサシという本名ですが、地元では「バリバリの木」と呼ばれています。手すくいに依りついてくる鬼(悪いもの)をそのトゲトゲチクチクで痛めつけたりするために付けるのかもしれません。

 実際には、豆を撒きながら「鬼は外」の掛け声で家の中から鬼を追い出していき、戸外にでて、軒より高く立てかけたかごに向かって「鬼の眼をぶっつぶせ~!」と勢いよく豆を投げつけます。

Dsc_1718  また、その匂いと煙で悪魔を退散させ、様々な災いから家を守るため、門口には焼いたイワシをヒイラギの枝に刺して結わえました。

山梨県内各地の旧町村誌をみると、そのイワシを焼く時に、悪い虫や鳥、獣、苦手な人等の名前をあげて「○○の口焼き・・・」と唱えながら「ペッペッペッ」とつばを吐きかけて、黒くなるまで焼いたなどと記述してあります。
 例えば、「稲の虫の口焼き、桑ぬすっとの口焼き、青虫の口焼き、○○のおばあの口焼き!?・・・」など、その呪文には、各家々でかなりのバリエーションがあるんですよ。

Dsc_1714  取材させていただいたここ落合のS家では、「ネズミの口焼きペッペッペッ、ムカデの口焼きペッペッペッ、マムシの口焼きペッペッペッ」の3種類を、繰り返し唱えながら焼いておられました。女衆(おんなし)が、七輪の上でもうもうと煙を吐き出すいわしを箸でひっくり返しながら、そろってリズムをつけて、まるで歌っているかのように呪文を唱えていて、とっても楽しそうでしたよ!

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Dsc_1697 このように、現在でも八十代のおじいちゃまとおばあちゃまをはじめ、三世代で甲州の節分民俗を守りつないでいるこのS家には、この時期、庭に立つ「鬼の眼」を面白がって、お隣の落合小学校の子供たちが見学に来ることもあるそうです。そんな時には、おじいちゃまがやさしく解説してあげるんだとか。ステキですね!

 


 昭和40年代初めころまでは甲府盆地周辺地域ではどこでも普通に見られた節分風景なのですが、いまでは忘れ去られつつあるようです。貴重な民俗をいままで絶やさず続けておられるご家族とお会いできたことは、○博調査員にと って大きな喜びでした。

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こちらのS家で行われた令和最初の節分の様子は、東京キー局の朝のテレビ番組で紹介されたので、偶然ご覧になった方もいらっしゃるのではないでしょうか?来年の節分には、市内で「鬼の眼」を立てるご家庭が増えるといいなと願っています。

 

Dsc_0042_20200218161601ふるさと文化伝承館にも季節展示として、節分の鬼の眼を飾ってみました。ちょっといい感じでしょ♡